奇妙な報告が入っていた。
アルヴィスが、シアルフィにいるその実情ともいえる内容だった。
すでにバーハラ本城はユリウスを中心に動いており、その周りは、フリージ王女「雷帝」イシュタルと、彼女に率いられた宮廷近衛騎士団ヴァイスリッター、そして、近年急激に台頭してきた「暗黒教団」だという。
アルヴィスは、シアルフィにまで親征したとは建て前であり、帝室の別荘になっているシアルフィに、半ば隠居住まいと押し込められたようなものなのだ。
レヴィンのお話が続く。
「暗黒教団については、アルヴィスの管理の甘さを指摘する声が、廷臣からもたびたびあがっていた。何の理由でかれらをのさばらしていたのか、それは俺の憶測の域を出ないが、近年は、そもそもアルヴィスが皇帝となった、その経緯にまで持ち上げて、批判が及んでいるらしい。
アルヴィスは、自らの血のみによって皇帝となったのではない。クルト王子の遺児として突如出現したディアドラと婚姻したことによって…つまり、平穏に事態が続けばバーハラ王国の女王となるべき血を側に得たことによって、その地位を獲得したにすぎないのだ。
しかし、ディアドラは早くに死に…ヘイムの血をついだはずの皇女は行方知れず。
のみならず…アルヴィスは、ユリウスに、ファラフレイムを継承し果たしていない。
いや、たとえ持っていても、ユリウスには使えない。…リーフ、セティ、お前らは多少は知っているだろう、ファラフレイムの血は、ファラとヘイムを並べて戴いているはずの帝国からすでに離れつつある。
にもかかわらず、皇太子ユリウスは、今や父親を完全に凌ぐ権力を持ち、何人もの大貴族が、アルヴィスを見限った。
そして、台頭した暗黒教団、伝説がよみがえった子供狩り… なにか、連想できるな」
「ロプト帝国の、再興?」
だれかが、震える声で呟くように言った。それをうけて、再び、レヴィン様の、重く静かなお声がする。
「箱だけ造るなんて、ヤツらもバカなことは考えていない。その中身も、準備できていると言うことさ」
アルテナ様は、朝、竜の訓練を終えられたあとは、ただひたすら、海峡の向こうを臨んでおられる。アリオーン王子の謎の消滅を目の当たりにされて、一時は実に焦燥しておられた。
そして、ユリアの失踪、暗黒教団との対峙、いくつかの事件や戦闘を経て、少しづつ、お気持ちにも整理がつきつつあろうとは門外漢の言い分、あの方のお胸のうちは、我々が思い遣る以上に、複雑になにかが出来されているものと考えられる。
「私は一体、姉上に何ができるのだろう」
そのお姿を御覧になりつつ、リーフ様が、実に苦しそうにおっしゃる。
「まだどこかで、私達を避けておられるような気がしてならないんだ」
「でも、リ−フ様?」
わきでナンナが言う。
「アルテナ様のお身の回りは短い間にかわり過ぎました。なきがお一つなさらずに、じっとたえてらっしゃる…アルテナさまの方で、結論をおだしになるまで、そっとしておきましょうよ」
「…アリオーン王子の行方、まだ分からないのだろう?」
「はい」
リ−フ様の言葉に、私が返す。
「なにぶん、何の手がかりもなく」
「レヴィン様のおっしゃることも気にかかる…」
「アルテナ様は、アリオーン王子のことなら、それは楽しそうにお話になります。幸せでおられた分だけ、今がお辛いのだわ…
…なんだか、恋しておられるみたい」
「恋?」
リ−フ様は目を丸くされたが、ナンナは至極当然、という顔をする。
「みたいなものですよ」
みたいなものとはいえ、私はナンナの言葉に、少しく冷や汗が背中に滲むのを感じた。例の、一抹のデジャヴが私の中で渦を巻く。
「めったなことを言うな」
私がいいとがめると、ナンナは
「だから、みたいなものです」
と、強調する。
「上手く言えませんけれども、心の中の、物凄く大きな穴。何をいれてもうめられない大きな穴。涙さえも吸い込まれて」
「…」
「その穴をうめられるのは、私ではないのだね」
リ−フ様が、残念そうにおっしゃる。
「アリオーン王子…早く見つけだして差し上げたい…」
「はっはは、ナンナも面白いことを言うな」
レヴィン様はそう笑われた。
「そうか、以外と、アルテナ王女は…」
「レヴィン様までそんな」
私はつい泡を喰っていた。
「物騒なことをおっしゃらないで下さい。私にはどうも、イヤな予感がしてならないのです」
「何だ? そのイヤな予感というのは」
「は、それは…」
「俺はいいことじゃないかと思うがな。吟遊詩人としての食指も疼くぞ。何せ、ソレが、神代から続いてきた兄妹喧嘩の事実上の和解なんだからな」
「仮にも、世間にはご兄妹と認識されておられる二人ですよ?」
「だから、吟遊詩人として食指が疼くんじゃないか」
「…」
「そして、クライマックスはゲイボルグの運命、ということでどうだ?」
「…レヴィンさま…」
「怒るな、気持ちは分かるがな」
大笑いされたあと、憮然とした表情が出てしまった私の顔を御覧になり、レヴィン様はふとまじめなお顔をされた。
「お前や周りが何と言っても、双方に意志があって、それが運命なら、だれにもとめられんものさ。
そうだろう? お前の胸の中の、そのイヤな予感に手を当ててよく考えてみろ。
俺はナンナみたいに漠然とは言わんぞ。アルテナ王女の思惑はホンモノだ。
いずれ大陸平定なれば、きっと、意に添わん縁組みをさせられるだろう。ノヴァの血を残すためにな。
これはアルテナ王女の最初で最後の恋心だ。例えお前やリーフでも、邪魔はしちゃいかんよ」
テルフィングの光は、正当な主のもとにその輝きを新しくする。
大陸全土に光がもたらされるのも、そう遠い話ではない。
しかし、光には必ず影のある、その影のはじまりと言ってもいいだろう。
シアルフィを拠点と定め、再び軍備を整えた解放軍では、来るバーハラ帝国軍との戦いに、休む暇もなかったのが、正直なところだ。
「セリス様、シアルフィは私にお任せ願えますか」
アルテナ様が、そうおっしゃった。
「竜は魔法に弱いもの…これから先は何かと、足手纏いになりましょう。
ならば、このシアルフィに留まり、ことあらば命とひきかえにでも、守りとうございます」
「アルテナ王女、一緒にきてはくれないのですか?」
セリス様は、意外なお顔をされた。
「バーハラまでのぼりつめれば、アリオーン王子の失踪について、何か手がかりがあるかもしれない。アリオーン王子がこのまま行方不明なんてことがあれば、グングニルもそのまま、使えなくなってしまうことだってあるのに」
「ええ、わかっております。
ですが、拠点を制圧されれば、いかに飛ぶ鳥落とす解放軍と言えども、背後を断たれることは滅亡の基です。
シアルフィは、母の実家でもあります。幼い日、沙漠で、何も出来なかった私に、せめて、この地を守ることを…」
アルテナ様は優雅に、あたまを下げられた。リ−フ様も、姉上の決心について、何かあるようだったが、なにもおっしゃらなかった。レヴィン様は、私に含蓄のある笑みを向けられている。
「…わかりました、アルテナ王女。シアルフィは、あなたに託します」
セリス様はそう決定された。そして、すみやかに、編成が整えられる。
私は、シアルフィに残った。
「リーフにともしなくて、よいのですか?」
案の定、アルテナ様はそうおっしゃった。そうした意は山々ではあったが、私はそこで一つ決心をしていた。レヴィン様のおっしゃることが、もし、本当であるならば…
「もう、私が側にいることが、リ−フ様にとってよいことでもなくなりました。
セリス様や貴女様のようなお身内にも出合われ、たくさんのお仲間に恵まれて、娘を側にと望まれております。
御両親の懸案でおられただろうことは、一通り、ご自分でその道を開かれたと、判断致しました」
「…そう。できれば、リーフがそのように逞しくなるまでを、あなたとともに見ていたかった」
アルテナ様は、目前に広がるシアルフィの平原を、はるかに御覧になっていた。
ふた昔、私がそこにいた場所。
我ながら、数奇なことを驚かざるを得ない、その行く末等知らなかった私が、ただ立っていた場所。
「…あなたは」
アルテナ様が、おっしゃった。
「いつかのように、ただ、私の後ろにいて下さるだけなのですね」
「は?」
「でも、私が危なくなる前に、そっと後ろから手を差し伸べてくれる」
「…」
「シレジアから帰ってきたあなたは、三つの私には、抗いがたいほどの何かを持った存在でした。
あなたが読んでくれる物語の、その声の素敵なこと…トラキアにいる間にも、ふいに思い出すことがありました」
「勿体無いお言葉です」
風が吹いた。アルテナ様の栗色の髪が流れる。
「…私の味方に、なって下さいますか?」
「え?」
「これから私がしようとしていることは…これからの私にとって、とても重いもの。
一人きりでは、耐えてゆく自信がありません」
「…」
私の何処に、アルテナ様のお心づもりをなじる根拠があるだろう。お言葉さえも、過去をくり返すようで、
「御意のままに」
それだけ言った。
これは罪ではないのだと、自分に言い聞かせ、一抹のデジャヴを、意識の外に追いやって。
アルテナ様がシアルフィに留まられたのは、このてん末を予感されてのことだったのだろう。
城に留まっていた無名の戦士が、物見台から叫んだ。
「ミレトス方向から、竜の編隊接近、迎撃を準備せよ!」
アルテナ様と私が、ほぼ同時に立ち上がる。
「こちらからは攻撃をするなと、伝えて下さい」
アルテナ様がおっしゃりながら、屋上までの道を歩かれる。
屋上にいる守備部隊をすべて下げさせた。アルテナ様は、ゲイボルグのみをお手にされて、やがて迫ってくる竜の部隊を、待ち受けられた。
先頭にいるのは、誰あろう、アリオーン王子。王子は、屋上に、アルテナ様と私だけと言うその出迎えに、訝し気な顔を崩さなかった。
「アルテナ?」
「ようこそ、シアルフィに」
「…戦わないのか」
「はい」
「わからないか? 私はユリウスに雇われて、解放軍の拠点であるこのシアルフィを襲撃しにきたのだぞ?」
「わかっております。帝国に弄ばれ、解放軍に踏みにじられたトラキアの誇りを惜しまれる兄上のお心は、私にも痛い程に伝わっております」
「…わかっているなら何故戦わぬ」
「できることなら、戦わずに済ませたい。十数年をすごしたトラキアへの、せめてもの恩返しです」
「言うな!」
アリオーン王子が、グングニルを振り上げた。アルテナさまも、ゲイボルグをにぎり直される。
「今度は、当て身ではすまさん、…このシアルフィを制圧すれば、解放軍は背後を断たれるのだ! トラキアは再び、孤高の竜の国として」
「兄上! 目をさまして!」
アルテナ様のお声が、急に潤んでゆかれる。
「兄うえは馬鹿です! そうやって、私の気持ちをわかって下さらない…!
私は、もうあなたと戦いたくない! おねがい、わかって…」
ごとりと、二本の槍が、屋上の石畳の上に、投げ出される音がした。アルテナ様はうずくまっておられる。
「…アルテナ?」
「気がつきたくなかった… いつまでも小さなアルテナで、あなたの妹でいたかった…」
「…」
アリオーン王子は、跪いて、アルテナ様の肩を抱き締めた。私を見る。
今の私に、何が出来よう。心配そうに覗き込んでいる無名の戦士を呼び寄せて、城の奥には誰も近付かないように言いおいた。
ゲイボルグとグングニルと、二つの槍の輝きを手に手に、足音が、城の奥に消えてゆく。
トラキア半島、その南北の実質的な「融合」は、その後果たされたと、私は思っている。
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