砂漠の落日



 「ああ、もうっ」
焦れたような声だった。私はちょうど、城に帰ってきた所だった。
「どうしてすぐはずれちゃうの、これ?」
声は、娘の部屋からする。静かに、その扉をあけると、彼女はちょうど、髪を整えている所だった。
 このごろ、彼女は髪を伸ばし始めたらしい。
 ともすればまとめきれない髪を、髪止めと手で懸命になでつけている姿は、絶えまない戦の中にも春の訪れを感じさせた。

 そして、先刻からの様子を見ていたものが、彼女の見ている鏡に映ったものらしい、ナンナは、側の小机に櫛と髪止めをおいて、
「お父様、部屋に入る時は声をかけるかノックをしてって、言ったのに」
と、じつに困った声を出した。
「いつまでも私を子供みたいに扱わないで下さい、もう」
「しかしな、いつまでも、私にとっては大切な娘だよ」
「だからって、黙って部屋に入ってきたりしないで!」
ナンナは、私をくるりと回して、背中を押し始める。
「こんな恥ずかしい格好なのに、お父様ったら、娘の気持ちを少しも考えてくださらない」
私はとうとう、部屋から押し出された。閉じかけた隙間からナンナが顔を出す。
「それに、私は、こんな朝に、何処から帰ってきたかわからないようなお父様を笑って出迎えられる程心優しくできておりません」
「…」
「着替えるから、早くお酒を抜いてくださいね」
「…」
「それから、…リーフ様、ずっと、お話しがあるって、起きていらしたのよ」
「ああ、それは失礼をした」
「早く参上して、謝ったほうがいいと思うわ」
「わかっている」

 数日ぶりの長い会話が、実にこんな具合だ。私は、最近の彼女のこの何とはなしのつれなさについて、前夜、勇者の槍亭で女将に愚痴ったことを思い出す。
 しかし女将は、あっさりと私の愚痴を一笑にふした。
「それは年頃ってことですよ。
「大体、考えてもご覧なさいな、ナンナちゃんは一体いくつになると思ってらっしゃいます?」
「私の計算が間違っていなければ、15か」
「遅いぐらいですよ」
女将はころころと笑って、私の空の杯を満たした。
「私もあの子ぐらいの頃はそうでした。父親が鬱陶しくてね。
それに、隊長さん本人も、三十路を超えているんですから、いつまでもナンナちゃんが三つのままってこともないでしょう」
「…12年か」
私がうなだれたのに、女将は「また始まった」とあきれた声を出した。
「そのことはもう気にしなさんな」
「うむ。だが」
曙光のようでありながら、西に広がる金色の地平線が、イード砂漠の死の砂の色と思い知らされてから、もうそんな時間がたっていたのだ。いまでも、どうしてあの方を一人にして見送ってしまったのか、自責にうなされて目を覚ます夜は終らない。表に出さないものの、ナンナも私を責めているだろう。
「昔の人はいい言葉を知っていますよ。『佳人薄命』。神様がお手元で愛でられるために、急ぎ天に召したんですよ」
「うむ」
「それとも」
女将はまだ何かをいいたそうだったが、口をつぐんだ。
「どうした?」
「いや、なんでもないよ、ただね…」
私の手前、言い控えたのだろうが、何を言いたいかは大体わかる。数時間前ここにいた吟遊詩人が肩っていたことを女将は暗に言おうとしたのだ。私は、ぐいとあおり、熱いものが胃の腑に落ちてゆくのをしみじみと噛み締めながら言った。
「それはない」
「でも、私達平民は、例えご本人の口からそう否定されても、疑わずにはいられませんよ」
女将はそう言い、
「…隊長さんの前ではいけない話でしたね」
と言った。
「許しておくれよ、今日はあたしのおごりにしておくからさ」
「いや」
私はその最後の一杯を飲み干して、金貨を一枚置いて、酒場を出た。
春とはいっても、まだ夜は冷えた。
「しばらくすればもとのようになりますよ。ナンナちゃんはお父さん子だから」
そんな女将の言葉にすがるしか、今の私にはない。

 王子はちょうど、教錬から戻っていらした所だった。昨晩の無礼を詫び、
「して、お話しの向きとは」
と口にしたところ、
「…お前本人のことだから、私が口を出すのもなんだとは思うが」
「いえ」
「すこし飲みすぎじゃないか?」
「…」
たしかにこの頃、痛飲すると肝が痛む。数年前ならなんでもなかったが、肴もなしに、飲むというより流し込む有様であり、それがよくないというのは、自分でもよくわかっている。
「お前がこのまま身体をこわしはしないか、私もナンナも心配だよ」
「ナンナが、ですか」
「いいな、お前は。心配してくれる家族がいるんだから」
王子は私に対して顔を背けられた。そういうとき、このお方は、寂しくていらっしゃるのだ。
「…これは、とんだ無様でございました。以後は」
「私には、お前がそうまでして落ち込む原因がなんなのかわからないが、そういうのは見ていても気分がよくない」
「承知しました」
私は不謹慎にも、内心相好を崩しかけていた。娘に心配されているとは、まだまだこの父も捨てたものではない。

 そのとき、
「困ります、案内なしに」
メイド達の慌てる声がして、扉が大きく開かれた。
「お、いるいる」
メイドか追いかけているのも知らないのか、その人物はつかつかと部屋を進み、適当な椅子に腰掛け…られる。
「…レヴィン、様」
「そうだ」
そのお姿は、私がシレジアにいた頃からほとんどといっていいほど変わらなかった。瞳に少々の思慮深さの加わったことぐらいしか、私にはわからなかった。
「どうした。何鳩が豆鉄砲食らった顔をして。この国は客人に対してなんの接待もなしか?」
「は」
私は俄にあわただしくなる。メイド達に接待の指示を出して、王子とレヴィン様を会談室に案内する。
「紹介してくれ、一体この方は?」
私同様に、泡をくっておられるリーフ様に、私はレヴィン様のことを説明した。
「シレジアの? それでは」
「ああ、王子の両親についてもよく知っているぞ」
レヴィン様は、進められた茶菓に進んで手をつけられながら、…あたかもご自分がまったくの門外漢でないことを説得するように…王子のご両親の話をされた。
「ああ、そんな場合じゃない」
そして、まるで風見鶏が乱気流に翻弄されるように、話を変える。私は元より、リーフ様にはまだ、朝から何が起っているのかわかっていらっしゃらないようだ。とにかく、レヴィン様は、私にお言葉を向けられた。
「…彼女はどうした?」
「…」
この質問が来るのは、予想もしていたが、予期もしていなかった。
「…どうして、王女が、ここにいらっしゃっていたことをご存じなんですか」
「わからいでか。彼女のまわりのもろもろの事情からして、ここに来るだろうことは予測できる。
 どうした?」
私は、ごく簡潔に、王女のことを、話した。レヴィン様もさすがに、複雑な顔をされた。
「…息子をイザークに、娘をここに、残して、遭難か…」
「デルムッドを迎えにいくと、おっしゃっていましたが、恐らく、理由はそれだけではありません。じつは、王女がここを発たれる前に、砂漠の商業都市に、…ミストルティンの修理の依頼があったという話しが伝えられまして」
「おそらくダーナのことだろう。あの町の領主ブラムセルは町の治安に傭兵を用いている。何らかの伝で手にいれたから、直して装飾品にでもするつもりだったのだろう」
「私もそう思いますが… 王女には、特別のお考えが… ご神器を、ただの什器として考えられてしまうということは、その、ご自分を、いえ、それ以上の」
「なるほど …まあいい」
レヴィン様は、かたじけなくも、これ以上私の浮かない顔を見るのは忍びないといって、話を中断された。
「レヴィン王、それで、この度はどのようなご用でご来臨下さったのでしょうか」
リーフ様は、やっと何かお話しになるつもりになったようだ。レヴィン様は、「王とは呼ぶな」とおっしゃってから、驚嘆の事実を告げられた。
「イザークで、セリス様が、挙兵?」
私の記憶の中では、まだ、セリス様は、…母親に置き去りにされてしまわれた…いたいけな赤子でしかなかった。そのかたが、あるいは何かに動かされ、立ち上がっておられる。失った光を取り戻すための。
「うむ。幸先がよさそうだったぞ、ダナンのいるリボー城をおとし、イザークを解放した頃来るといってきた。そろそろかもしれん。なにより、我が娘も、お前の子もいる」
レヴィン様は、イザークにおける「解放軍」の目覚ましい進軍の様子を、目に浮かぶように語られた。デルムッドは、まだ見ぬ息子は、セリス様の忠臣として、存分に剣を振るっているという。オイフェ殿の指導もさりながら、やはり、彼の底に眠るヘズルの血の恩恵だろうか。
「それでな、リーフ王子」
「はい」
「レンスターでも、兵を挙げるのだ。フリージに押され、トラキアにかすめ取られる生活は、お前が想像している以上に、民を圧迫している。
 イザークのことは、すでにこのレンスターでもうわさが高い。それに呼応してお前が兵を挙げれば」
「お待ちください、レヴィン様」
私はついと膝をついていた。
「あなた様は、今のレンスターの様子をご存じありません。両国の圧迫はそれはもう過酷なものです。この城の賄もままならぬという事態に、どうして市民より義勇兵を募る軍資金など用意できましょうか」
「飲んだくれにいわれたくないぞ」
レヴィン様のいうことももっともだった。だが、この方は、私を叱咤することで、私の内部の何かをあおろうとしておられる。窓を開け放つ突風のように。
「義勇兵など募らんでも、お前のもっている精鋭の留守部隊がいさえすれば、この城は守れる。今までそうしてきたのだろう?」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、こちらが本格的に、抵抗の素振りを見せるとなると、両国の反応はいかが」
「まずトラキアは様子を見るだろう。トラバントはお前たちをかいかぶっている。あそこは肥沃な土地を求めている。お前達とフリージが相打ちになることがあれば、そこで初めてゆっくりとここを料理する算段を考えるだろう。フリージはフリージで、お前達などいつでも潰せると高をくくっている。お前の活躍などすっかり忘れてな」
レヴィン様は立ち上がり、窓の外を見やりながら、腕を組まれた。
「リーフ王子、忘れるなよ。セリス王子は、従兄弟のお前たちを絶対に見捨てたりはしない」

 その時に私は、レヴィン様はなんとも物騒なことをおっしゃるものだと、浅慮ながら感想をもったものだ。
 だがそれは、いまの私達を予見しておられたのかもしれぬ。
 異様な音がした。
 私の傷がふさがると同時に、ナンナのもっていたリライブの杖の、先端にはめた青い玉が砕けた。
「あ」
ナンナは一瞬顔を青ざめさせた。
「どうしましょう。利き目が、なくなってしまった」
その言葉は私に向けられたものではない。ただ目の前の事実を淡々と述べただけだ。だが、これで、我々にはなんの回復の手だても残っていないということだけはたしかだ。フリージとの国境も近い教会の中だ。すでに僧侶達のライブは底をつき、彼女の最後のリライブが、火傷のような雷魔法の衝撃跡を消したのだ。
「…あの、レヴィン様という人を信じて、私達は本当によかったの?」
やっと顔を向けた彼女の顔は、近い絶望を感じ取っていた。
「みんな、いなくなってしまった。お父様とレヴィン様を信じて、立ち上がってくれたみんなはもう、いなくなってしまったの」
「…」
本格的に、フリージの隷属待遇に対し反旗を降り挙げた私達を、フリージ軍は完膚なきまでに制圧した。床には、かつて私の部下であったものの屍が、累々と横たわっている。
「セリス様は本当にいらっしゃるの? 私達本当に、生き延びることが出来るの?」
ナンナは地面にへたり込んだ。顔を覆って、涙をながしているようだが、声には出さない。幼い頃から、そうだった。聞き分けのよすぎた彼女は、二親をなくされたリーフ様に比べれば果報者だというこの父の主張を素直に飲んで、どんなに寂しくても声を挙げて泣くことはしなかった。悪いことをしたと思う。そんな彼女に、私はデルムッドの話をしていない。彼の存在が、どうか彼女には光明にならんことを。
 一頭の馬に二人乗りして、私とナンナはレンスター城に帰ってきた。御身の大事をとり城を守られているリーフ様に失敗の報告をするのは辛かった。
 だが、私達を待っておられたリーフ様は、私達に、イザークからやってきたという天馬騎士を紹介なさった。
 彼女の名前はフィー。母はシレジアのフュリー。そして、レンスター援護の指事を出された指揮官のお名前はセリス。
 光明の射した気がした。