「そして君を探しに行く」推敲用習作
Innocent Days



 私の目の前に、一通の手紙がある。
 お母様に、読みなさいと言われたけれど、優しそうな筆跡の割には使っている言葉が難しくて、ほとんどわからなかった。
「では、これをお読みなさい。お前のお兄様から、初めてのお手紙です」
「お兄様?」
「そう。お前のお兄様。ノディオンにかえって来られて、新しく王様になられたの」
私にとって、兄の存在は、初めて聞くことだった。
「ノディオンの王様は、私のお父様ではなかったの?」
そう尋ねると、となりでお祖父様が、お父様は最近急に亡くなられたこと、兄と言う新しい王様は、私とお母様が違うと言うことを教えてくださった。
「お父様は、あなたがもっと大きくなってから教えなさいと、秘密にされていたのよ。だから、御葬式にも出してあげられなくて…御免なさい」
お母様は言って、涙のたまった目を拭われた。そうか、だからこのしばらく、お母様は服の色を少し暗くして、髪に黒いリボンを飾っていらしたのか、と、その時気がついた。
「お前達は…ノディオンに行かねばならぬ。この辺境は、直に危うくなるだろう。
 それが天の思し召しと思って…わしのことは気にせずに、ノディオンに行くが良い」
 お祖父様がおっしゃった。お母様は小さく会釈された。私は…12才になろうとしていた。

 〜初めまして、私の小さな妹
  君と君の母上を、見つけてあげられなかったことを許してほしい…〜
お母様は、お兄様と言う人のことをも少し話してくださった。私より、10才ぐらい年上だと言うこと、ユグドラルという隣の国でお勉強をしていたこと、とても美しくて、賢くて、王様になる為に生まれてきたような方だとおっしゃった。
「私はまだ王子様だったその方と…そのお父様に仕えていたの。大切にしていただいたわ。だからお前が生まれてきたの」
懐かしそうにそうおっしゃって、お母様はこほ、と咳をされた。季節の変わり目には、良く風邪を引かれる。
「お母様の風邪が良くなるまで、ノディオンにはいけないわね。お医者様もきっと、駄目とおっしゃるわ」
と言うと、お母様は、一瞬焦ったお顔をされた。
「いえ、出来るだけ早い方がいいのよ。お祖父様がおっしゃっていたでしょう」
「え?」
「このマディノは、近く、イムカ様からのお叱りがあります」
イムカ様。話にしか聞かないけれども、アグストリアというこの国の、王様の王様なのだそうだ。
「海の向こうのオーガヒルには、良い海賊と悪い海賊がいます。マディノの王様は、悪い海賊とお友達になって、悪いことをたくさんされました。誰の言うことも聞いてくださらないから、お祖父様がイムカ様に申し上げたの」
「でも、お母様…病気は」
「ええ、私なら、大丈夫。ノディオンまでの旅は、短いもの」
お母様は、いっそう焦ったお顔をされた。
「早く、できるだけ早く、ここを離れないと」

 そのころの私にはまだ、そう言われても何のことかわからなかったけれども、そのころ、まだマディノには王家があったのだ。その王と、オーガヒルの海賊の中で、時の首領からはみ出た荒くれとが結託して、商人の船を襲うやら、海運にかかわる税を重くするやらで私腹を肥やし、挙げ句はアグストリアの覇権を奪取しようとまで画策していたことをお祖父様が察知して、イムカ様に進言されたのだ。イムカ様はすぐ、事態を重く見られて、ことと次第によっては、マディノに強硬的な手段をとってもやむなしとの決定をくだされていたのだ。
 実のところは、一刻も早く、私達母娘はノディオンに行くべきだったのだ。兄という者からの手紙も、その事態を鑑みてのことだったと、容易に想像できることだったはず。
 しかし、お母様の風邪はそこから急に悪くなられる。お祖父様がおっしゃるには、昔はこのように寝たり起きたりのお暮らしではなかったそうだ。何が、お母様の体調に陰を落としているかわからない私は、お医者様に詰め寄ったりもした。ながらくお母様をお世話し続けてていらっしゃるお医者様も、急にこうなった理由はわからない。ただ、お母様をすぐ動かせないことだけは、分かっていた。
〜初めまして、私の小さな妹〜
手紙の文字は、限り無く優しい。手紙が来てからの、はじめてみるようなお母様の嬉しそうなお顔を思いだした。きっと、お母様は、ノディオンに帰りたがっている。
 でも…私達に戻ってきてほしいノディオンのお兄様を、私は知らない。
 お母様からは、前に聞いた以上のことは出て来なかった。いや、出してもらえなかったというのが正確なのだろう。私には察されたくない事情がお有りなのかも知れなかった。私がノディオンでなく、マディノで生まれたと言う理由も、あるのかも知れない。詳しく聞き出そうと言うことも、お母様のお体のことを思えば、はばかられることだった。
 呼んでおきながら、お母様が御病気となったら厭わしがるお兄様だとしたら… お母様は大切にされるけれど、私には冷たいとか…あるいはその逆…
 ならば、自分の目で見ようと思い立ったのも、子供の私にすれば当然の成りゆきだったのかもしれない。
 少しだけ確認して、すぐ戻るつもりだった。
 私は、侍女の目が切れた時、手に当たる限りの身の回り品と金貨を持って、家を飛び出していた。

 紆余曲折の果て、家出から半月後、私は、諸国を巡る傭兵と、ノディオンから来たと言う貴族とに助けられ、目的地であるノディオンの向かう馬車に乗っていた。私の隣と向いには、あわせて三人の騎士がいる。服に使っている小物の色が少しずつ違うだけで、誰を見ても、ほとんど同じ顔。
 きょろきょろと、三人の区別をどうつけようかと思っていると、
「さすが、我らが陛下の妹姫と申し上げましょうか… いや、この行動力には我らほとほと感服いたしました」
と騎士の一人が言う。
「よくお一人での旅を思いたたれましたな、政情が不安定な上に、戦に乗じて傭兵だのが集まっていたマディノから」
ともう一人が言う。
「何にせよ、御無事で良うございました、後は我々が、責任を持って、一命にかえてもきっとノディオンまでお供致します」
と、さらにもうひとり。
 夜は明けかかっていた。限り無く黒に近かった夜空が、急に鮮やかな青に替わる。
 こんな時間に起きていることなど初めてのことだった。私はこの青に心を奪われていた。
「…ねえ」
「はい」
「あの二人は、どうしたの?」
とは、私を助けた貴族と傭兵のことである。
「今頃は、マディノに征かれた陛下の元に参じておりましょうな」
一人が肩を竦めた
「しかし、酔狂を為さる。何故ご正体をすぐ」
「アルヴァ、姫様の御前だぞ」
「あ、そうだった」
でも私は、その会話の真意など、考える程の余裕もなかった。夜明けの青と、その中に真っ白に浮かぶようなノディオン城が窓の外に見えていたからだ。

 城に入った後、案内されるままに入った部屋で昼になるまで眠った。起きて、部屋の中がマディノの自宅の部屋よりずっと立派なことに目を回していたとき、入り口の辺りに三人の騎士の誰かがいることに気がついた。
「どうしたの?」
「はい、先王妃様が先刻御入城されました」
「え?」
「姫様のお母上になります。先代陛下の御遺徳により、王妃の格を許すと、陛下のおおせでありました」
「お母様、ここにいらしたのね? おかげんはいいの?」
「はい。姫様をお呼びゆえに、御案内すべく参上致しました」

 お母様は、私のものよりもずっと広くて綺麗なお部屋で休んでおられた。私を見るなり、起き上がる。
「ああ、無事だったのね」
言われてから、思いだした。私は、お母様にもお祖父様にも、何も言わずに飛び出していた。涙が出かけた。
「お母様…ごめんなさい…私」
「いえ、無事ならば、良いのよ。お前がいなくなって二三日経った時、お兄様からお手紙が来てね、お前は部下の方が保護をしたからと、教えてくださったの」
「そう、なの? …お母様、お加減は?」
「ええ、お前が無事なことを知ったら、すぐに良くなりました」
「…よかった!」
私は、お母様の胸に顔を埋めた。いい香りがした。このしばらく、お兄様のお話になると、お母様は明るいお顔になる。それが嬉しい。
「お母様、私、一つだけわかりました」
「何を?」
「お母様…お兄様を好きなのね」
お母様は、一瞬、嬉しそうな、切ないような顔をした。
「ええ、お前のお兄様ですもの。私を大切にして下さったお父様のお子さまですもの…何処にいらっしゃっても、きっと私達をお守り下さいます」
 私は、家を出てからの一部始終をお母様に話して聞かせて差し上げた。お母様は始終、微笑みをされていた。

 お兄様は、マディノの殊に絡んで、それからも二ヶ月程、城に帰って来なかった。そして、大々的に凱旋された。
 マディノ王家は、イムカ様により取り潰されたそうだ。でも、お祖父様は無事にマディノにいらっしゃる。私達はそれを聞いて安心した。
 凱旋式の後、改めて、公式な対面の席が設けられた。
 初めて着る、レースの沢山ついたドレス。流したままだった髪も結い上げられて、お母様と私は、何人か、えらそうな人たちがいる中に通された。私達の顔を見て、何かひそひそ話し合っている。お母様は、少し顔をうつむけておられる。
 あの三人の騎士の誰か一人が入ってきて、
「陛下のおなりです」
と言うと、皆、入り口の方を向いて立ち上がり、頭を下げた。残る二人の騎士の後に入ってきた人物の顔を見て、私は思わず
「あ!」
と声をあげていた。えらそうな人たちが、さっと私を見る。お母様も、「静かにしなさい」と言いたそうに服を引く。
 入ってきた人物…お兄様は、ことさらに私を見て
「ひさしぶりです、姫」
といいながら、私達に椅子をすすめた。マディノであったノディオン貴族、それがまさしくお兄様本人だったのだ! お母様が視線でとがめるのも気にせずに、私は
「ひどいわ、どうしてお兄様だって、あのとき教えてくれなかったの?」
と聞いていた。
「あそこで、私がノディオン王だとわかると、すこし面倒なことがあったからだよ」
と、お兄様は答える。そして
「…一人で、よくここまで来ようと思ったね。強い子だ」
と言った。その時の微笑みがちくりと、私の胸をさす。話で想像していたより、ずっとお綺麗だったから。
「…ええ、だって、お兄様とお母様と、本当に仲良しになれるか、心配だったもの。私が嫌いになる人なら、絶対駄目だと思ったもの。お母様はお体が弱いから、大切にしてくださる人じゃないと、駄目だもの」
「もちろん。大切にしたいから、私は君と母上をここに呼んだ。父上が何もしてあげられなかった分も」
お兄様は、満足そうに笑いながら、今度はお母様に話し掛けた。
「妹を、よくここまでにしてくれた…礼を…いや、その前に、ここに呼べなかったことを、許してほしい」
「勿体ないお言葉です」
「これからは、ノディオンにいてほしい。君たちは大切な…私の…母と妹だ」

 ノディオンの城は、マディノの家よりもずっと広くて綺麗だった。私とお母様は城の西の棟に住むように、前々から準備が整えられていたのだ。綺麗なお庭もあった。お母様はこのお庭がすぐお気に召したと言う。ここには、お母様の好きな花がたくさん植えられていた。
 お母様は、前より、お部屋で横になる日が増えたような気がする。ただの風邪がいつまでも直らないような、そんな感じ。でも、マディノにいた頃より、ずっと笑われるようになった。
 お兄様は、お仕事の忙しくない時は、極力私達の側にいる。今までの時間をうめるように。私がお勉強の時間になって部屋の中にはいっても、窓の外からは長いこと、お二人が話ししていたのが見えた。
 お兄様とお母様と、ほとんど年が替わらないように見えると、言ったことがある。するとお兄様が、
「それはそうだ、君が生まれた時、母上はたいそう若かったからな」
と言った。お母様は、近くにあった花を一本手折られて、それをくるくると回しておられた。そして
「陛下」
とおっしゃった。
「家臣の皆様も、心配しておられます…
 グラーニェ様のことを、考えられた方がよろしいかと思います」
「…」
お兄様は、急に難しいお顔になった。私の前で話すことではない、そんなことを言った。
「ですが、即位と前後して御結婚と言うお話だったとか…」
「しかし」
「私のことをお聞きお呼びになったレンスターのカルフ陛下から、継母として口添えを、と、切々にお言葉を賜りました。先様はもう、それはおまちかね、と…
 グラーニェ様を、お早くお迎えなさいまし… それが何よりの、お父上の御安心と、ノディオンのご安泰に繋がるかと…
 クレイスの、最後のお願いともおぼしめされて…どうか…」
夕方の冷たい風が、さっと庭に入ってきて、お母様は急に咳き込まれる。
「お母様!」
手を差し伸べると、お母様は、その風になびくように、お兄様に身を預けられた。お兄様は、とても悲しそうな顔をして
「…部屋に入ろう」
と言った。

 お医者様から処方を受けられて、お母様はおやすみになった。
 私は、寝るまでのしばらくの時間を、お兄様の部屋で過ごす。
 私達の前には、ユグドラル大陸の地図があった。お兄様が厳かに言う。
「君には姉上になる人を、私は迎えねばならない」
「はい」
頷く私の前で、お兄様が地図の東の一点を射した。
「この…レンスターから、妃を迎えることになる。カルフ王が…御自分の王太子妃にもなれる方を御紹介してくださった。文通ばかりだが、もう10年来の知己になる」
「はい」
「そこで、君に聞きたいのだ。
 私は、決断をすべきだろうか」
「え?」
地図から顔をあげれば、お兄様の顔は、本当に切なそうで、戸惑っていた。
「…俺は何より…クレイスの…お前の母上の体を第一に考えたかったのだ。まだノディオンに来て日も浅い、グラーニェ嬢のことが、彼女の負担になるようなら、もうしばらく、先に伸ばしても良い、と」
お兄様は、その実、お妃様を迎えるのが嫌なのかも知れなかった。侍女が、子供の私の前では隠すまでもないことと言うように、お兄様のことをうわさする。お兄様は、ほとんど年の替わらないお母様を、昔から好きだった、と。お母様も、きっと、お兄様が好きだった。でも、お兄様のためになるから、お妃を迎えなさいと、言ったはずなのだ。それがお母様の望みなら、私は…
「お兄様、お母様のことなら、御心配なく。私がいますもの」
「え?」
お兄様は、お母様のために、いやがってほしいことを期待していたのかも知れない。意外そうな顔をした。
「お母様から聞きました。ノディオンには、砦の聖人様のひとり、ヘズル様の血が受け継がれていると。お兄様にはヘズル様から伝えられたミストルティンを、お子さまに継ぐ仕事があると」
笑ってみせた。お兄様は、私の顔を見て、しばらく考えていた。それから、横を向いて、せつなそうな顔をして、笑った。
「…なるほど…お前は、強い子だ」