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奥さまの名前はラケシス。そして旦那様の名前はフィン。
少し普通じゃない二人は、あまり普通じゃない恋をし、ごく普通の結婚をしました。
なにより普通と違っていたのは、奥様はプリンセスだったのです。
(中村○調に)



従騎士シュコランの日記



<○月×日
 厨房で騒ぎがあった。後でフローラに話を聞いたら、奥様が何か料理を覚えたいとおっしゃるのでその手伝いをしたら、なぜか厨房のオーブンが過負荷を起こしたそうだ。>
「お話は聞きましたよ」
執務室の机の上で、完璧に仕分けられた書類を眺めながら、フィンがためいきをつくように言った。
「余り危ないことはなさらないでください、貴女にも誰にも怪我がなくて幸いでしたが」
「だーってぇ」
金色の髪に、まだ少しコゲを残したままラケシスがふくれ面をする。
「奥様って、そういうことするものでしょ。
 ティルナノグでも、お手伝いぐらいできたんだもの、ましてやここなら…」
と、ドレスをもじもじと揉む。
「何のために担当の者がいると思っておられるのですか、貴女のお思いたちは結構ですが、それはすなわち彼らの仕事を奪うことです。
 ご自重ください」
「はぁい」
まるで、いたずらが見つかって教師に叱責された生徒のように、ラケシスは不承不承という感じの返事をする。そして
「…つまんない」
と言った。もうフィンは、まっすぐ机の上に視線を落として、集められた書類を見ている。時々、ふんふんとうなずいたり、うーむとうなったりしながら。ラケシスはいよいよ面白くないように、自分用にもうひとつ据えられた机の上にある白紙の束をくるくる、と巻いて、フィンの頭をぽこん、と叩いた。
「!」
「何日ぶりかに帰ってきて、そういう危ないことがあったのに、『お怪我はありませんでしたか』みたいな言葉はないの?」
「…ものを書いている途中にそういうことはおやめください。字がずれました」
「そんなことは知ったことではないわよ」
もういい。ぷん、とラケシスがあさっての方向を向いて、部屋を出ようとして、かけられた言葉につい、とつんのめりそうになる。
「…その髪のおコゲだけで幸いでした。お怪我のないことも、全部聞いています。
 しばらくしたら、馬でも引きましょう」
書類から目を離さないのは、テレもあるのだろう。そういわれて、
「まったくもう、しょうのない人なんだから」
ラケシスはうっすらと苦笑いを浮かべて、肩をすくめた。

<○月×日
 奥様が、土地の係争について、確認をとりたいとおっしゃって、僕とブランに供を命じられた。
 まだ日差しも熱いというのに、奥様は日よけの薄いローブだけで、器用に馬を扱われる。不思議な方だ。>
 係争の仲裁を受けた一族の者が、
「こちらが現場です」
と、ラケシスにある野菜畑をさした。数畝ぶんの空き地がそこにあって、その場所の所有が隣り合わせる二つの畑の持ち主どちらかに帰するのか、と言うのが係争の内容だった。
「どうしようもないのですよ、奥様」
と、一族の者が言う。
「この畑の持ち主たちは、普段は仲がよいのですが、半年置きぐらいに、この隙間がどっちのものか、酒の上で喧嘩を起こしまして」
「日当たりが良くて、土もよさそうなのに、もったいないわね」
「はぁ」
馬から下りていたラケシスは、その畑の中に足を入れる。
「あ、奥様」
「いけません、お衣装が」
「ちょっと待って、今解決方法を考えているのだから」
しばらくそこに立って、彼女は何か思索しているふうであったが、
「そうしましょ」
と軽く言って、馬に乗りなおす。
「ど、どうなさるので?」
「どうもこうも、後で主人から裁定が行くわ」
私の考えはまとまったけれども、あの人と意見が同じとは限らないし。ラケシスはそう呟いて
「戻りましょ」
と、一同に帰還を告げた。
<△月×日
 係争の土地について、ご領主からの裁定が下された。あの土地はご領主が買い上げられるそうだ。灌漑用の水路が遠いから、冬の間にその水路を作り、すでにある水路とつなげてしまえばいいと、そういうご判断のようだ。むしろこのご裁定は、裁定というよりも、係争と和解をだらだらと続けている二人への、戒めの意味もあるに違いない。
 とにかくその決定を説明された後、ご領主は、
「酒の上の係争は余り本気で取り合わないように」
そんなご注意をされた。>

<○月×日
 麦の借り入れも無事終わった。今年も豊作でよかった。
 収穫祭にあわせて行われるご領主主催の模擬戦闘会が近い。奥様が進言して作られた自警団の訓練成果の確認もかねているから、自警団のみんなも、このごろは自主訓練に忙しいようだ。
 このごろ自分は、ひょっとしたら騎士に向いていないんじゃないかと思うときがある。プランのほうが、確実に剣の腕は上だろう。
 でも、当日は自分も参加しなければいけない。フローラに無様なところを見せてしまいそうな気がするけど…>
 従騎士たちが、るいるいと腕足を押さえて地面にへたり込んでいる
「おら少年ども、いつまで地べたで油を売ってるつもりだ」
その前で声を上げたのは、今は自警団の武技指南役に収まっている傭兵ベオウルフだ。
「ご主君が城に行ってる間になまったなんて言われちゃ俺も困るんでな、どうだ、立ち上がれないなら、俺が立たすぞ」
彼は、長い棒を一本持っている。教練に使う模造の槍だ。しかしもっぱら、彼は、この棒を文字通り、彼らを叱咤するのに使っている。
「本当に、傭兵仕込みの訓練は手荒なことね」
と声がした。従騎士たちは一斉にそのほうを見る。
「奥様!」
ふいと立ち上がるものもあるのは、まさに現金な輩である。ベオウルフは
「そう美味しいとこもってかれちゃ、俺の威厳丸つぶれじゃないか、奥様よ」
と、苦々しくなりきれない顔で言う。
「まあよし、今立ち上がったの、組んでみろ」
その二人がえーっと声を上げた。ラケシスは、
「誰か、怪我のある人はいない?」
といいながら、周りをみて回っている。
「自警団の人にはそのままでもいいけど、もう少し上品な剣の使い方も教えて上げないとね」
「そうか?」
「槍騎士の国でも、剣技は必要なのよ」
「といっても、俺はそんな礼儀ただしい剣の使い方なんかおしえられねぇぞ」
組んでいた二人は、やっぱりへたりと腰を抜かした。
「まったく、しょうがねぇやつらだ。お前らの持ってるのはただのちっこいピーマンか」
ベオウルフは後ろ頭に手を当てて、ラケシスはあはは、と笑った。
「でも、もうずいぶんになるじゃない、疲れ時よ」
「俺は物足りないがな」
「じゃあ、私とやる?」
ラケシスが腰の剣をしゅ、と抜いた。さすがに祈りの剣ではないが、真剣であることは確かだ。
「お手柔らかに頼むぜ」
ベオウルフも腰の剣を抜いた。
<それからベオウルフさんと奥様の手合わせは、夕方まで続いた。紙一重のところで剣の刃がすれ違っていくのに、お二人は笑いさえしながら剣を合わせている。
 明日はご領主が帰ってくる。そしたら奥様は、今度はあの方相手に槍を振り回されるんだろうなと思うと、本当にぞっとする。>

<○月×日
 奥様が庭掃除を庭の落ち葉集めを手伝ってくださった。>
 領主館は、ところどころに、葉の落ちる木が植えてある。その窓から木の葉のちらちら落ちる風景を見るのは、まことに結構な風情なのだが、風に吹きたまったりした落ち葉は、下で集めるメイドたちにとっては、この季節ならではの重労働だ。
「ここまで集まると、圧巻ねぇ」
ブランとシュコラン、そしてフローラを動員してその落ち葉集めをしたラケシスは、集められた落ち葉の量を腰に手を当てて見ている。
「この落ち葉は、どうするの?」
「量が多いので、別の場所で焼いて肥料に混ぜます」
そうブランが言う。
「別の場所って、これ運ぶのも結構にならない?」
「ええ、そうですけど」
ラケシスは少し考えるしぐさをした。そして
「ちょっと待っててね」
と、三人を残して中に入ってしばらく、赤い本を持って戻ってくる。
「三人とも、私の後ろにいなさい」
ラケシスはそういいおいて、
「えーと…」
とページをめくる。
<ファラ、御身が業なす我を嘉せよ!ファイア!>
ごっ。
 三人はぽかん、とした。運んで燃やすにも半日かかる落ち葉が、一瞬で真っ黒い燃えカスになったのだから。
<…奥様に魔法の素養がおありなのかと尋ねても、興味があってまねするうちに使えるようになったと仰るだけだった。
 僕はこのごろ、奥様がよく分からない>

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