back


つきよみ
続・一番危険な彼女



 自分がそれに拍車をかけていることなどひとまずタナに上げて、
「叔父貴の『つもり』がわからない」
とアレスが言う。
「何故です?」
「狼だ羊だ食べるだ食べられるだ、そういう会話が子供たちの間で平然と交わされてるのに、なんであんたはリーフにあんなこと許したんだ?」
「私はリーフ様に許したのではありません、ナンナに許したのですよ」
フィンの返答は判じ物のようだ。
「一緒だろうがよ、結局毎晩ひとつ部屋で、中でどういうことになってるか、考えたことないのか?」
暗に何かが起こっている、そんな雰囲気をにおわせながらアレスが追い打つように言っても、
「ありますよ」
やっぱり、返答は穏やかだがそれ以上何もいえなくなる。
「…あんたと話してると怒る気も失せるな」
アレスはひとつ盛大なため息をついた。それを見て、フィンは
「ありがとうございます」
と言う。
「ナンナにもそろそろ、私に教えたくない秘密を持つよう教えなければなりませんからね。
 彼女は私をまったく安心して、これまですべてを打ち明けてくれました。
 しかし、もうそんな年でもないでしょう」
「まあな、世間一般の女の子なら、たとえばフィーみたいに、レヴィンとは寄らば斬るような間柄になったりもするらしいが、ナンナは見たところそんな様子もないしな」
「なればこそ、秘密を持つことを教えるのは、私ではいけません。それではこれまでと同じです」
「なるほど。あんたがそこまで考えているなら、俺も好きにさせてもらうが」
アレスはふぅん、と一度おとなしそうにうなずいた上で、
「たとえば、リーフに悪知恵吹き込んでもお構いナシか?」
フィンの耳元でいかにもやるぞと言うような顔で言う。
「もうあれこれお話されてるのでしょう、いまさら私に確認は必要ありません」
しかしフィンの返答はあっさりしたもので、アレスはこれ以上は、何をしてもこの人物をうろたえさすようなことはできないと思った。
「一体どこまでお見通しなんだあんたは」
「何年、あの二人と一緒とお思いですか。なまなかの秘密では、私に隠しおおせることはできませんよ」
「とんだ羊親父だ」
「とんでもない、人から聞きましたがアレス様がおっしゃったのでしょう、私も昔は狼だったと」
「な、なぜそれを」
「羊の味は知りませんが、私は小鹿の味については誰よりもよく知っていると自負してますよ。
 私では教えられないことをかわりにご心配くださって、ありがとうございます」
アレスは、一間置いて、にんまりとした、
「それじゃあとで、ゆっくり聞かせてもらうかな、その小鹿の味の話を」
「それはできません」
「どうして」
「永遠の黙秘事項ですから」

 ナンナは、真剣に何かに見入っている。
 それは何枚かの紙がつづられたもので、途中までは相当に読み込まれて、破れそうなページには違う紙があててあったりする。
 表紙には、かすれるようなインクの筆跡で柔らかく、
<お母様が教えて上げられるすべてのこと>
と書かれてある。ナンナは、まだほとんど読まれてないページを開こうとしていた。なんとなれば、そのページには、
<ここから先は、小さなナンナにではなく、もっと大きくなって、きれいになって、もしかしたら、おとうさまよりすきな人ができたかもしれないナンナのためにかきました。
 その方の思いを、真剣に受け止めたいと思ったとき、開きなさい>
とかいてあったからだ。
 そもそもこのつづりは、ナンナが、女性に起こる生理現象について、何があっても戸惑わないようにと、男手では教えにくいことを書き残されていたものだった。もちろん、自分もこれに大変助けられたし、解放軍に入ってからも、同じ悩みを持つ少女たちと、その知識を共有するのに、十分な価値を持っていた。少女たちの話の輪の中で、
「ナンナ、お母様のあれ、読ませてくれない?」
頼まれることもしばしばだった。
<長く馬に乗って、手当てがなかなかできないと思うときは、厚めの手当てをして、濃い色の服を着なさい>
<おなかが痛くなったり、気分が悪くなったりしたら、休憩をとりなさい。恥ずかしがることが一番いけません、理解している方は必ずいるはずです>
<この紙の空いているところでかまいません、始まった月日を書きとめておきなさい。繰り返すうちに、次始まる日がいつごろか予測を立て、前持った準備ができるようになります>
そんなことが書いてある。だからナンナは、自分がいつその日になるかほとんど完全に把握していたし、その間の体調の微妙な変化も自覚していた。
 注意書きのページの先を開く。
<これは、私が、ばあやから教わったことです。悲しい思いをしないために、また、うれしい思いをするために、ばあやは私をこのたとえでたすけてくれました。
 もう、あなたが、いつその日になるか予測が立てられるナンナなら、簡単な話です。
 自分の体を月に考えなさい。障りの始まる日が新月です。その日から半月さかのぼった時期が、あなたの満月です。
 もし、あなたが悲しい思いをしたくなかったら、その満月の日をはさんだ十三夜の月から下弦の月の日数の間は、もし求めがあっても、受け入れてはいけません。
 その拒否で態度が冷たくなる人なら、それはあなたにとって利益のある人でないことも、よく覚えておきなさい>
その文章にある「悲しい思い」の意味は、ナンナがこれまで読んできたページにかかれてあった。それは、陵辱などの理由があったり、あるいはナンナのおかれている状況が無事安穏でない場合に、彼女が懐妊してしまうことを指す。
 今は…拠点を得て一時平穏ではあるけれども、解放軍の目的は達成されてない。いつ次の出撃が告げられるかわからない中で戦力外になることは、ナンナにはとてもできないことだった。つづりの中には、…怖い話であったが…「処理」を迫られたときに使う薬草のこともかかれてある。
<あなたのからだにおきた悲しいことは、いつまでもあなたのからだとこころのどこかに傷を残します。それは、誰にも治すことができません。私にも、お父様にも。
 『悲しいこと』が起きず、望んだ人との間の『嬉しいこと』のために、ばあやの知恵が使われることを、私は願っています>
ナンナはふう、と息を着いてつづりをとじた。次の障りはいつごろになろうか、指を折る。そこから考えると…
「今はまだ…だめね」

 リーフは、そんな難しい計算のことなど知らない。しかし、障りのあることは理解していて、その間は何も求めずに、逆に、まだ二人あどけない子供だったころのような扱いでいてくれる。
「わかってるよ。…もしかしたら、わかっているつもりになっているだけかも知れないけど。
 そもそも、二人で眠れなくなったのって、それがきっかけじゃなかったっけ」
リーフは言う。
「子供を一人、おなかの中で育てて産むってことは、僕ら男には、全然想像もできない大仕事なんだって、フィンから、ナンナの生まれたころの話をされるたびに、聞かされてるもの」
「そう、ですよね」
「母上は、姉上と合わせて、二回もその大変な思いをされたんだ。ましてや、ラクチェとスカサハは、二人一緒に、彼らの母上のおなかの中に入っていたって言うんだよ?
 信じられる?」
「…できません、だって私、おなか大きくしたことなんて、ありませんもの」
「そうだよ、今から君のおなかが大きくなったりしたら、神様だ」
リーフは眠りかけていた体を起こして、
「どうしたの? そんな話を始めて」
ナンナはしばらく黙って、
「リーフ様」
切り出そうとしたが、リーフはその口を指でふさいだ。
「僕は誓ってるんだよ。そりゃ確かに、僕たちは…まあ、我慢し切れなくてハメをはずすこともあるけど、最後の一線だけは、僕の面子にかけても、誓って守る」
そういわれると、なんとなく固まり始めた決心が、ゆるゆると、失敗したゼリーのように崩れていってしまう。無理なお願いをして、リーフに悪く思われるのもいやだったからだ。
「だからまだ、そんな考えしないで」
「…はい」
誘われるまま、体に軽く腕を絡ませて、そのまま二人は布団をかぶる。
「…これだけでもうれしくて眠れなかったのが、嘘みたいだね」
思い出すように、リーフが言う。
「…ですね」
そう返して、ナンナは、カーテンの隙間が、夜にしてはずいぶん明るいのに気が付いた。
「月、出てるんですか?」
「そうだよ。昨日見張りに出たとき、すごく明るかった。
 見てみる?」

 うながされて、カーテンの向こう側に出る。
「すごい」
うっとりと、その風景を見る。すべてが月光の青と白に染まっていて、言葉がすぐには出なかった。
「この町が、暗黒教団に怖がっていたなんて、信じられないぐらいだね」
「はい」
掛け布団に二人でくるまって、その風景を見る。
「すべての町が、安らかに眠れるように… 僕たちの仕事はまだ終わらないね」
「…はい」
ナンナは、リーフの声が、上のほうから聞こえるのに、少し胸がはねた。
「リーフ様、大きくなられましたね」
「今更。ナンナだって、背伸びてるの気が付いてない? 僕のほうが速いだけだよ」
「真っ暗でいたら、お父様と区別つかないかも」
「そう?
 でもナンナは背が少ししか伸びない代わりに、綺麗になってるんだよ」
 どき。
 こんなときにそんな言葉は、まるで短剣で心臓をじかに狙われてるようだ。
「リーフ様、中に入りたい」
夜風が寒いのを口実にして、そうしたいように身をよじらせる。
「いいよ」
 しかし、中に入っても、リーフは、後ろから抱きしめてくるのを止めなかった。
「…?」
「もうだめかも」
「何が、ですか」
「元気なさそうだから、何もしないでいようかと思ったけど、もう我慢できないかも」
「!」

 このままでいるのが辛いのは、きっとナンナの方なのかも知れない。件のつづりを見ながら、そう思っている。
 周りには誰もいない。生活の大部分がリーフの部屋に移ってからは、道行きの荷物や貴重品は、フィンの部屋に預けていた。だから、今彼女がいるのも、父親の部屋だ。大勢のいる中で読むより、これは一人で読みたかった。
 リーフの根底にある、結ばれたいと言う気持ちが、ナンナを慈しんでくれるのはわかっている。そして、ナンナも、その気持ちにこたえたい。
 二人の気持ちが一致しているところで、最大の敵は、父がリーフに傾けている信用だ。その信用はどうなろうか。それを父に確認するには、今までの秘密も全部打ち明けなければならないかもしれない。
 これでは、リーフに「元気がない」といわれるのも仕方ない。またため息をついた、と、
「懐かしい字だね」
と声がして、は、とそのほうに振り向く。

next
home