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「持ってきたよ、銀の弓…
 って、どうしちゃったのさ、これは」
ブリギッドがぽかんと立ち尽くす。ラケシスが、白目をむいて倒れていた。
「はぁ」
「イチイバルなら引けるだろうって、使おうとしたら、拒絶反応くらってこのとおりだ」
ジャムカが冷静に言う。ブリギッドは天を仰いだ。
「なんてこった神様」
「どうしましょう、人を呼びましょうか」
とミデェールが言うのを、
「何、ただびっくりして伸びてるだけさ。お守りを急いでよぶ必要はない」
ブリギッドは冷静に言って、ラケシスを正気づかせる。
「ふぁ」
「たいした度胸だねお姫様、イチイバルを使おうとしたって?」
「でも、もって、矢を番えたら、びりびりっときて…」
「当たり前だよ、お姫様と反りが合わないのは。血がちがうんだから」
これ使いな。ブリギッドは銀の弓を渡した。
「それはかなりかたいよ。でも、それだけ手ごたえはあるはずだ」
「え、ええ…」

 たしかに、銀の弓の弦は、ラケシスの膂力に確かな手ごたえで抵抗した。しかし、いざはなってみると、的にあたらず、途中で矢が落ちてしまう。
「ううう」
ラケシスの顔が渋い。槍の教練と違って、上目遣い一つで手加減してもらえるような場所でも状況でもないからなおさらだ。
「やっぱり、少しゆるい弓にもどして、矢をちゃんと飛ばすところから始めないとだめだねぇ」
というブリギッドの言葉に、二人はうんうん、と頷く。
「こんなに時間かけなきゃいけないの? 私も早くみんなみたいに、弓が上手くなりたいわ」
ラケシスはぶんむくれた声を出す。
「あわてる何とかは儲けが少ないよ」
「付け焼き刃は脆いぞ」
ブリギッドとジャムカがそれぞれ口にして、へたり込んだラケシスの機嫌をうかがうように、
「剣や槍と一緒です。弓にも扱い方の定石があります。まずそれを覚えていただかないと」
ミデェールが言うと、
「…わかりましたわ。
 今日は、午後から予定が入っていますから、ここまでにさせてよろしくて?」
ラケシスは渋い顔のままで教練を切り上げていった。
「今までの意趣返しだと、思われてないでしょうか」
ミデェールがつい、そんな声を上げていた。
「まさか、あのお姫様がそんな意地の悪いことはお考えなさらないだろ」
とブリギッドはいうが、ミデェールは、なんとなくいやな予感がついてはなれなかった。あの姫は、絶対何か考えてそうな、そんな顔をしていた。

 一度コツさえつかんでしまえば、それをどんどん吸収して、自分のものにすることができるのが、ラケシスの持つ「マスターナイトの素質」なんだろうと思われる。
 基本に立ち戻って弓の引きから学びなおし始めたラケシスは、すぐに的に矢を当てることができるようになり、その跡も、だんだん中心一点に絞られてゆく。
「地面の練習も、もうおしまいだね」
とブリギッドが言った。
「さ、ミデ、あとはあんたの出番だよ」
「…はい…」
「今更そんなしけた顔をおしでないよ、今までお姫様は、おとなしくお前から弓を教わってたじゃないか」
「そうですが、そのおとなしさが、何かの前触れのような、そんな気がするのです。
 何と言うか、こう…」
「思い過ごしだよ。弓と平行して、斧や魔法も習い始めたって話だもの、何かたくらむ暇もないって」
ブリギッドはぽん、とミデェールの肩を叩いた。しかし彼は、一抹の不安がぬぐえないでいた。
 本当に思い過ごしならいいのだが。

 「よろしいですか、馬上では弓は大変不安定です。機動力と正確さをともに求められますから、馬の扱いは、近接武器より繊細になりますので、お気をつけください」
場所は、セイレーン城に近い狩場に移されていた。実戦のカンを失わないように、狩場で小動物を狩るのも、騎士の教練の一部だから、こういう場所が設けられている。狩った獲物はそのまま食卓に上がるのだから、実益も十分兼ね備えているのだ。
 その狩場をつかって、止まった馬の上から射ることから始まって、走る馬から止まっている的を射る、走る馬から動く的を射る。そんな教練が続く。
「はぁ」
何日か目にその教練を終えて、下馬したラケシスが、ふとぼやいた。
「ブリギッドの脚が、うらやましい」
「あたしの?」
「ええ、だって、すごく綺麗なんだもの。
 私の脚ね、なんか筋張ってきてて…まるで男の人みたいになっちゃった」
「まさか」
ブリギッドは、おもむろに、ラケシスの脚をぱぱぱ、と触る。
「きゃ」
「全然全然、かわいらしいもんさ。あたしが男なら食べちゃいたいぐらいだよ。
 でもまあ、どうしても馬で弓になると手がふさがるからねぇ…手綱がお留守になる分脚で支えないといけないから」
「そうなのよ」
と話をしている間に、ミデェールが、なにかの紙を見ながら戻ってくる。狩場の林の中に仕掛けられた的を正確に射られたか、それを見て回ってきたのだ。
「どう?」
「悪くはないですね。むしろ、短期間でここまでになるとは、思っていませんでした」
「じゃあ、弓の教練は、終わり?」
「そうですね、あと一、二回ほど、完全にご自分のものにできたと確認できるようなら」
「まだつづくの?」
呆れた声を出すラケシスに、ミデェールは平然と返す。
「そうでなくては、自信をもって姫をご推薦できません」
「もぅ、脚のお肉がもりもりになっちゃう」
ラケシスは角口をした。が、すぐににんまりとした笑顔になり、
「そうね、ミデェール」
「はい」
「次の教練、あなたと私で勝負しましようよ」
「勝負?」
「あなたが勝ったら、私はちゃんと、あなたが満足するまで教練を続けます。
 でも私が勝ったら、あなたと同じ程度になったということで、教練は終わりで、一日だけ、私の好きになってもらいたいのだけど」
「い゛」
ミデェールの顔が歪む。自分が負けたほうが不利な勝負じゃないか。そんな顔をした。ブリギッドがゆがんだ顔のままのミデェールに
「ミデ、受けてあげなよ。今の紙見たけど、ほとんど満点に近いじゃないか」
といい、
「それとも、私がこの勝負預かろうか?」
と、二人に向かってにんまりとして言った。

 翌日の狩場。もちろん、いるのは三人と、より公正な見届け人として、ジャムカと、呼ばれたのだろう、海賊らしい風体の男が数人。
「俺は弓使いだから必然的にミデェールに肩入れすることになるが、それでも公正なのか?」
「あんたは公私混同しない男だからいいのさ。
 いつものお守りがいるとお姫様は甘えたちゃんになって勝負にならないし、判定で微妙な結果でも出てきたりしたらあのお守に言い負かされるだろうし…これくらいでちょうどいいのさ」
あまり気乗りのしなさそうなジャムカの言葉に、ブリギッドが返す。そして、騎馬に弓矢で相前後して到着した二人に、
「仕掛けは前の日に、あたしが仕掛けさせた。どこかはもちろん教えてあげられないけどね。
 速さももちろんだけど、正確さも見させてもらうよ。どっちの道も、長さにそう差はないはず」
右と左があるけど? ブリギッドが言うと、
「では、私は」
とミデェールが言い、馬を回頭させる。
「じゃあ、ミデは左をまわってきな。お姫様は右だ、いいかい、速さと正確さだよ」

 森に入る。狩場といっても、半分遊びでする狩だから、コースは決まっている。その踏み固められた道陰のところどころに立っている的や、見えない仕掛けを引っ掛けると動き始める的を射る。たん、たん、たんっと木の板の乾いた音を立てて、的に矢が刺さってゆく。狙いは、もちろん、中心だ。
 教練代わりの狩りで、何度か入った林ではあるけれど、遊びとわけが違う。しかもブリギッドが部下に仕掛けさせた的は、一走りしただけでは見逃すような場所にあることも多く、後戻りして射なおすこともしばしばだ。
速さと正確さを同時に求めている、ブリギッドの意図がよくわかる。
 弓騎士はそもそも、こんな林の中で遊撃的に弓を使ったりはしないのだ。馬の体を考えなければならないから、狙撃的なこともやりにくい。近接武器で戦う味方を後ろから援護するのが弓騎士なのだ。その証拠に、接敵されたら何も出来ない。
 しかし、ブリギッドの仕掛けた的に、文句を言っても始まらない。今はいかに素早く、的を全部射抜いてもとの場所に戻るかだ。
「…負けたくない」
ミデェールはそうつぶやきながら、的を射抜いてゆく。負けでもしたら最後、ラケシスに何されるかわからない。確かに、前々にあげたあれこれの悪戯も、まだ幼いころにエーディンにされはしたが、それはエーディンだから許されるのであって、今はそんなことを許せるほど子供でも寛容でもない。
 ラケシスには、まだまだ悪戯のしがいのある人間が他にもあろうのに。
 最後の的を射ったら、終わった証明に、特別な矢を射る決まりだった。やじりに特別な仕掛けがしてあって、笛のような音を立てる。
 最後の的を射った。もうあとはないはずだ。右のコースから、矢の立てる音は聞こえない。
「姫、申し訳ありませんが、弓騎士と、私自身の面子のためにも、負けるわけにはいかないのです」
ミデェールは、空に向かって、合図の矢を射った。ヒュウッという音が長く、空に吸い込まれてゆく。

 手綱を引いて、馬をとめたとき、もう一本の合図の矢がヒュウッとなった。
「まず速さは、ミデの勝ち」
お前達、的を全部持ってきな。言われて、海賊の何人かが走ってゆく。やがて、かかっと蹄の音がして、ラケシスが戻ってきた。
「お疲れ」
先にミデェールが帰っていたのを見て、
「ああ、やっぱりまた教練かしら」
ラケシスがしょんぼりとうなだれる。
「折角、無理言って出してもらったのに、ごめんなさいね」
と、馬の首をなでる。ブリギッドは、残りの手下を確認にやらせながら、
「速さだけじゃないって、いっただろう?」
といった。ミデェールは、やっぱりいやな予感がする。どこかで凡ミスを犯している気がしてならなかった。
「参りました、さすがブリギッド様です、見落としそうな的が何個あったことか」
と言うと、ラケシスもうなずいて
「そうそう。きっと一つ二つぐらい忘れてる気がするわ」
「ありがとうね、そういってくれると、仕掛けた側もそのかいがあるってもんさ」
 そのうち、手下達が、的を全部持ってくる。
「ふむふむ」
ブリギッドがその的を見てゆく。
「狙いは、まずまずかな」
「なんか、私のほうは中心をはずしているのが多いわ」
とラケシスがいう。
「短い間にここまでできるなら、上首尾ってもんじゃないかなぁ。弓騎士は、コレが普通以上にできて当たり前なんだからさ」
ブリギッドは、二つの的の成績を見ながら、やがて、にんまりと言った。
「ふふふ」
「どうされました」
「ミデ、あんた、やっちゃったね」
ミデェールはぎくっとした。的の一つをさす。その的には、どこにも、矢の刺さった跡がなかった。結果の紙を見ると、どうも、というかやっぱり、一つ見失っていたらしい。
「ああ、やっぱり」
「この間ボウナイトさまになっちゃって、舞い上がっちゃったのかな、ミデちゃんは」
ブリギットがにんまりとした顔のまま
「最後の矢が鳴った時間から、ミデの射損ねただろう的を射られたはずの時間をさっぴいたら、これはお姫様の勝ち、かな?」
退屈そうにしていたジャムカに言う。
「まあな…経験の深さからして、的を射損ねた、あるいは見失ったというのは、少し勝ちにあせりすぎたかも知らんな、ミデェールらしくない」
「そんな、ジャムカ様まで…」
矢がすべての的に当たっていたとしたら、ミデェールはその判定に少しの反駁もしただろう。しかし、目の前には矢傷のないまっさらな的がある。
「わかりました。教練は終わりです」
「そうこなくちゃ」
「ですが、時々は矢場においでになって、勘だけは維持されるように」
「はぁい」
ラケシスは、ミデェールの注意など聞いているのかいないのか、気軽な返事をした。
「ありがとう、サブリナ、あなたじゃなかったら私、まだこの狩場にいて脚のお肉もりもりになっちゃうところだった」
「サブリナ!?」
ミデェールがやおら顔を上げた。
「うん?」
ブリギッドたちが怪訝な顔をする。ラケシスは、
「私の勝ちよミデェール、お城に帰ったら、私の部屋に来てね」
と、言いながら、馬を走らせていってしまった。
「サブリナ…って、馬のこと?」
「フィン卿の馬です。軍の中で一番賢いといわれていて…姫にもなついているのですよ…」
「お守りの伏兵か…」
「…とんだ裏技だ」
ジャムカが処置なし、と頭をかいた。

 「突然サブリナを借りたいと仰るので、どうなさったのかと思いました」
と、部屋にラケシスの機嫌を伺いに来たフィンが、怪訝な声を出す。
「あの子のおかげで、弓の教練はおしまいになったのよ、後であの子をうんと褒めてあげて」
「…はぁ」
フィンはまだ何のことだかわからない、と言う顔をしていた。が、
「王女」
と、部屋の違和感に気がついたような声で言った。
「新しいメイドを、お雇いになりましたか」
「ええ、一日だけね」

『一度徹底的に、あなたにこういう格好させてみたかったのよ。絶対似合うと思って』
ラケシスは、部屋に来たミデェールに、衣装一式を渡す。あつらえたようにぴったりの(いや、あつらえたに違いない)メイド服にヘッドドレスをつけられ、髪を白いサテンリボンで蝶結びでまとめられ、
『ほら、どこから見ても、かわいいメイドさんだわ』
ラケシスは、鏡の中で、小悪魔的に微笑んだ。
『悪夢だ』
ミデェールは、鏡の中を見てそう呟きたくなるのをぐっとこらえた。
 鏡の中の自分が、違和感がないほどその格好に馴染んでいるのが、さらに悔しい。

をはり。

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