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弓騎士の憂鬱


ミデェールが好きな方、ミデラケが好きな方は読まないほうがいいと思います…(因)


 「どうしたのさ、ミデ。そんなに真っ暗な顔して」
近接武器を使う教練場から少し離れて、矢場がある。自分の弓を杖のようにして、たはぁ、とため息をついた弓騎士ミデェールに、たまたま通りかかったブリギッドが話しかけた。
「せっかくのいい顔が台無しじゃないか」
「あ、ブリギット様」
ブリギッドは、ぷか、と、イザーク渡りの細い煙管を吸った口から煙を吐きながら、
「なにかあったの。話してごらんよ、あたしでいいならさ」
「はぁ」
主筋の公女に下手な取り繕いなどできるはずもなく、ミデェールは、今しがたあったことをぼつぼつと話し始めた。

 「ミデェール?」
ころころと、鈴を鳴らすような声が、矢場に入ってくる。
「ミデェール? ここにいると聞いたのだけど」
「ここにおりますよ」
と返事をして振り返ると、そこにはラケシスの姿がある。ミデェールは反射的に
「あ、失礼いたしました、ミデェール、ここに」
ついと片膝をつくと、ラケシスはのっけから
「あのね、一つ、お願いがあるのだけど」
と言う。
「は、私に出来ることなら」
「弓を、教えてくれないかしら」
「弓、ですか」
「ええ。どうしても必要なの、あなたの力が」
ラケシスは朗らかにそう言い置いて、
「よろしくね、明日の今頃、ここに来るから」
と、さっさと帰ってしまう。その入れ違いに、ブリギッドが来た、と言うわけだ。

 「へぇ、お姫様は弓騎士に転向かい?」
ブリギッドがそういうと、
「いや、そうではなく」
ミデェールは返す。
「聞いたお話によると、ラケシス姫は只今、マスターナイトへのご修養の途中だとか」
「マスターナイト?」
「はい、すべての武器魔法を修めて、徳を積まれた方に贈られる、至高の騎士の称号です」
「それはご大層なものにおなりになるんだねぇ、お姫様は」
「すでに剣には天恵により十分な素質がおありですし、槍の技術については、使い手も多くていらっしゃいますから、あらかた修められたとは伺っていました」
「それでミデの番なのかい」
ブリギッドはまたぷかりとして言った。
「水臭いねぇ、エーディンに言ってくれれば、いつでもあたしが相手するのにのに」
「おそらく、馬上での弓の扱いを重く見られて、私をご指名になられたのかと」
「ふぅん」
燃え尽きた煙管の中身をぽい、と地面に投げ落として
「まぁいいさ、相手してあげなよ。
 話に聞く限りじゃ、まんざら運動神経が悪いというわけでもなさそうだし」
「はい」
ミデェールはそう答えはしたものの、
「ブリギッド様は昔の話をご存知じではないですしねぇ…」
と、やっぱりため息しか出てこなかった。

 ラケシスとミデェールの面識は、昨日今日の話ではない。
 まだ、シグルド軍がアグストリアにいたころ、どこかの拠点で一人で弓を引いていたときに、ひょこりとラケシスが顔を出してきたことがある。
「いかがされました、そちらは危ないですよ、私の後ろでご覧になってください」
と、弓を引きながら言うと、ラケシスはちょこちょこと後ろに来て、ミデェールが手持ちの矢が尽きるまで弓を引き終わるのを見ている。
 そのあとで、ラケシスはミデェールに、
「私、勘違いしていたわ」
と言った。
「何かありましたか」
「私ね、あなたをずっと女の人だと思っていたの」
「は?」
「でも、女の人にしては、肩が大きいなと思って、変だなって」
確認して、気が済んだわ。ラケシスはあっさり言って、矢場を出て行った。

 「あははははははは」
ブリギッドが笑いを抑えられず、つい声になる。
「確かに、その顔じゃ、男装の麗人と間違えられても仕方ないねぇ」
気にしていたことをぐさりと言われて、ミデェールは、
「私の顔の持ち合わせは、この一つきりないのですから、勘違いされるのは別に構わないのですが」
「でも、それと弓を教えるのとは、関係ないだろ」
「そういうことが引き続いて、実はあの姫が苦手なのです」
「へーぇ」
珍しいこともあるもんだ。ブリギッドが裏返った声を上げる。
「あんなに可愛いお姫様、苦手なんていうのはあんたが初めてだよ、あたしは」
「はぁ…
 実は、こういうこともあって…」

 やっぱり、矢場にラケシスが顔を出す。ミデェールはそれに気がつきはしたものの、なるべく無関心を装おうと、そのまま、番えた矢で的を狙っていると、
「あ!」
とラケシスが声を上げ、
「わっ」
その声でミデェールが矢を取り落とす。
「どうされました、大きなお声など出されたら、気が散ってしまいます」
ついいいとがめてしまうと、
「ミデェールの髪が解けそうだったのよ」
ラケシスはそう角口した。この顔で長髪では、確かに男装の麗人に間違われても仕方のないことだとは思うが、短髪にしても結局同じだろうから、うるさくならない程度にまとめていたのだ。
「直してあげる」
無造作に束ねただけの髪を櫛か何かできれいにとかし、髪留めでもう一度括って、
「これでよし、と」
ラケシスはいとも朗らかに言って、しばらくミデェールの練習を見て、かえって言った。
 そのあと、矢場から出てきて、他の練習を邪魔しないようにわきをすり抜けてゆこうとすると、なぜか背後で笑い声がする。
「お疲れ様、ミデェール」
と出迎えてくれるエーディンも、
「ぷくっ」
と吹き出しそうなのを堪えて背を向けた。ガラスに映る自分の姿に、ミデェールはぎくっとした。髪留めに、サテンのリボンが蝶結びになっている。ラケシスを探し出してそれを返しながら、
「頼みますから、あまりこういうおいたは」
と言うと、
「似合うと思ったのに」
とラケシスはまた角口をした。

 「…そういうこともありまして…そういえば、三つ編みにされたことも」
とミデェールがうなだれながら言うと、ブリギットはすでに笑い声も出せず、肩を震わせている。
「…わかった、よくわかった」
ブリギッドはやっと出てきた喋る息で、
「つまり、お姫様にとってミデはオトコじゃないんだね」
「そういうことになりますね」
「そんなおいたがあって、進展しなかったのもわかるわ」
「それとこれとは別の話ですから。たまさかそうなったとしても、今頃私は姫に振り回されていますよ」
ミデェールは苦りきった顔で言う。
「それはともかくとして、、明日とうとう本格的に弓を教えて差し上げなければならないとなると…」
「モノになるまでは、頻繁に顔を合わせることになるだろうねぇ」
「ブリギッド様、何で私なんでしようねぇ」
「ミデ、あんたさっき自分で言ったじゃないか、弓騎士だからだろ」
「そうですよね」
「あたしかジャムカが立ち会おうか? まず地面の上で弓が引けないと話にならないだろう」
「できればそうしていただけるとありがたいです、差し向かいでは…ちょっと…」
「はいはい、だからもうそんなしけたお顔をしなさんなよ、ミデ」
ブリギッドは、ミデェールの肩をぽん、と叩いて、
「さ、私も少しやっとこうかな。
 こうものんびり暮らしがつづくと腕がなまっちまう」
と、自分の弓矢を取りに言った。

 翌日。
「よろしくお願いしますね」
深々と頭を下げるラケシスに、ミデェールが困惑しているような悪戯心など、かけらもないように見える。
「お姫様、今日はいつもの彼が一緒じゃないんだね」
ブリギッドが混ぜ返すと、ラケシスはぽ、と目じりを染めて
「今日は、弓を教えてもらいに来たので」
と答える。
「いいのかねぇ、ミデだって、顔はこんなだがまだ独り身のオトコなんだよ?」
「はい、わかってますわ」
と言う言葉には、すでに眼中にあらず、という雰囲気がにじみ出ている。
「さて、練習に入ろうか。
 まだ、馬の上で弓を使うのは、お姫様には難しいね。だから、まず、地面の上で慣れよう」
「はい」
ブリギッドの言葉には、存外に素直にラケシスは反応する。
「ミデェール」
それを遠巻きに見ながら、付き合わされたジャムカがいかにも同情するように言った
「とんだご指名うけたな」
「痛み入ります」
「別に彼女がマスターナイトになろうがどうだろうが、俺にはとんと関係のない話だが…俺に来たらどうしようと思ってた」
あの姫は苦手だ。ジャムカは少しく当惑した顔で言った。
「俺の額のコレを」
と、彼は自分の額にあるしるしを指し
「押したら目が光るのかとか、頭のこれはいつもつけていたら蒸れて薄くなるぞ、とか」
「お察しします」
「姫は弓使いに何か恨みでもあるのだろうか」
「さぁ」
二人は、とにかく、ブリギッドが、基本の基本をラケシスに教えるのを見ていることしか出来なかった。ラケシスが、ブリギッド以外の二人の弓使いをおもちゃにするのは何故なのか、それは何年かかっても解決しない疑問だろう。
「お姫様、違う違う、弓は利き手にもったらダメなんだってば」
初日がコレで、マスターナイトとして十分な技量になるまでいつまでかかるのだろうか。二人はそれぞれのしぐさで頭を抱えた。

 まずは、矢を使わず、弓の引き方から。力任せなのか器用なのか、ラケシスはすぐ、弓の開き方を覚えた。
「スジがいいじゃないの、お姫様」
「ありがとう」
「弓はね、毎日引くといいよ。いつもつんと上向いてる、可愛い胸になるからね」
「ま、そうなの」
「あたしが言うんだから間違いないよ。
 さ、そろそろ、矢を使ってみようかね」
 ところが。
「あ」
引き絞っていた弓から、するっと矢が外れる。引き絞りすぎて、指から外れてしまうのだ。
「うーん、あの弓より張りが強いのは、もうないんだけどなぁ」
ブリギッドが困惑した声を出す。
「実戦用の出すか?」
「それしかないねぇ」
「銀の弓なら何とかなるか」
「出してくる」
ブリギッドがそういって、武器庫に入ってゆく。しかしラケシスは、じいっと、矢場の片隅においてある弓を見ていた。
「あの弓は?」
と聞くので、ミデェールが
「イチイバルですよ」
答えると、ラケシスは嬉々として
「あれ、使ってみても平気?」
と言う。
「いけません」
「どうして?
「どうしてって、ユングヴィ家に伝わる伝説の弓ですよ、引けるのは代々継承者のみと決まってます」
「でも、ここの弓、ゆるいんだもの」
「それは、姫のお力が弓よりまさっているからで」
「一回だけ。ダメなら、もう触らない」
しかしもう、ラケシスの手はイチイバルをしっかり持っている。
「姫!」


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