理由なき反抗773?Level without a cause?

わかなさんに。

 リーフの部屋の中からは、こそとも動く音がしない。
 フィンが通りかかったのは、その扉の前で立ち尽くすジャンヌの後ろ姿だった。
「?」
その気配に気がついて、振り向いたジャンヌが無言のまま扉を指す。時間といえば朝というには余りにも中途半端、朝食を終えた開拓村の人々は、とうに昼の仕事に出発した頃合だ。
 ジャンヌを去らせて、フィンが扉を叩く。
「リーフ様?」
返事はない。
「…失礼します」
入って、ごちりと、足に感触がある。
「?」
昨晩から探していた本が、ページのなかばを開いた状態で床に伏せてあった。そういう本が散らばって、リーフ本人は平服のまま、寝台にうつ伏せのまま意識を失っていた。やっぱり、指にページをからめたまま。
「リーフ様」
寝台の面を叩いて、その正気を促す。
「リーフ様」
「…ん」
頭を左右にひねってから、リーフが頭だけをもたげる。
「おはようございます」
「なんだフィンか」
「…お早く朝食を。片付きませんので」
「いらない。寝る」
「それはいけません」
フィンはリーフを起き上がらせようと、腕をとった。
「朝食を摂らないのが一番お体に悪いのです。簡単でもよろしいですから」
「寝たのが明け方なんだ」
リーフは愚図るように声を上げた。それでも引っ張られるように、寝台に腰をかける姿になる。その姿を見届けてから、フィンは床の本を拾い上げはじめる。
「ずいぶん熱心しておられた様ですね」
昨晩フィンは、レンスター王国の沿革を話していた。この様子を見ると、彼の思惑…そういっては失礼か…、亡国の、と、寂しい形容詞付きだが、王子というその身を一層自覚したか、と内心嬉しくないでもない。ひょっとしたら、そういう嬉しさが、少し言葉尻に滲んでいたかも知れない。
 脳に血を送るように、リーフはまた頭をぶるぶると振った。そして。
「フィン」
と改まる。
「はい」
「僕は、王子だよな」
「はい」
「本当に?」
「ほんとうに、とは」
リーフに似つかわしくない雰囲気の言葉がかえってきたので、フィンは思わず本を拾い上げる手を止めた。
「今の僕は僕じゃないみたいだ」
「いったいどうされたのです?」
「見て分からないか? 僕はずっと勉強していたんだよ。国が存亡の危機にあったときに、王家は一体何をしたかっていう」
フィンに一瞬、「イヤな予感」が過った。リ?フの答えは案の定、だった。
「僕は、逃げているのか?」
フィンは冷静に答えた。
「いえ」
「そうかな」
リーフはふん、と一つ鼻で笑った。フィンを小馬鹿にしたように。
「私は王子のお父上から王子に関して一切のことをまかされております。お身の上に一大事があったらコトです。国を中興も何もありません。
 だいそれた御考えはなされないように」
「百歩譲ってそうしておくよ。でも、それでいいのか?」
「それがいまの最善の方法と考えております」
リーフが顔を上げて、とうとうと語り出す。表情に滲む自信に満ちた説得力のかけらに、ふと亡き主人の面ざしを思いだしたフィンだったが。
「僕の考えたのはこういう方法だ。
 僕はレンスターに戻り、僕がかえって来たことを知らせるんだ。レンスターの民は、僕が帰ってくるのを待っているハズだからね。
 僕が帰りさえすれば、レンスターを自分のものにしようとする力に抵抗する勇気が、きっと出てくると思うんだ」
「それは危険すぎます」
フィンは即答した。
「どうしてさ」
「お言葉ですが、王子お一人お戻りになられても、国威はそう簡単には戻りません」
その国威とやらを早く回復させたいというのはフィンのほうがもっと強く望んでいることである。リ?フのように空想でない、ユグドラル大陸の東で栄えていた往時の姿は、今の所、フィンしか知らない。
「それ、僕を諦めさせたくていっているのか?」
「めっそうもありません。ですが、今お急ぎにならなくてもいいのです」
「悠長なんだな。お前だってほんとうはそうなんだろう?」
「気を見よということを私は申し上げたいのです」
「…何があっても、僕はもう往事として立派に責任が持てると思うけどね。誰かの教育がよかったらしい」
「王子、お急ぎにならずに」
フィンが言うと、リーフはすくっと寝台から立ち上がった。
「いや、僕はもう十分待ったと思う。
 僕は、僕の国を今のままにしておくのを黙って見ていられないんだ。
 …レンスターに帰る」
「承服いたしかねます」
「じゃあ、お前はついてくるな」
「王子!」

 コトを実行に移すには物資や時間に余裕がなさ過ぎる。そういうフィンの必至の説得で、一時はリーフの気持ちもおさまったかに見えた。だが、それから二人は無口になる。必要以上の言葉を交わしもしない。
「…フィンがあんなに臆病だとは思わなかった。僕が帰るっていえば着いて来てくれると思ったのに」
子供達だけになったときにそうこぼすと、ジャンヌは
「レンスターのことをいちばん知っているのはあの人だわ。フィン様がダメというなら、それなりの理由があるはずよ」
と返した。
「リーフさま、やっばりここにいた方がいいのではいかしら」
「いや、僕にはもうそんなことは言っていられない。
 今僕を必要にしている人がいるかも知れないのに」
寝台の上で腕を組むリーフ。その傍らに座っていたナンナが
「リーフさま、どこかおでかけするの?」
と聞いた。リーフは「ん」とその方を向く。
「ああ。レンスターに帰ろうかと思うんだ。ナンナも来るかい? あっちで君の母上のお帰りをまとうよ」
「うん」
ナンナが首を大きくたてに振った時、
「そういうわけには参りません」
と声がした。
「フィン」
「フィン様」
「おとうさま」
フィンの顔はいつになく焦った色をしていた。言葉がすぐには出ずくちをぱくぱくさせる彼の、言いたいことはすぐ悟られて、
「止めるなよフィン。僕はもう一人でもやるって決めたんだ」
「王子、お思い直して下さい」
やっとフィンから言葉が出る。
「十分考えたよ。だからそう決めたんだ。
邪魔するなよ」
フィンは無言のままでリーフに近付いた。そして。すぱん!とリーフの片頬を張った。
「!」
ジャンヌは光景を見て固まり、ナンナは短い叫びを上げた。
「…」
フィンはそのまま部屋を出る。歪みそうな音を立てて扉を締めた。その行動に対して怒っていいのか分からない、という呆然とした体のリーフの横で、ナンナは
「リーフさま、おとうさまとケンカしないで」
と泣き始めていた。

 翌日。
 開拓村には、子供達と数人の大人がいた。大人の中にはフィンもいる。開拓の技術は分からなくても、と、村の警備を進んでかって出ているのだ。
 リーフは、子供の中でも大きい方だったが、まだ働き手となるには小さかったため、村にとどまっていた。いつもなら、フィンと馬術なり学習なりしているものだが、あの通りなので目をあわそうともしない。ジャンヌ達はもっと小さい子供達の相手をしている。
 見たところ、のどかにな開拓村の午後には変わりない。ところが。
 大人が一人、村に走って戻って来た。
 伐採した木の倒れる方向が狂って、逃げていたはずの何人かを巻き込んでしまったと言う。救助をしようにも、力が足りないと言うことだ。
「人が、後少し、それに、馬がもう一頭いれば」
探るような大人の言葉に、フィンは即答した。
「私の馬を出しましょう」
「え、いいのですか、騎士さま」
「大丈夫。それより、木に挟まれた人の安否のほうが先です」
てきぱきと、フィンは馬を出してくる。遠巻きに光景を見ていたリーフにやおら近付き、
「良いですねリ?フ様」
と言う。リーフは憮然とフィンの辛気くさそうな顔を見上げて何も言わない。フィンは返答を待ちたそうだったが、他の人々にせかされて村を出ていった。

 そのすがたが見えなくなってから、
「今だ」
と、思い立ったようにリーフがいった。
 子供達の世話に戻ろうとしたジャンヌを呼び止めて、
「僕はいくからな」
と言った。何をしようとしているのかは、ジャンヌにもすぐ分かった。
「本気だったんですかリ?フ様」
泡を食う。
「ふ、フィン様は、リ?フ様に、ご自分のかわりに村を守れと仰りたかったんじゃ」
「それを僕は知らなかったことにする」
「そんな」
目を白黒させるジャンヌに言うだけ言って、リーフは近付いてくるナンナの手をとって
「さあ行こう」
と言った。
「行こうって、リ?フ様、なんの御用意もなく」
言うジャンヌにリーフはにやりと笑う。
「部屋を見てごらん」
荷物は既に整っていた。夜なべ仕事にこんなことをしていたのかとジャンヌはフィンに代わって天を仰ぐ。
あまつさえ、
「ジャンヌも来るよね」
とナンナにいわれ、
「ここまで聞いたからには君も運命共同体だからな」
とリーフにいわれては、もうどうしようもなかったのであった。