夕方近くなって、けが人を伴った村人達が帰ってくる。
 安否を確認しようとしばらく騒然となる村の中で、フィンは手当ての手伝いをさせようとして
「ジャンヌ?」
呼んだが返事はない。
「ナンナ?」
父の姿を見ればどこからでも大喜びで駆け寄ってくるまな娘の姿もない。
「リ?フ様?」
案の定、小さな主人の姿は影形ない。
「しまった!」

 少し時間が遡る。
 リ?フ達は、森を、今大人達が開いているの方途は逆をさして歩いていた。
「でもリ?フ様」
ジャンヌはまだ釈然としない声を上げている。
「レンスターがここからどの方向にあるか、分かっているのですか?」
「…でも多分こっちの方なんだ」
と、リーフは自分の進んでいく方法を指した。といっても、リーフがこの道を通ったのは実に数年前のこと、しかも、村に入る方向(つまり今の逆)に一回通ったきりである。リーフは今、自分の野生の勘を総動員している。
 ただ、開拓は、森の奥に向かって進んでいると教えられていたから、その逆徒思しき方向に進んでいけば、レンスターにすぐという虫のいいことにはならなくても、大きな街道にでもぶつかるのではないかと、漠然と考えていた。
「おとうさまもくればよかったのにね。
 レンスターにはおとうさまのおうちがあるのよね」
村に着いた時にはまだ人心地もなかったナンナは、リーフの後になり先になりして、始終御機嫌である。ジャンヌは、もしかして誰かが自分達に気が着いて後を追って来はしていないか、時々後ろを振り向いていた。

 森の中には、何本も道が通っている。旅人達が、何百年もかけて踏み固めて作った道だ。
 そして、その無尽に走る小道と、どこまでも風景の変わらない森の魔力に、リ?フ達は捕われ始めていた。
 途中の分かれ道を見誤り、彼らは、本当に「帰る」道とは違う道を歩き始めていたのである。

 だが村の大人達は、なまじちゃんとした道を知っているだけに、間違った道を歩いているとはすぐには気が着かない。だから、誰かが、
「道に迷ったかな?」
と言い出したのは、正しい道をいってかえって来た時であった。
「ほら、途中、ずいぶんと分かりにくい分かれ道があっただろう」
「しかしリーフさまに、しっかりもののジャンヌちゃんまでいて、そう道に迷うとは」
「なんのかのいっても、村から出たことはないしなぁ」
「とにかく、迷った可能性のある道を探してみよう」
大人が三々五々村を出てゆく。対策本部になったフィン達の家では、残った女が一人、ごっそりと座ったままうなだれているフィンの側にいた。
「フィン様、そう気を落とさずに。大丈夫、ちゃんと帰って来ますから」
「は、…ありがとうございます」
「奥様は結局行方知れずになってしまったけれど、子供には神様がついでらっしゃるものですから」
女はあっけらかんと言って、
「うちでお夕飯でもどうです?」
と肩を叩いた。

 再び、森の中。
 何回も左に曲がり、右に曲がり、道は気が着かない程徐々にせまくなってくる。ナンナがふと立ち止まって、
「リーフさま、すこしやすみましょ」
と言った。
「日があるうちにもっと先に行っておきたいな」
と、先頭のリーフが振り向いた。
「でも、もう大分歩きました」
とジャンヌ。
「…そうだね。じゃ、この先で、ちょうどいいところがあったら、そこで休もう」
三人はまた歩き始める。が、ジャンヌがふと足を止めた。
「…水の音?」
「え?」
あとの二人も立ち止まって耳をすます。進む方向から聞こえてくる。
「こっちだ」
果たして、川があった。道はそれに一度断たれながら、それでもその向こうに続いている。しかし、渡る橋はない。
「橋、ながされたのかな」
「かもしれません」
「参ったな」
至宝を見回す。橋の変わりになりそうなものはない。しかし、川には、いかにも渡って下さいとばかりに大きい岩がいくつか、頭を出して浸かっている。
「仕方ない。岩伝いに渡ろう」
僕の後に着いておいで。リーフは二人にそういって、石の一つに跳び乗った。さいわい、石は川底に深く食い込んでいるらしく、リーフの体重ぐらいではびくともしない。
「さ」
と、手を差し伸べる。ナンナは
「はい」とその手をとって、石に乗る。

 そういうことを何回か繰り返して、意外に幅の広かった川もそのなかばまでやって来た。
 一つ、石と石との間が広く離れていて、跳び乗った瞬間、リーフはバランスを失いかけた。
「よっと」
足の力で立ち直って、リーフは後ろを振り向いた。
「ナンナ、来られるかい?」
「だいじょうぶ」
ナンナはリーフのまねをして、同じ岩に飛び乗ろうとした。だが、ほんの少しが届かない。
 岩にほんの少し届いたつま先は、前に進もうとするナンナの身体を支えきれなかった。
「あ!」
叫びを上げて、ナンナは差し出されていたリーフの手を取ろうとした。リーフはさらに手を伸ばして、ナンナの手をとったが、二人は重なりあうように水の流れの中に落ちた。
「!!」
ジャンヌが硬直する。だが、川は浅く、川底には砂がたまっていたものらしい。ただ濡れ鼠になっただけで二人はすぐ立ち上がった。
「うん、あとは歩いてもよさそうだ」
リーフはいって、ナンナの手をひく。だがナンナは、
「…いたい」
と呟くように動こうとしない。
「痛い?」
リーフは彼女の顔を覗き込む。
「どこが?」
「あし」
「歩ける?」
「わかんない」
「…」
リーフは思いつめた顔をして、おもむろにナンナを抱き上げた。
「ジャンヌ、先を歩いてくれ。どこでもいいから休もう」

 木と木の間から、夕日がさすちょっとした空間があって、三人はそこに座り込む。
「今日はもう歩けないな」
と、ナンナの足を見ながらリーフはいった。
「ごめんなさい」
ナンナがしんみりとした声を出す。
「いや、君を支えられなかった僕が悪い」
リ?フはそう言って草の上にへたり込む。
「どれだけ、歩いたかな?」
「見当もつきません」
ジャンヌが荷物から取り出したランタンに火をつけた。
「ありがとう。
 今夜はここで寝ることになるかも知れない。明かりは獣が嫌うらしいね」
ジャンヌは、本当ならもう帰りたかったのだが、疲れと焦りで、覚えて来たはずの村の方角を覚えていなかった。ならば、ここで一晩寝て、明るくなってからリーフを説得して帰ろうと思った。
 そうしている間にも、木々の間から見える空は夕焼けの紫にどんどん青が入り、ランタンがぼんやりとあたりを照らすようになってくる。光があるうちに、あるもので夕食をとり、ナンナを間に挟むように三人は一つの固まりになった。濡れたナンナがいかにも寒そうだったから。

 会話が途切れた。それまで楽しそうにしていたナンナがふと黙り込んだ。
「ナンナ?」
「…」
ナンナは、涙の粒をランタンの明かりにキラリと照らして、
「おうちにかえりたい」
と言った。
「これから帰るところだろうに」
「おとうさまのところにかえりたい」
ナンナはそのまますすり上げた。
「あーあ…」
リーフは戸惑いと呆れと焦りの混じった変な声を上げて、ナンナが腕にかじり付いてくるままにしている。ジャンヌは泣いてなかったが、今にも泣きそうな顔をしている。
 嗄れた、不機嫌そうな鳥の泣き声が聞こえる度に、ナンナの肩は震える。
「大丈夫。すぐ朝になるから」
リーフは半分自分にいい聞かせていた。弱い風が吹く。風が、何かの物音を運んで来て、三人はは、と顔を上げた。
「何?」
ジャンヌが声をあげる。
「わからない。
 ジャンヌ、ナンナ、ここにいろよ」
リーフはできるだけ物音をたてないように、荷物の中から剣を出した。物音がする方向に、剣をかざす。柄を握る手が震えていたが、それが他の二人に見られなくて良かったと思っていた。
 物音は、下草を踏んでここまでやってくるように感じられた。だが、次いで見えた輝くものに、
「は?」
と毒気を抜かれた。

 リ?フ達が留まっていたのは、結局、道を回り回って開拓現場に程近い、大人達が休憩に使う一角だったのだ。
 そのまま大人達に導かれ、村に向かう道をつたって、村に戻って来た。
 知らせを受けていたフィンが、待ち構えたように駆け寄って来て、恭しく膝を着いた。
「…御無事で」
吐き出す息でぼそぼそといった。
「…うん」
リーフはそれだけしか言えなかった。

 「いつかは、申し訳ありませんでした。」
落ちついて、フィンが言った。
「?」
「王子に手を上げました。それで今度のことをお思い立ちになったのかと思いました」
「いいよ」
リーフはあっさりといった。
「あそこで、大人達を待ちながら、ずっと考えてたんだ」
「はい」
「ごめん。ナンナに怪我をさせた」
「いえ、あれは彼女自身の不注意です」
「そうじゃない。僕がちゃんと手をひいてあげていればあんなことにはならなかった」
リーフは手の中のマグを弄ぶ。
「…あんなに小さい子ひとり守れなくて、どうしてレンスターの民を守れると思っていたんだろう」
お前のいう通りだよ。リーフはうつむいた。
「僕は勘違いしてた。その意志さえあれば何でもできると思ってた。でも、僕自身はまだ、その意志に追い付いていない」
「…」
「フィン、お前は、偉いな」
「はい?」
フィンが変な声をあげる。
「僕が、本当に、レンスターにとって必要な人間になるのを、じっと待っている」
「私は、王子を信じていますから。いつか、失われたレンスターを取り戻されると」
「…できるかな」
「王子にならきっと、できます」
珍しく、フィンは口元を綻ばせていた。
「…ナンナの様子を見て来ます」
と立ち上がるが、すれ違い様、リーフは彼の服の端をとらえた。
「?」
「いいから、座ってくれ」
フィンは言われるままに、リーフの隣に座る。と、リーフはフィンの胸板にごん、と額をぶつけてきた。
「王子?」
「…怖かったんだ」
リーフが言った。涙混じりに聞こえたが、それには何も言わないことにした。
「はい」
フィンは、つい、リーフの頭に手をおいていた。

 以上で、このてん末は終わりである。
 ときに、ユグドラル暦七七三年。
 リーフ十三才、レンスタ?奪回の旗をあげる三年程前のことである。

をはり。

<コメント>

わかなさん、5000カウントゲットおめでとうございます?♪
いや…難しかったです。リーフをちゃんと書いたことがあまりなかったもので(笑)
なんか、書いてて小生意気なリーフになりましたがいかがでしたでしょうか(汗)
主旨とずれていたらごめんなさい。このラストが書きたくてがんばりました。
ええ、毎度のことながら、いい経験しました♪
どうか、これからも、ごひいきに。

19990812 清原因香


←読了記念に拍手をどうぞ