back

 物見に出ると、確かに、セティが魔導書を手に、何かを唱えているようだった。
「…あれは」
エルウィンド。まだ少年のセティが、限界に鍛え上げられた風をどう御するか。レヴィンは、なるべく気配を殺して、その様子を見ることにした。
「…邪なるものは滅せよ、エルウィンド!」
と、手を払ったその先に出た風は、翡翠色に輝く刃になり、狭いといっても相応の距離がある、向かい側の山肌に当たり、砂煙を上げる。少し遅れて、ざんっ…、という直撃音が響く。
「見事だ」
レヴィンは心底からそう言った。
「父上!」
振り向くセティに、レヴィンはぽんぽんぽん、と拍手をして、
「そのエルウィンドが扱えるなら、フォルセティも近いな」
そう言った。
「父上の書庫から、黙って持ち出してしまいました、すみません」
「いや、別に。いずれ全部お前が使うだろうから、あそこにある魔導書はすべて使ってみるがいい。
 お前なら、一足飛びにセイジになれるかもわからないな」
「セイジ、ですか」
「教会に話をしておこう。杖のことを教えてもらえるように」
「あ、ありがとうございます」
セティは、図らずも父から手放しにほめられて、嬉しがっていいのか困った顔をしている。
<皮肉な話だが、風の未来は安泰のようだな>
そのセティには聞こえなかったが、レヴィンの中では、フォルセティが笑っていた。

 トーヴェの夏は、寒い日には暖炉に火を入れるほど寒い。その暖炉のまえに、敷物をしいて、
「さて、何の話をしようかな」
というと、フィーが早速
「はい、はい」
と手を上げる。フィーが手を上げるとなると、話題は大体決まったようなものだ。
「さて、シグルドの何を話そうかな」
「あ、えと」
フィーは少し考えて、
「セリス様の、お母様の話を」
と言った。今までシグルドの武勇談をせがんでいたのに、年が重なると趣味も変わってくるのだろうか。
「その話を聞きたいと言い出したのは初めてだな」
「だって、シグルド様は、戦場でもセリス様を離さなかった、それ位大切で、お母様に似てくるのに会わせて上げられないのが切ないって…」
「…フュリーだな」
振り返ると、フュリーはレースを編みつつくす、と笑った。
「そうだな、何から話そうかか」
「最初から」
「最初からとは長いな。話している間に眠ってしまうぞ」
「それでもいいから」
祈るように手を組むその姿に、
「やれやれ、困ったねぇ」
と言いながら、レヴィンは吟遊詩のような話ではなく、思い出話をするように、ゆっくりと話し出した。

 しかし、セリスが生まれた辺りを話し始めた辺りで、フィーはすうすうと寝息を立ている。
「言わんこっちゃない」
レヴィンは苦笑いをして、メイドにフィーを眠らせるように言う。
 二人だけになって
「…今度は、少し離れすぎたな。子供が一足飛びに大きくなって、びっくりしたよ」
つくづくと、レヴィンが言う。
「連綿と、命は続いてゆくのだな」
「…はい」
フュリーが、立ち上がり、ゆっくりと暖炉の前に座った。
「レヴィン様、少しお変わりになりましたね」
「変わった?」
「はい。…前は、人の命のことなど、まるで意識にないようなことばかりおっしゃって…後にも先にも、人の命のことで何かの感情を示されたのは、お姉様がなくなったときだけ…」
「マーニャは、また特別だったからな」
「今でも、特別ですか?」
「特別だったら、どうする?」
「かまいません。私も、特別ですから」
二人の間で、マーニャは、ある意味別のものに昇華した。シレジアが、辺境ではあっても独立を許されたその代償として、ラーナと一緒に、教会で聖印を守っている。
 レヴィンは、ごく自然に、フュリーの肩を自分のほうに寄せていた。
「…レヴィン様」
「今度の旅は、少し長すぎた」
「なにか、ありましたか」
「ありすぎて頭の中がどうにかなりそうだ」
「あまりご無理をなさらないで…見送るたびに、最後にならないように祈るのは、私はいやです」
「…」
レヴィンは、体の中のフォルセティの反応を見た。砦の竜も気を使うのだろうか、気配はない。
「もし俺が」
「はい」
「砦の竜と同化して、これ以上老いもせず、死にもしない体になった、といったら、どうする?」
「…」
フュリーは、少し驚いたような、そんな顔をした。半分は嘘だが、半分は本当だ。レヴィンの肉体は、時間によって普通の人間のように衰え、そして完全にその機能を失うときが来るだろう。しかしレヴィンは、フォルセティに体を貸した代償として、その記憶をフォルセティにあずけた。バーハラの悲劇の語り部として、また、つぎロプトウスがよみがえった時のための語り部として、フォルセティの中で生きることを許されたのだ。
「神風を下さった竜と心身一体になるなど、フォルセティの末裔としてこれ以上の栄誉はないではありませんか」
フュリーはそう答えた。暖炉の火がほどよく回り、ほの暖かい敷物の上に、自然と、そうなるべく、二人は折り重なる。
「レヴィン様、もしかしてそうなりましたの?」
「いや、ただのたとえ話さ。セティはいずれ、俺とほとんど同じだけの魔力を持つだろう」
するすると、睦みあうような格好になりつつ、レヴィンは言った。
「…でも、しばらくは、なるべく頻繁に帰ろうと思う」
「…はい、子供達も喜びましょう」
「…旅立つときに、俺がフォルセティを置いていったら」
「…はい」
「新しい時代が始まったと思って、ここで楽しみに待つがいいだろう」
「…は…い…」

 何でもない睦み事で合ったはずなのに、フュリーはもう立ち上がることも出来ず、そのまま眠ってしまった。そのままにもしておけまい、レヴィンは敷物ごと、フュリーの体を抱き上げて、寝室に運ぶ。
<やはり、竜との睦み事は、ただ人には重荷であろうか>
フォルセティが言う。
「しかし、何もないでは逆に不思議がられるだろう」
<こうして、お前が添っているだけで、彼女のエーギルは減り続いている>
「黙ってろ」
一言言うと、本当にフォルセティは黙った。推測するに、子供達は、血脈があるのでエーギルが奪われることに対して抵抗できるのだろう。
 メイドと一緒に寝支度を済ませ、後は任せたと、物見に登ると、ぼんやりとほの輝いて、アクィーラがいた。挨拶をするように、一度ゆっくりと目を閉じて、
<あまり心配しないで。エーギルは時間と共にまた補われていきます>
「そうでなきゃ困る」
そうして、眠りにおちたレヴィンの代わりに、フォルセティが目を覚ます。竜の目が、ぼんやりと、夜目にも翡翠色に光る。
<フォルセティ、随分意地悪なことをするものね。エーギルを与えることが、まさか出来ないあなたでもないでしょうに>
「レヴィンとして接するからには、奪うことしか出来ない」
山から下りる冷たい夜風もモノともせずに、二人はそこにいる。
「…フュリーは我が妻ではない」
<すべては、エーギルの法則のままに…
 かわいそうにレヴィン。私の預かるマーニャの魂を乗り越えて、フュリーを芯から愛しく思えるようになったのに>
「運命と思えばそれを享受する。バルドの裔を見て学ばなんだとしたら、目を覚ましたときに灸の一つもすえるか」
くくく、と低く笑うフォルセティを、あきれるようなまなざしでアクィーラは一瞥して、
<今借りているからだが大切なら、そんな薄着一枚でこれ以上こんなところにはいないことね。風邪を引くわ>
「風の竜が風邪を引くのか? 面白い冗談だ」
<フュリーがつききりで看病したら、それこそ、彼女の体を危なくするわ。そう言うことをする子だと、私の中でマーニャが言ってるもの>
「わかった、そうしよう」
フォルセティが戻る挨拶代わりに軽く手を上げると、アクィーラはさっと蹴りあがり、空中で銀の翼をばっ、と広げた。

 「うーん、昨日、ドコまで聞いたかなぁ…」
翌朝朝食の席で、フィーが首をかしげている。昨日せがんだディアドラの話が、どうも思い出せないらしい。セティはセティで上の空に、今日試す魔法書は何にしようか考えているようだった。
「フィーはどうやら精霊の森に迷ったらしいな」
レヴィンはそう笑った。その辺りで船をこぎ始めたのを知らないわけではない。
「何度でも聞くがいいさ」
「じゃ、またお話してね」
「いいとも。だが今日は、セティの魔法を見ることからはじめようかな」
「本当ですか」
「ああ。やっと帰ってきたんだ、今のうちに親らしいことをしてやらんとね」
レヴィンは言って、フュリーを見た。フュリーはもとより、満足そうに頷いて、久しぶりの四人の食卓を、嬉しそうに眺めている。

←読了記念に拍手をどうぞ
home