スカサハは、もちろん、そのラクチェからの打ち明け話を、まずはあぜんとして聞いたのだ。
 たびかさなるドズル辺境部隊の脅威にさらされて、自他共に認める男嫌い、自分とシャナンより他の異性は、セリスらティルナノグの子供達であっても、一枚壁をおいたような接し方をするあのラクチェが、である。
「ど、どうして?」
と、つまりながら聞く兄に、ラクチェは、
「あの人だけは、どこか違う気かする」
と言った。でも、何がどう違うのか、正確な所は、本人にもわからないようだ。
 どこから聞き付けてそうなったものか、ヨハンとヨハルヴァ兄弟は、ラクチェを巡って争っていたとも聞く。スカサハとしては、うまれる前から一緒にいて、気心も知り尽くしていると自負する妹の、どこが彼等の琴線を震わせたものか、わからない、と言うのが本当のところなのだ。
 エーディンは、ラクチェの秘密を知る同志として、彼の胸のうちを聞いた時、
「恋することに理屈なんて要らないのよ」
そう言った。
「こういうことは、いつ何時なんて前触れの有ることではないの。触れてみて、突然、来ることなのよ」

 しかし、しかし、である。
 それが何故ヨハルヴァなのか。
 自分だって、彼のしてきたことを評価することに吝かではない。兄と一緒に、子共狩りをしないと言うバーハラに対する拝命行為を敢行したことには、知った時スカサハはぐうと唸るより何も出来なかったのだ。
 そのラクチェ、このごろは剣の修行を少し早めに切り上げて、増えてくる解放軍の女の子達と、他愛のないおしゃべりをするのが最近の日課らしい。
「昔は、周りが笑うくらい、いつも一緒だったのにな」
正直の所、少し寂しい。 
 そこで、
「スカサハ、どうしたの?」
スカサハの意識を呼び戻したのは、セリスの声。スカサハは、あろうことか、手合わせの途中に考えてこんでいたのだ。
「反撃して来ないと、練習にならないじゃない」
「は」
スカサハは、ふと顔を挙げて、珍しく面白くない顔をしているセリスに向き直った。
「ラクチェと、喧嘩でもしてるの? 今日は、一緒じゃないけど」
「まさか」
「それとも、ラクチェに捨てられた? ほかに好きな人がで来たからって」
「セリス様!」
えぐってくるようなセリスの洞察。スカサハは、目尻を思わず朱に染めた。
「あはは、冗談だよ」
セリスは、からからと軽い笑い声をあげる。
「スカサハ、だから今度はちゃんと集中してよ。でないと、本気で君を切っちゃうからね」

 「ほら」
と、ラクチェが、スカサハの前に一本短剣を出してきたのは、それからほどないある夜の事だ。
「きれいだね、これ。イザーク城の、封印してあった宝物庫に、入っていたんだって」
「ヨハルヴァが、くれたのか?」
「そう。ヨハンが送って来たって。『こういうのは、知っている人間が持っているのが一番いいから』って」
「へえ」
スカサハが、短剣とさやのつくりにジッと見入る。イザーク風の片刃の刀身はわずかに反って、刃と峰をわけるあわいには、その素材の違いから来る天然の模様が、沸き立つ雲のように鈍く光る。さやも、銀の地に、金を惜しみなく使った由緒正しい紋様が、紋紋とあしらわれていた。
「スカサハってば」
しばらく、ラクチェ声も、耳に入らなかった。
「! 何?」
「何見てるの。欲しがっても駄目だからね、私のだから」
「…馬鹿いうなよラクチェ」
スカサハは眉間にしわを寄せた。ラクチェは、さやから一度しまった刃をまた抜き出した。
「きれいよ。このダガー。何年も宝物庫のなかに入っていたのに、全然曇ってない」
「…ほんとだ」
二人は、つと見入った。彼等の中に流れている剣士の血は、一時、所以も忘れて否応もなく、その刃の輝きに魅せられる。
「これ、持っていようかな」
ラクチェが、そう言った。
「だって、綺麗だもの。剣って、それでいいのだもの」
「…そうだね」
スカサハは、釈然としないながらも、妹の言うことの一理に感じて、彼女の好きにさせておくことにした。

 ラクチェのこの短剣を、もうひとり、驚きの眼差しで見ていた人間がいた。
 言うまでもなく、ドタールである。
「剣はいずれ持ち主に還る。けだし先祖の言はおろそかにはせぬもの」
と、分かったようなわからないようなことを言って、その剣をみた。ラクチェは、はやくかえしてもらいたそうに、その様子を見ている。
「いやいやラクチェさま、そのようなお顔を為さらずに。
 この短剣は、いずれ、お母上様のものに相違ござらず」
ラクチェは首をかしげる。
「アイラ母様の?」
「いかにも。マナナン王は、ご自分の二人の王女に、同じつくりの剣をあつらえておられました。一振りは、上の王女オドルーン様が、リボーに降嫁なされるおりにお授けになり、また一振りは、下の王女アイラ様のご降嫁の暁にお授けするとの由にて、宝物庫にて厳重にお預かりしてあったもの」
「はぁ」
「ラクチェ様、この剣は、きっと貴女のお身を守りましょう。肌身はなさず、大切に」
「わかりました」
ラクチェは、ドタールから、剣を受け取った。そこにヨハルヴァが顔を出してくる。
「ラクチェ?」
「ヨハルヴァ、すごいよ、この剣…」
ラクチェは、短剣を教練着の帯に差し込みながら、跳ねるようにかけてゆく。スカサハもドタールも、それを見送っていた。
 スカサハは最後「しょうがないね」と笑ったが、ドタールは、ヨハルヴァへの、苦虫を噛み潰したような顔を崩さなかった。

 程ない頃に、イザーク兵の詰め所に、ドタールの姿があった。兵士が数人、その回りにいる。膝をつけあい話し合う、その時間はいつまでも終わらなかった。

 呼ばれて振り向いたら、帰ったとばかり思っていたエーディン姿があった。
「エーディン、まだ帰らなかったの?」
「御挨拶だこと、あなたたちが、気がすむまでいてほしいといったから」
エーディンは、目を丸くしたスカサハを、くつくつと笑った。
「私も、もう少しいたいと思ったの。そうね、シャナンから何かの知らせがくるまでは」
と、スカサハ服をついと引く。
「ラクチェもラナも、まだ細かい繕い物にはなれていないのね、いらっしゃい」

 ティルナノグに来た当初、エーディンは、実用的な裁縫はほとんど出来なかったという。それが今では、服を仕立てられるまでになって、つまり、それだけ長い時間、彼女らは自分を見守ってくれたのだ。自分の頭にある「昔の話」は、全部エーディンが話してくれたことだ。
 木陰で、借りた糸と針を使うエーディンを、上半身を裸にされたスカサハはぼーっと見ている。
「ラクチェは、続いているみたいね」
というエーディンの言葉に我に帰った。
「うん。そうみたいだ。ヨハルヴァがイザークの宝物庫から短剣をくれたって。大事にしてるよ」
「そ。…うふふ」
エーディンは、くすくすと肩を震わせる。
「おかしい?」
「いえ、アイラも…ああ、この話はしましたっけね」
「ああ、母さんの形見だっていう、あの剣」
「…ラクチェは、ヨハルヴァからの頂き物を最初から喜んだのね」
「まあね」
エーディンが、スカサハが生な相槌を打った時、一度、手を止めた。
「アイラは、まず喜ぶ前に、気になることがありすぎただけなのよ。自分の感情を出すのが、得意なタチでもなかったし。
 彼女だって、ちゃんと…喜んだわ」
「…」
「ちゃんと、結末が見えればいいわ… アイラの分まで、幸せに」
「母さん、不幸だったの?」
「まさか」
繕うような笑いの後、エーディンは再び手をすすめ出す。
「ただ、ね…」
「ただ?」
スカサハの声が、急にいぶかしみをふくんでくる。エーディンは、何かをはばかって、何も話していない。アイラという自分の母が、どうして自分達を産んだのか。ラクチェが命の次に大切にしている、あの剣を誰からもらったのか。
 …誰が、自分達の父親になったのか。
「…」
ずいと膝をのりだしてきたスカサハの顔を、エーディンは実に切なそうに見た。
「…スカサハ、あなた、いくつになりましたっけ」
「十八」
「そう」
エーディンは、スカサハのすがたをじっと見た。そして、彼の額に手を当て、前髪を全部押しやる。
「!」
「ほら、そっくり。
 スカサハ、あなたには、話ししておきましょうね。あなたの血のことを。ラクチェには、また後で、私から…」