鳥の娘、獣の娘

かたぎりさんに

 話は、10年前程に遡る。
 ティルナノグの隠れ家に、品相卑しからぬ男がひとり、訪れていた。
「…はい、イザークの王族、および高官のほとんどは、帝国の侵攻と時同じくして…」
ドタールと名乗るその男は、ぼそぼそと、抑揚のない声で話していた。
「…ティルナノグに、シャナン王子が極非理に御帰還との情報の至りて… 後事を託され、いける屍のごときこの身は…不遜ながら喜びに耐え得ず、ここまで…」
「ありがとうございます、…こういうのも何とは思いますが、このようなわび住いに」
エーディンは、土下座をするようなドタールの背中に、微笑んで言葉をかけた。
「帝国は…毎日のように…ここに、子供達を探しに来ます… シャナンは、子供達を守るのは自分の役目と…」
「弱きを護るは王の勤めと、マナナン様も常々のお言葉に… 王子はいまに、見事イザークを中興されましょう」
「はい、その日が早く来るように」
エーディンは、ドタールの抑揚のない言葉に、祈るようにエッダの聖印をきった。
 そこに、
「エーディン、こっちきて」
と、扉を開けた音がする。ドタールが後ろを振り向いて、ふと声を高くする。
「なんと!」
「ラクチェ、どうしたの?」
「ラナがね、セリス様のまねして、木に昇ろうとして落ちたの、泣いちゃった、どうしよう」
「はいはい、すぐに行きますよ。でも、オイフェはどうしたの?」
「オイフェさんいないよ、町の長老様の所に行ったもの」
エーディンは「あらまあ」と、小さく呟きながら、
「ドタール様、失礼致します」
と、部屋を出て行く。小さなラクチェは、呆然と自分を見るドタールの顔を、ちょっと見て、首をかしげて、エーディンの後を追って行った。

 さて。
 ドタールは、それから月に一回の割で、ティルナノグを訪れていた。彼のもたらす諸国の情報は、イザーク向きに多少修正されていることに目をつぶれば、そこそこに信用できるものだった。
 それに何より、彼の楽しみは、双児に会うことにあったらしい。
「いや、まさか、アイラ姫様にお子さままで」
とは、はじめてラクチェとスカサハのことを知ったドタールの言葉である。
「しかし…こうして、ラクチェ様達を見ておりますと…未来もまんざら暗くないと感じられます」
「ええ。アイラは、本当に、可愛い子供達を…」
「行方は知られませぬのか、アイラ姫様の」
ドタールの勘ぐるような眼差し。エーディンはかぶりをふった。
「いや、案じるには及びませぬぞ、エーディンどの。お二人はきっと、シャナン王子の助けになりましょう、アイラ姫様も、それをお望みの筈、でなければ心を鬼にして、お体をいためて世に出したお子さまをどうして」
一途すぎるいい口に、エーディンはできれば耳を塞ぎたかった。

 セリス達が、イザーク解放のために立ち上がった時も、ドタールは後営でイザークの義勇兵をまとめていた。
 シャナンの名前の下にイザークが復活することをひたすらに願って集まってきたもの達であり、解放に向かってその意気も士気も高かった。
 だから、イザーク解放が宣言されて後、帝国の軍勢であった所の、ヨハルヴァのソファラ部隊と、イザーク本城の駐屯グラオリッターが、贖罪の参戦をセリスに許された時、最後までゴネていたのも、またドタールである。
「いざと言う時には、ドズルの勢力は、帝国への足掛かりになる。それに、イザークを治めていた兄弟は、中央からの命令に背いて、子供狩りはしなかった。
 その点も、私は評価して、セリスの判断を支持する」
とは、ドタールの訴えに対するシャナンの言葉である。
「殿下、ドズルは、大いなるイザークをほしいままに蹂躙した、我々に取っては不倶戴天の敵にございます。
 ええ、確かに、その他他国にくらべれば、子供狩りの絶対数は少なかったでございましょう、ですが、代わりにかせられた荷役や税の重いこと、イザークはまた、違う地獄に落としいれられたのです」
「…バーハラの悲劇、そしてドズルの進出から十七年… 双方の混血が進み、実質的な和睦の道を選びはじめたものも有ると聞いている」
シャナンは、もっといろいろ言いたそうな口を、ふつふつと開く。
「進出等と言う生易しいものではございません、殿下、ドズルはこの大いなるイザークに『侵略』したのですぞ」
「ドタール」
「はい」
「そこまでイザークを愛するお前の心意気、確かに良くわかる。しかし、だ。ドズルはこれより、この解放軍にくわわり、我々の指示を仰ぐことで、これまでの贖罪をしようとしている。
 ドタール、お前もバカではあるまい」
「…」
「理解してやれ、それが何よりの、先方への慮りだ」
「…」
「俺はこれから、イードに赴くが…
 下手な気を、おこすなよ」

 シャナンの出立と前後して、エーディンが、当座の活動拠点になるリボー城に来たことがある。そのとき、ドタールは、エーディンに、自分の考えをぶつけていた。
「ラクチェを?」
「は、シャナン王子のおられない今は、エーディンどの、貴女におねがいするよりございません。
 イザークのために、ラクチェ様には、シャナン王子に嫁がれることを、どうか、御説得を」
しばらくの沈黙。ややあって。エーディンは、ほ、ほ、ほ、と、笑い出す。四十路を過ぎたと言っても、その姿としぐさの艶やかなことは、修道女のいでたちからもこぼれおちそうなものである。
「ラクチェのきめることです、それは」
と、彼女は、かぎりなくやんわりと、ドタールの意見をはねつけた。
「アイラ姫様も、それをお望みでありましたでしょう、ラクチェ様も、このごろはとみにアイラ姫様の面影をうつされて、殿下がアイラ姫様をなにもまして敬いお慕いされていることは、貴女も御存じでは」
「ええ、確かに。でも、そんなことは…私達が決めては、いけません。アイラはアイラ、ラクチェはラクチェです。
 アイラも、生まれたラクチェをシャナンの花嫁にとは、言っていませんでした」
「ですが、イザークの復活を、国に強く知らしめるには、このお二人こそが」
「ドタール様」
「は」
「この解放軍には、帝国の圧政から諸国を解放するよりほかに、もっと深い深い問題が隠されているのです…
シャナンも、この事態の行く末を見極めない限りは、即位も結婚もしないと、そう決めているようです」
「そんな」
「エッダの神に使える身には、もう昔の政争など夢の中のことで…」
エーディンは、印をきった。
「私も、世の平和と夫の冥福をただ、祈るばかりの暮らしです…」
要は、それ以上聞く耳は持たない、というわけだ。ドタールは、苦虫を噛んだような顔をいっそうきびしくして、エーディンのもとをはなれていった。

 ドタールが消えるのを見届けてから、エーディンはふう、と、ため息をついた。
 双子の父、アイラの夫の事を、ドタールには、知らぬ存ぜぬで通してきた。シャナン、オイフェもしかりである。知った時のドタールの混乱振りが目に見えて、不憫になりそうだからであった。
 純粋に、イザークの為に、イザークに根をおろしてことをかまえるドタール。
 まして、昨今、ラクチェが教えてくれたあの秘密など、彼には口が避けても言えるものではないだろう。

 リボーに来たエーディンを、ティルナノグの子供達は、奪い合うようにして歓迎した。
 あの小さな世界を離れてから、見たもの、聞いたもの、出逢った人たちの事、夜遅くまで、片っ端から話した。
 そして、ラクチェが、小さな秘密を教えてくれた。皆眠ってしまって、ふたりだけになった時の事だった。
「これは、スカサハにしか言ってない」
と、ラクチェは、言いにくそうにする。
「言うと、皆、何を言うかなって、心配だから」
「心配? 何が?」
「あのね、エーディン」
心の底の葛藤を一度整理して、ラクチェは深呼吸をした。
「一回しか、言わないからね、それにこれは、誰にも言っちゃ駄目」
「はいはい、なにをおしえてくれるの?」
「あのね、エーディン…
 私、…ヨハルヴァが、好きみたい」