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 それから数日。くじいた足も良くなったようで、ユリアはそろそろと庭を歩いている。その姿を見ながら、自分の見えないどこかで、ユリアには見える存在が、自分を見下ろしでもしているのかと思うと、頼もしいような空恐ろしいような、そんな気分がする。
「なあ、ユリア」
そろそろと、庭においてあるテーブルについたユリアに、ついアレスは尋ねていた。
「親父は、お前には何も話してこない?」
「獅子王様、ですか?」
ユリアはくるん、と目を瞬いて、「特には」と言う。
「でも、あのお部屋にある絵のお顔は、少しおさびしそうでいらっしゃいますね」
「ユリアには、そう見えるのか」
「見えませんか?」
「飲み込まれそうに見えるよ。
 しかし、話に聞けば、国王だった時間も余り長くはないし、最後の数年は思うようにならないことも多かったらしいし…そう考えると、親父は大変だったんだなぁと」
「アレス様も、じきに、その大変だったんだなぁ、なお方になるのですよ」
ユリアはこくん、と首をかしげて言った。
「私はそれをお手伝いに来たのですから、大変なことは、分け合いましょ」
「そう言ってくれると、助かるよ」
アレスは、首をこき、と鳴らしながらそう言う。そこに、
「アレス様、バーハラから使者が着ました」
とデルムッドが話に入ってくる。
「セリス様がノディオンに入られる予定が決まったそうです」
「やっと来るか。結構待ったな」
「リーフ様がレンスターで戴冠されて、その合流を待ってのことですからね」
「ユリアの足がなおってよかった、歩けないままだったら、セリスに何を言われるか」
アレスのため息交じりの呟きに、二人はつい笑いが漏れる。そのあとユリアは、じい、とデルムッドを見た。
「何? ユリア」
「ちょっと、待っててくださいね」
ユリアはつとテーブルを離れ、午後の茶菓をもってきたリーンとすれ違うように、中に入ってゆく。
「ユリア、どうしたの?」
リーンが二人に尋ねるが、二人は「さあ」とでも言うように肩をすくめた。

 やがて、ユリアが、両手に何かを抱えて戻ってくる。
「無理するなよ、運ばせれば良かったのに」
とアレスが言いとがめると、ユリアは
「ええ、でも、今思い立ったことなので」
と言いながらテーブルに戻る。彼女が気に入ったと言って部屋にかけさせていた絵をここまで持ってきたのだ。
「この絵の女の子、デルムッドに似てませんか?」
「…そうかなぁ」
リーンが、四人分の紅茶を入れながら、絵を見て首をかしげた。
「どっちかと言うと、ナンナに似てるかも」
この城にある若い女性の肖像画は、家系のせいか押しなべて似たような顔が多いので、デルムッドが見ても
「うーん、そうだねぇ、言われれば、そんな気がしないでもないけど」
としか言うことができない。
「意外と、叔母上だったりしてな」
「そうだとしたら、面白いですね。
 でも、この方がどなたでも、私はこの絵が好き」
ユリアはそう言う。好き嫌いなどはっきり言うのを聞いたことがない彼女がそこまで言うのだ、よほど気に入ったのだろう。
「落ち着いたら、同じドレスでも作らせようか?」
とアレスは言った。ユリアは
「本当ですか?」
少しだけ、目をきらりとさせる。
「あ、アレス、あたしにも」
リーンもそう言うが
「お前はデルムッドに買ってもらえばいいじゃないか」
アレスはふい、とあさっての方を向いた。
「けち」
「けちだよ、傭兵上がりだからな」
そういうやり取りを後にして、ユリアは、絵を戻そうと、部屋のほうにそろそろと歩いていった。

 庭に出るには、どうしてもこの肖像画の部屋を通らなくてはいけない。ユリアはふと立ち止まって、獅子王の大肖像画をみた。
「相変わらず、おさびしそうなお顔」
ユリアはそう呟いた。
 アレスでさえそうであるのだから、ましてや、ユリアはこの人物のことを話にしか聞かない。
 悲劇の王であったという。国王でありながら、アグストリアの各王国をまとめる存在に、騎士として仕えて、その忠義を貫いて、忠義ゆえの処断を受けたと聞く。
 そして、その悲劇に巻き込むまいと、アレスとその母とを、アグストリアの外に逃がし、だからアレスの命が今まであったのだと。
「アレス様がご立派にお戻りになられたのを、じかにご覧になりたかったでしょうに」
ユリアはしん、と心を澄ませて、その存在を捉えようとした。しかし、この肖像画は、ユリアに何も訴えてこない。その存在は、もっと遠くにいるような気がした。
「私、アレス様の、きっとお役に立ちますから」
ユリアはそう言った。
「アレス様がお治めになるアグストリアが、良い国になるよう、お守りくださいませね」

 そうこうしているうちに、セリスとリーフが、それぞれに、かつての仲間や騎士団を率いてノディオンに集ってくる。ノディオンは、久方ぶりに、人の声に満ちた。
「アレス、待たせてごめんね」
とセリスが言う。
「国王になると、外に出ることが一大事になっちゃって」
「でも、その一大事を使ってわざわざ出てくるんだから、奇特な国王だな」
「なに言うの。今度は私とリーフが君を助ける番だって、バーハラで別れるとき言ったじゃない」
「わかってるさ」
アレスはセリスの首を抱えてわしわしっと揺する。
「わわ、わ」
「お前が釘刺したとおり、ユリアも大事にしてるからな」
「本当? ナーガを持ってきはしたけど、実は使えなくなってるとか、そういうのはなしだよ」
「うそだと思うなら、会ってみろ。この先の、『肖像画の部屋』にいるはずだ」

 「ユリア、はいるよ」
と声がして、ユリアはその声に振り返る。久しぶりの顔に、返すユリアの声もひときわ朗らかだ。
「セリス兄様」
セリスは、入るなり
「うわぁ、本当に、肖像画ばっかりだね」
ぐるぐるとあたりを見回す。そうしていれば、いやがうえにも、大肖像画が目に入る。
「これが、アレスの父上かぁ」
「これって言うな、これって」
「アレスに似てるね」
「そりゃ、覚えはないが実の親父だって言うんだからなぁ」
三人が、そろって、絵を見あげている。そうしているうちに
「喜んでいらっしゃいますよ」
ふと、ユリアが言った。セリスがきょとん、とする。
「ん?何のこと?」
「アレス様のお母様が、お二人が仲よさそうにしてらっしゃるので」
「そうかぁ、アレスの母上、ここのどこかにいるんだね」
「はい」
「鈍感でよかった」
アレスがつくづくという。
「もし俺も同じようなことができたら、きっと落ち着けない」
「そんなことおっしゃると、お母様怒ってしまわれますよ」
「あーははうえ、いまのはじょうだんですからー」
アレスが棒読みに言う声に、ユリアたちもつい笑いに誘われる。やがて、軍議の始まるらしきざわめきが聞こえて
「よし、俺たちも行くか」
アレスはぱし、と手を打った。
「うん」
セリスもうなずいて、
「ユリア、おいで」
と手を差し出す。しかし、その前に、ユリアの体はふわりと、
「あ」
アレスに抱え上げられてしまっている。ぽかん、としたセリスを、少し高い目線から見下ろしつつ、
「これはもう俺の役目だから」
アレスは平然と言って、
「さて、行くか」
部屋を出て行こうとする。ユリアが足をばたつかせても、抵抗にも何もなっていない。
「あ、アレス様、下ろしてください、歩けますから」
「やだね」
そんな二人の後を追うようにセリスも部屋を出る。その前にもう一度、部屋の中を振り返って、件の絵をちらりと見て、
「…まさか、ねぇ」
と呟いた。

 もしかしたら、ユリアとセリスに共通して流れている血が、そうさせたのかもしれない。
 セリスが振り返ったとき、大肖像画の獅子王は、何だか笑んでいるように見えたのだ。



をはり。

<コメント>
30万ヒットおめでとうございますありがとうございます。
リクエストに果たして添えたのか、少し不安ではありますが、どぞ、お納めください。
これからもよろしくごひいきにお願いいたします
20060521 清原拝

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