back

肖像画の部屋



黒獅子さんに。


 セリスは本当ににこやかに、しかしまるで釘をさすように
「ユリアのナーガが使える力は、まだ必要なんだからね」
と言った。
「彼女に、今以上の関係を望むのは、僕もわからないことじゃないし、止めないけど、もしナーガが使えなくなったら…
 わかってるよね」

 脅迫めいた釘刺しをうけて、アレスはアグストリアへの凱旋を果たす。
 とはいっても、「聖戦」のとばっちりをうけまいとしたバーハラ帝国の貴族や暗黒教団の残党が多数逃げ込んでいると言ううわさがある。本人にはそのつもりはなくても、まだ魔剣もナーガも出番が多かろうことは、ただその魔剣を振り回すだけではすまなくなるだろうアレスにも、十分に推し量れた。
「奴がああ言うのもわからないわけじゃないがさ…」
その橋掛かりとして、ヴェルダン経由でたどり着いたノディオンで、一時の休息をとる中で、彼はぼつりと呟いた。
「そんな気なんか起きるかっつうの」
アレスの視線の先には、接収したノディオン城の庭で、リーンを相手に花を摘むユリアの姿がある。

 縁は異なものとはよく言ったものだ。ユリアが
「私、アレス様と一緒にアグストリアに行きます」
と言い出したとき、思わず出た言葉が
「いいのか?」
だった。ナーガ守護という大役のために、アグストリアに連れて行きたいと思ったのをあきらめた矢先の発言だった。柄になくどきまぎするアレスに
「はい」
ほんわかとしたユリアの笑み。
「アレス様のお手伝いがしたいのです。誰一人として悲しい人のいないアグストリアをつくる、そのお手伝いが」
そしてユリアは本当に、アグストリアまでついてきた。そしてノディオンにいる。夢ではなかろうか。しかし、つねってみた頬は痛い。
 彼女は、それでもまだおそらく、アレスを、セリスのようにかわいがってくれる兄みたいなものが増えた、ぐらいの認識でしか見てないだろう。アレスも、数歳は離れている子供しい彼女に、今以上は求めないことに決めた。
 とにかく。前が見えないほどいっぱいに、季節の花を抱えてきたユリアは、
「アレス様、私、お部屋にお花飾ってきますね」
と言いながら、中に入ってゆく。
「転ぶなよ」
と、すれ違いざまにアレスはそう言ったが、しばらくして後ろの方で
「あ」
と声がした。

 「ごめんなさい、注意してくださったのに」
湿布を張ってもらった足を見て、ユリアがため息をつく。
「骨はどうもなってないから、そう心配するこたないさ。完全に治るころにゃ、セリスもリーフも着くだろう。
 それからじゃないと、これからの相談ができないしな」
アレスはそう言うが、ユリアはその話を半分も聞いていないのか、きょろきょろと部屋を見回している。
「…どうした?」
「…」
しきりに左右を見回して、ユリアは
「なんでもありませんでした」
と、よくわからないことを言う。
「でした、って何だよ」
ユリアは首をかしげる。
「この部屋は、絵が多くて、その絵が私に話しかけてくる感じがするんです」
「ああ、なるほどね」
二人がいる部屋には、歴代の城主やその家族の肖像画が集められているらしい。言われてみれば、前後左右から見つめられているような感じも、しないではない。
「落ち着かないなら、違う部屋に行くか」
「はい」
片足でも立ち上がろうとしたユリアを、先回ってアレスはひょい、と抱え上げる。
「無理すんな、連れて行くから」

 ユリアが使う部屋は、さしたる豪華な装飾もなく、おそらくは昔使っていた人の趣味か、色遣いも控えめになっていて、さっきの部屋に比べれば、居心地はずいぶんいい。
「一人じゃ暇だろう、リーンでも呼んでくる」
と、部屋を出ようとして、アレスは
「あ、大丈夫です」
と、ユリアにとめられる。
「その代わり、…アレス様がいてくだされば」
下心がむずむず騒ぐのをとりあえず押さえつけて、
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
彼は部屋から出るのを止めて、ユリアが座っているソファの空いた場所に座る。
「リーンが言ってました、アレス様は私の大切な旦那様ですもの」
「へぇ、リーンがねぇ」
ダーナで助けた踊り子は、大方の予想を裏切って、なぜかデルムッドと縁付いた。そのデルムッドが一の部下とアレスについてくるのだから、リーンも必然的についてくることになる。おかげで、二人きりで所在無い、と言う思いはないが。
「…ん?」
口幅ったいことをけろりと言う、まだまだ未来の王妃の貫禄など遠い話のユリアから、つと視線をはずそうとして、アレスは、壁にかかっているやや小さめな額を見た。
「こんなところにも、絵があったんだ」
「あ、いけませんでしたか? 気に入ったので、お城の人に、飾ってもらったのです」
「それはかまわないけど」
アレスは立ち上がって、その絵に見入る。年のころはやっと十代というところか、青い小花模様のドレスの少女が絵師の道具を興味ありそうに触っている、風変わりな肖像画だ。
「誰だ?」
「さあ。でも、なんとなくかわいらしくて」
言いながら、ユリアがくはぁ、とあくびをする。痛み止めの薬が回ってきたのかもしれない。
「少し眠っときな」
アレスはまたユリアを抱え上げて、寝台の中に入れる。
 傭兵時代についと火遊びをした商売の女に比べたら、ユリアの体はまだ華奢そのものだ。
 そんな彼女をどうするの、アレスはまだそんなつもりにはなれない。

 解放軍から分かれてきた四人のほかには、少しの使用人しかいない、ノディオンは静かな城だった。いずれ援軍が来れば、それなりににぎわいもしようが。
 アレスは、さっきの肖像画の部屋に入る。自分に似た顔があちこちにあるのは、正直自分を見ているようでいい気分ではないが、中でも特別大きく描かれた一枚に、彼は真正面に対峙する。
「これが、親父」
おそらくは国王の正装だろう、立派な衣装がその容貌に貫禄を沿え、さらには、この絵は、どこから見ても、鑑賞するものと視線が合うように描かれている。
 おそらく自分には、この先一生、絵でしか顔を知らないこの父の印象がついてくるだろう。
「あんた、俺が傭兵育ちで、失望してやしないか?」
アレスはそういって、片頬だけで笑った。
「俺はあんたみたいな、往生際の選びどころを間違えることはしない。
 まあ見てな、このアグストリアでも、黒騎士アレスで大暴れしてやるからさ」

 翌朝。
「さてユリア、今日はどこに連れて行こうかな」
アレスはそういいながら彼女の部屋を訪れたが、ユリアは寝台の中でじっとしている。昨日までのユリアなら、もう起きていて、「おはようございます」と、ほんわりした笑顔で言ってくれるものだが。
「足、痛むのか?」
枕元に腰掛けるように近づいて、覗き込むようにすると、ユリアは、今まで泣いてましたといわんばかりの真っ赤な目で、まだ涙も止まらないようだった。
「どうしたどうした、朝からそんな大雨じゃ、気分が台無しじゃないか」
布団から引き上げるように抱き上げて、子供にするように背中を叩くと、彼女はアレスの服の肩の辺りにくしゅ、と涙を押し当てて、
「肖像画のお部屋に、連れて行ってください」
といった。

 昨日までは気味が悪そうにしていたあの部屋に、ユリアが進んで入ろうとするとは、何かあるのだろう。着替えたユリアを抱き上げて、部屋の中に入ると、彼女はきょろきょろと左右を見回して
「あの絵のところに」
とその方向を指す。威儀正しい肖像画ではなく、家族を描かせたこじんまりとしたものだ。アレスはその中に、大肖像画と同じ顔を見る。しかし絵には、ほかにも女性と乳児もいて、
「…もしかしたら、これ、赤ん坊の俺か?」
思わず笑いが漏れてしまった。しかしユリアは、またぽろりと涙を落とす。
「この方が、夢にいらしたの」
「この方って…親父か?」
そう尋ねると、ユリアはかぶりをふる。父ではないとすれば、その、小さなアレスをいとおしそうに抱きしめる女性…母か。
「アレス様をとても心配しておられるようでした。アレス様が小さいうちにお別れをしなくてはならなくて、とても心残りだと」
「…」
アレスが、生粋のアグストリアびとでないことは、解放軍に加わってから詳しくを聞かされた。母と言う人は、はるばると、大陸東のレンスターからここに来たのだと。
「昔のことは、私はよくは知りませんが」
と、ユリアが言う。
「アレス様と、セリス兄様が、お二人のお父様たちのかわりに仲直りをしましたと、教えて差し上げました」
「…そうか」
アレスは、ユリアのあまりのいたいけさに、つい忘れていた。彼女には、そういう、この世ならぬものと触れ合える能力があることを。いずれアグストリアを平定して、ユリアも、この絵の母のように子供の一人もあるようなことがあれば、その力もなくなってしまうのだろうか。そんなことを考えた。
「ユリア」
「はい」
「今の俺は…どう見えているかな」
「お父様によく似ていると、喜んでいらっしゃいましたよ」
ユリアの涙はやっと止まって、いつもの、ほんわりとした笑みに戻っていた。そこに
「ああ、こちらにいらっしゃった」
と声がする。
「何だデルムッドか、折角二人なのに邪魔するな」
「あ、すみません」
「いやいいんだが、そういえば、朝飯まだだったな」
「はい、そのことでお探ししてました」
「じゃあ、行こう」
アレスはユリアを抱き上げたまま、すったすったと廊下を歩いてゆく。
「アレス様」
「ん?」
「朝からずっと… 私、重くありませんか?」
「全然」

next