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燈せ華灯り、薄紅の頬を照らせ


 天馬が粛々と、隊伍を組む。
 あるいは空に、あるいは地に、引かれる数台の馬車を守って、白い隊列が進む。
 馬車の物見がごり、と外側から開けられて、わずかにあいた隙間から、しんとつめたい空気と一所に、花びらのように雪が入る。
「誰、そんなことするのは」
と、乗り合わせたエスリンが声を上げた。
「ああ、すみません、どこに乗っているか、わからなかったから」
物見は中からぴし、と閉められて、エスリンは大仰に
「ああ、寒かった」
と腕をさする。
「少し見えたけど、外、真っ白でしたわね」
と、エスリンと向かい合わせになっていたラケシスが、しんみりと言った。
「冬にはまだ遠いと思っていたのに、海一つ越えただけで、もうこんな雪模様になってしまうなんて」
「本当に…」
エスリンがそれに答えて、馬車の外に聞こえるように言った。
「レックス、空けるなら反対側をお願い。でも、すぐ閉めてあげないとダメよ」
すぐ外で、馬の進む音が聞こえる。エスリンの隣にいたアイラは、こじ開けられる前に、物見を少し空けた。
「どうした?」
と、外に問う。ヒトも馬も白い息を吐く中で、雪よけの外套からレックスの顔がほの暗く見えて、
「いや、今、城が見えたから、お前に見せてあげようと思って」
と答えた。
「もう見えなくなったよ…林に入ってしまったから」
「城なら、入るときに見られる。
 …寒くないか?」
「寒いよ」
レックスが天を仰ぐ。
「おまけにやんでた雪まで降り始めた。まあ、ちらほらだけどな」
「お前も馬車に乗ればよかった」
「ばぁか、こういうときにあえて馬に乗るのが男だろ」
「城が見えたなら、じきにつくのだろう、暖まればいい」
アイラはそう、うっすらと笑みを含んだ声で言い、物見を閉じた。
「もうお城につくの?」
とラケシスが尋ねると、
「そうらしい」
アイラは、胸元までかけられた厚手のひざ掛けをかき寄せるように直した。
「ラーナ様がお城を用意してくださって、一安心てところかしら。
 お兄様もここで一息つければいいけれど」
エスリンがふぅ、と息をついた。
「ご自分から休むつもりにならないと、期待されても無理だろう」
アイラがそれに答える。シグルドは、彼女達の前の馬車に乗っているが、おそらくもう城が近いことも気にしていないだろう。
「その城で、みな休んでほしいというのがシレジアの御意志と聞いた。
 今降る雪も、きっと融ける。それと同じように」
「その雪が融けたら、そんな悠長なことを言ってられなくなりますわよ、アイラ様」
エスリンがそれに返した。
「お医者様のお見立ては春すぎと聞きましてよ」
「あ…実は、そうなんだ」
アイラが、にわかに目じりを染めてうつむいた。胸元まで寄せられたひざ掛けの下は、ほんのりとふくらみかけて、じきに彼女が母親になるのを教えている。
「あなたがおめでたと聞いたときも驚きましたけど、まさか」
そういう声とくすくすと言う笑い声は、雪を踏んで急に鳴りを潜めた馬車の車輪の代わりに、外までかすかに聞こえてくる。
「悪ぅござんしたね、俺が親父で」
それを聞いて、レックスがげんなりと言った。

 やがて、馬車がかくん、と小さくゆれて、しん、とする。がたりと扉が開いて、御者が
「どうぞ、到着いたしました」
と言う。エスリンがまずぴょん、と飛び出すように出てきて、
「わぁ」
城を見上げる。ちらつく雪よりまだ白く、セイレーンの城は清楚に面々を出迎えてくれる。手を取られ出てきたラケシスも、その尖塔を見上げて
「綺麗…」
と声を上げたきり、次の言葉がない。入り口には、先行していたフュリーが、城付きの役人と一緒に待っていて、
「ようこそおいでくださいました、皆様」
と、慇懃に礼をとる。シグルドは、それに何の返すそぶりもなかったが、キュアンに促されて、
「あ、ああ…しばらく、厄介になるよ」
と答えた。
「お前、もう少し気の聞いた返答出ないのか?」
「ん…すまん」
上の空なのは、彼の身の上におこっている、説明するには複雑すぎるあれこれを思いやるほうが、彼にとって大切だったからに他ならなかろう。
「中はもう、準備を整えております、お部屋に案内いたしますので」
フュリーが役人から、あてがわれる部屋の一覧を渡されたとき、
「フュリー、中はもう入れるのか?」
と、外套のままレックスがいった。
「はい、えーと、あなたのお部屋は」
「俺じゃない、アイラのだ」
「あ」
フュリーはふと機微を察した顔で、
「西翼の最上階の突き当たりのお部屋です」
と答えると、
「了解」
跳ねるように彼は、馬車の中に頭を突っ込んでゆく。
「まめですのね」
ラケシスが呟くように言うと、エスリンは
「本当に」
と言った。その二人の顔の前を、
「案内を頼む!」
言いながらまたレックスが駆けていく。
「あら、アイラ様は」
とエスリンが気がつき、フュリーに尋ねると、
「今、レックス様と一緒にお城に…」
フュリーは笑みを複雑そうに変えて答えた。
「確かに、普通のお体じゃないから、急ぎたいのもわかるけど、ああまであわてて逆に落としでもしたら…」
「大変なことになりそう」
二人はそうつぶやいて、やがてそれぞれ、案内されて、当てられた部屋に入ってゆく。

 「待て、おろせ、一人で歩けるんだから」
小走りになるレックスの腕から落ちまいと、自然とアイラは首にすがりつく。
「ばか、歩いて転びでもしたらどうするんだよ。お前一人の話じゃないの。わかってる?」
案内されるまま、部屋に着き、出てきた城付きのメイドに、
「寝かせておきたいのがいるんだ、ベッドの用意を頼む」
と言い、本人は、それが終わるまで、アイラを抱えたまま、立ち尽くしているつもりらしい。
「…おろしてくれ」
「嫌だ」
念のため頼んでみたら、一言で却下された。仕方なく、腕を組みなおすと、計らず、頬同士がぴたりとふれる。
「相当我慢していたな、まだこんなに冷えて」
アイラはつと言う。
「たいしたことはないさ。確かに寒かったけど」
頬越しにそういう声が聞こえる。
「お前が冷えたままだと、こうされている私も冷えるんだが」
「わかってる」
そういう間にも、
「ご準備が整いましたよ、さ、こちらに」
とメイドが声をかけてくる。どんな方法でか、中まで暖められた布団にアイラを押し込んで、やっとレックスは
「ふぁあ」
と、側の椅子でため息をついた。
「寒かったー」
「だから、馬車を使えばいいと言ったのに」
「お前に何かあったら、駆けつけられないじゃないか」
「私の馬車にはエスリン殿と、リーフ王子の乳母も乗っておられたのだぞ、多少のことなど」
「俺の心配、余計か?」
「そんなことは」
アイラがかぶりを振る。こんなことになった責任を彼なりに引き受けようとしているのだから、それは黙って受け入れるべきだろう。やがてメイドが
「お召し替えはどうなさいましょう?」
と尋ねてきた。まだ道行きのままなのだ。
「ああ、そうだ、替えてやってくれ」
レックスはすっくり立ち上がって、部屋を出て行こうとする。
「続きで暖まっていればいいのに」
とアイラが言うと、
「いや、また後で来る」
彼はさっさと、部屋を出て行ってしまった。

 「…へんな奴だ」
アイラはそう一人ごちて、着替えを持ってきたメイドたちに、
「普通の体ではないので手間をかけさせるが」
そう言った。しかし、着替えにしては人数が多い。見てみれば、この部屋に着いたメイドには、ほぼ全員に、イザークびとのおもかげがあった。
「マナナン王の姫様でございますね」
「…そうだが?」
と特に隠すことでもないので、アイラが返すと、
「私達は、シレジアに移り住んだイザークの者、あるいは、片親のどちらかがイザークびとのものばかり。ラーナ王妃様がじきじきにお声をかけて揃えられたものでございます。
 まさかこのお城で、オードの愛し娘とまでたたえられるアイラ姫様のお世話が出来るとは」
一人が言って、一同が膝をつき、頭を下げた。
「お前達の、イザークと父上への忠誠、確かに聞いた」
しかしアイラは、そのメイドたちに言う。
「しかし今父上はいない。イザークも、心無いものによってその国土を支配されている。
 その忠誠は、私ではなく、バルムンクにささげてほしい」
「はい、お話は聞いております…おいたわしいこと…」
涙をせきかねるものさえあるメイドたちに、アイラはその次をいえなかった。今自分をこの部屋に連れてきた男が、まさかその「心無いもの」にくみすると知ったら、彼女らはどんなことを思おうか。
「…運よく助けられて、今はこの城にある。
 それより、着替えを頼めまいか?」
「はい、では失礼をいたしまして」
用意された部屋着も、イザーク風の仕上がりになっていて、アイラはまるで、自分がイザークの後宮にあったころを思い出す。
「これも、ラーナ王妃のご差配か?」
「はい、姫様には万事イザーク風をと」
「ありがたいことだ」
アイラは髪をとかれながら呟く。故郷の風景がよみがえって、ここだけ小さなイザークとなったようで、つい母語での会話も弾む。
「髪はいかがなさいますか?」
と尋ねられて、アイラはふと迷った。そういえば、二人の関係を披露目はしたが、儀式らしいことは何もしていない。しかし、懐妊の体であることがわかって、メイドも迷ったのだろう。
「このままでよい。私がする」
「かしこまりました」
自分がするといっても、横になるとき絡まないように、ゆるく結わえるだけだが。
 することを全部済ませて、やっと本格的に横になる。そうしていなければならない理由があるわけでもないが、そうでもないと、
「アイラぁ、ちゃんと寝てる?」
ほらきた。

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