「ええ、この子を見たとたん、なくした娘が帰ってきたような気がして」
一家の主婦はそう言って、ユリアの頭を撫でた。
「あの天使の像に娘の名前をつけていたのを、あげたの」
「…オレはどうしてここにいるのですか?」
アーサーがせっつくように聞く。
「ええ、この子を私に預けた…ええと…」
「バードさんよ」
「そう、バードさんが連れてきたのよ」
さ、召し上がれ。ぱたぱたと朝食が整えられて、空腹であったことも手伝って、一時彼はすべてを忘れてそれを平らげる。そして、再び尋ねる。
「その、バードさんってひとは、どこにいるの?」
「今は出かけてるよ」
主婦は首をかしげた。
「このへんは街道から外れてて、宿屋もないから、たまに来たら泊めてあげるのだけれど」
「へえ」
「あのひとには、楽しませてもらってるのよ」
主婦はおかわりのスープを出しながら言う。
「歌に乗せて、世界の事を教えてくれるもの」
「…」
「それはそうと…アーサーといったね」
「うん」
「どうして、天馬なんて捕まえたいと思ったの」
「…」
アーサーはふと、答えにつまった。
「乗るつもりでいるなら、止めた方がいい。野にある天馬は、ならされたものと違って、気位が高い。慣れた天馬騎士だってやらないことを子供のあんたがしようとしても、怪我をするだけ」
「…」
「なにがあったのかは知らないけれど、バードさんは今、あんたの親を探しに行ってるんだよ、変な気は起こさずに、ここにいなさい」

 アーサーは、ユリアに、自分の見た、天馬のような生き物の話をした。
「それ、私も見たいです」
ユリアは、くるくると瞳を輝かせて言った。
「きっと見えると思うの。だって、バードさんの話だと、このへんは天馬が一杯いるって言うから、きっと、それは、天馬のリーダーなのよ」
言った時、ユリアは、「あ」と口を押さえて、窓の外をさした。
「あれ?」
「…あれだ!」
緑がかった銀色の、天馬のようなものが、じっと、そこにいた。
「行こう、逃げないうちに!」
「はいっ」

 二人は、物陰から、そっと顔を出す。しかし、それはもう、二人に気がついているようだった。近付いてくる。
「わわわ」
長い鼻面が突き付けられるのとあわせて、ア?サ?は首を引く。
「…かわいそう」
ユリアが、その後ろから手を伸ばした。
「こんなに怪我をしていて」
「お前…誰かにイジめられたのか?」
アーサーが聞く。自分の分かるように答えがかえってくるはずもない。
「乗れるかな」
「え、乗るの?」
「だってこんなに大人しいから、こいつ」
しかし、アーサーがよじ登ろうとすると、それは首を震わせて拒む。雪の上に背中から落ちて、アーサーは一時呼吸ができなくなった。
「かはっ」
「だ、大丈夫?」
ユリアが背中をさする。
「乗せたくないのね」
「みたいだ」
それは、ぶる、と鼻をならして、背中を向ける。アーサーには、それが、「一昨日いらっしゃい」と言ったように聞こえて、アーサーは
「…また来いよ、きっと乗ってやるから」
と、言っていた。

 「でも、あれに乗れたとして、アーサーはいったいどうしたいの?」
その夜、二人は一つ寝台の中に入れられて、ユリアが聞く。言われてアーサーは、ハタとした。
「…お母さんに、会いに行こうかな」
「お母さん?」
「離れて暮らしてるんだ」
「どこにいるの?」
「さあ… でも、あいつ賢そうだから、きっと見つけるよ」
「そう」
ユリアは、納得したように頷いて、眠ろうとしたが、また、パチと目を開けた。
「これ、なに?」
そして、アーサーが首から下げていたロケットをつまんだ。
「そうそう、これだ」
アーサーが跳ね起きる。
「見る? オレのお母さん」
「え?」
ロケットをあけると、銀色の髪、イタズラそうな金色の瞳の女性が、笑っている。
「ア?サーに、似てる」
「そうかな」
これより他の思いでは、ほとんどなくなっていた。
「どこにいるか、私分かるかも」
ユリアが言った。
「私、なくしもの探すの、うまいのよ」
「は?」
アーサーがどういうことか聞き返す間もなく、ユリアはロケットを握りしめて、目を閉じた。
「…雪がなくなって…海が見えて…沙漠かしら…沙漠の先に、お城が見えるわ…」
「沙漠の先の、お城?」
アーサーには、いつか叔父ディアンの言葉が気にかかった。
『きっとアルスターだ。フリージは本拠をアルスターに移した。ブルームの姉が、アルスターに嫁いでいる… ティルテュ殿、無事でいればよいが』
「…そこに、いるのかな」
アーサーが呟くが、ユリアには返事がない。
「ユリア?」
ユリアは、こってりと、手からロケットを離すと、アーサーの膝に頭をつけて、くうくうと眠りはじめていた。そこより先まで、思考を飛ばすことは、精神力が少なくて、できなかったのだ。
 こんな少女が、シレジアからアルスターまで思考を飛ばすのは、普通はできない。
 でも、彼女はユリアだ。

 数日後、本当にそれはやって来た。
「すごいね、本当に来たわ」
ユリアが言った。実は、家の屋根の上に、二人はいる。油断した所で、背中に飛び乗ろうと言う算段だ。
「荷物、あるね?」
「はい」
「いくよ」
ちょうど、その背中が、二人の目の下にやってくる。
「えいっ」
飛び乗ることには成功した、アーサーはそれのたてがみを、ユリアはアーサーの服をぎゅっと握りしめる。突然の衝撃、首の痛み、それは一介高く嘶いて、天をかけはじめた。

 景色を楽しんだりする余裕もなかった。それは空を自在にかける。翻弄される
「風が、強…っ」
喋ろうとしても、口が動かない。
 そして、それが、かけながら身体を震わせる。
「わあっ」
二人は、上空から、一気に落ちた。

 怪我はなかった。しかし、森の中はしんとして、何処なのかも、分からない。
 ウロがあった。そこに潜り込んで、雪をしのぐ。
 ろうそくの明かりが、ぼんやりと、二人を照らした。
「…アーサー、怪我した?」
ユリアが、その手の甲を見た。
「怪我じゃないよ。前話しただろ? オレが魔法学校にいけなくなった理由」
「何かのしるし」
「そうじゃないかなと思うんだけど」
「私にも、あるのよ、同じようなもの」
「え?どこに?」
「おへそのした」
ユリアは、秘密を話したように、ほんのり目尻を染めて、くすくすと笑った。
「ひょっとしたら私達、しんせきなのかも知れないわね」
「親戚? そんなばかな」

 ユリアが、黙った。
「眠くなっちゃって…」
「ユリア、寝ちゃダメだよ」
「でも、眠い…」
船を漕ぎはじめる。アーサーは、せめて彼女を暖めるように、かけた毛布ごと抱き寄せた。自分だって眠い。しかも、人が寝ているのを見ると、余計だ。
「…ねむ…」
「寝るな、バカ」
そういう声が聞こえた気がした。しかし、睡魔は容赦ない。

 「あの家から出ないように、言っておいたはずじゃなかったかな、アーサー」
気がつくと、あの家にいた。主婦呼ぶ所のバードさんが、緑色の厳しい瞳でアーサーを見下ろす。
「え、どうしてオレの名前を知って」
「わからいでか、奥さんに聞いてる」
外に来なさい、ユリアも。バードさんは立ち上がり、外に出た。
「あ!」
あの天馬のような生き物が、庭にいた。
「あいつが居場所を教えてくれた。そうじゃなきゃ、二人とも凍死だ」
「バードさん、あれはなんて言う生き物なの?」
ユリアが聞いた。
「ファルコン」
バードさんが短く答える。
「ファルコン?」
「シレジアでは、勲功と人徳が優れた天馬騎士の事を、ファルコンナイトと呼ぶ。そのファルコンだ。
 ファルコンも慣れる程の実力のある騎士と言う意味だが、しかし、それは決して人に馴れない。だからこの称号は名誉称号に近い。
 だが一人だけ、本当にファルコンをならしたファルコンナイトがいる。あれは、彼女に…いや、人間に慣れた、古今未曾有のファルコンさ」
バードさんが、指笛を吹くと、ファルコンは、さくさくと雪を踏んで近寄ってきた。
「アクィーラ、御苦労」
「アクィーラ」
「そう、天の鷲座と同じ名前だ。
 …マーニャとこいつがいれば、シレジアは絶対に負けない。誰もがそう思った。だが、内乱が起きて、マーニャは、かつて味方だったものに、倒された」
「…」
「ファルコンごと射落とされて、マーニャは死んだ。だがアクィーラは生き残った。
 しかし、こいつは、誰にも馴れなかった。マーニャの実の妹で今賢王妃と呼ばれているフュリーも同様だ。
 アクィーラは野に放たれた。そして、シレジアを守っている」
「アクィーラ、御主人がなくなって、寂しいのね」
ユリアが涙を滲ませた。しかし、バードさんはひようひょうと
「いや、アクィーラは、マーニャの魂を宿してこのシレジアの空を飛んでいるんだ。
 アクィーラはもう、誰にも馴れない。それと同じように、シレジアは、誰のものにもならない。
 こいつは」
バ?ドさんは、アクィーラの首を優しくたたいた。
「シレジアの心意気をあらわしているんだよ」

 バードさんと一緒に乗れば、アクィーラは大人しく、アーサーを元の家に返した。
「アーサー、よかった!」
叔母エスニャが飛び出して、アーサーを抱き締める。
「お手数を、おかけしました、レ」
「しっ」
「…はい」
バードさんは、吟遊詩人らしい世ずれた笑いをして、
「そうそう」
と、二人に手紙のようなものを渡して、どこかに旅たった。
 アーサーは、少しおこられただけですんだ。バードさんが渡した手紙を、ディアンがあけて、
「え!」
と驚いた、文面はこのとおりである。
?アーサーの御両親は私がよく見知っております。どうか、彼の希望を断つことのないようにお願い致します。私が後ろにおります。いかなる中傷からも、きっと守りましよう?
「…賢王妃様からだわ」
「どう言う手紙?」
「アーサー、君を魔法学校にいれなさいと言う、王妃様直々のお手紙だ」
「え?」
「学校にいきなさい。何も心配はいらないから」

 そこで数年間、マージとしての修行をつんだことで、のちにアーサーは世にも稀な魔法騎士となる素地を得ることになる。
 母のいる、アルスターに。
 旅立つ日、ディアンとエスニャは、君になら使えると、魔法書をひとつ、渡した。
 真っ赤なルビーをちりばめて、「エルファイア」と書かれてある。
「それが君の父上を知る手がかりになるだろう」
と、ディアン。
「行きなさい。それが君の希望で、運命なのだから」

 それにしても、とアーサーは思う。
 誰にも馴れないはずのファルコン・アクィーラ、なぜバードさんは乗ることができたのだろうか。
 その理由は、やっぱり分からない。
 アクィーラにも、もう会うことはなかった。そのかわり、びっくりするほど綺麗に大人びたユリアに再会することはできた。
 ユリアは、バ?ドさんの正体について、かんたんに説明して、
「…アクィ?ラはきっと、今でもレヴィン様をのせて、どこかを飛んでると思います」
と言った。顔を挙げて笑うと、銀色の髪が揺れた。
 

をはり。

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