レンスターの城が見え始めて、私は訳もなく緊張している。私はお城には縁はないはずなのに、あの人に縁があるだけで、胸騒ぎを覚えてしまう。
「姫さん、シレジアのころと同じ顔してるな」
と、ベオウルフは言った。
「え?」
「ティルナノグで坊ちゃん相手にした、おっ母さんの顔じゃねぇってことさ」
「私の顔は一つよ」
「雰囲気の問題だ」
城下町は、確かににぎわっていた。宿も全部一杯で、
「どうしましょう、泊まるところがないわ」
とつい口にしてしまう。だがベオウルフは飄々としたもので、
「おじじ様がなんかやってたら、たぶん酒屋がどうにかしてくれるかも知れねぇぜ」
と言う。私達は、酒屋らしいところを探して、中に入ることにした。
「ああ、この頃、いいワインを運んでくださるマディノ商館のお身内ですか」
酒屋の主人は、おじい様のことをご存知のようだった。
「今日はどういうご相談ですかな、そろそろヌーヴォーの季節ですから、予約でも?」
と言う主人に、私は一か八かの方便で話を続けた。
「いえ、実は行きたい場所があるのですが、どこにあるかわからないのです。祖父が困っていたところを助けてくださっ方がこの辺りの方とうかがって、そのお礼をしたいのですが、祖父はあいにく動けなく、私が代理で来たのです」
「それは殊勝な…どちらの方ですか」
「はい、祖父を助けてくれた方が、『レンスターの青き槍騎士』様と伺って、そのお住まいを訪ねたいのですが」
「ああ、あの方のお屋敷なら、レンスターのお城から少し南東に下った、アレンと言う町にありますよ。というか、アレンが槍騎士様のご領地なんですよ。城下町の次に賑やかなのは、あの町じゃあないですかねぇ」
「アレン、ですか」
「ええ、今から向かっても、日没前にはつきますよ。城下町を出たら、南東の森の方向に行ってください」
「ああ、よかった」
馬上で私は胸をなでおろす。あそこでもまだわからないといわれたら、今度こそお城に行かなければならないところだった。
お城が嫌なわけじゃない。出自がわかってしまって、王宮で預かられるのが嫌なだけなのだ。わがままだろうけれど。
あの酒屋の店主は、懇意にしているからと、アレンの酒屋に紹介状を書いてくれた。
「何分、あの酒屋に紹介されて、扱い始めたのですかね。上品でいいと人気なんですよ」
店主はにこにこしていた。よほど人気があるらしい。私は、こっちのワインもおいしいと思うけど。
<ここより、『レンスターの青き槍騎士』の治めたまうアレンの街>
という看板が、道の傍らに立てられていて、
「うはは、たいしたあがめられようだ」
ベオウルフがそれを見るなり、ぶは、と吹き出した。森がかなり近くなっていて、その森の中に街が見えてくる。なんとなく、マディノの家みたいな雰囲気で、私は少しほっとしていた。
街に入るころに、少し日が傾きはじめていた。
酒屋を探して事情を説明すると、
「では、領主様のお屋敷にご案内しましょう」
ということになり、私達はその、領主の屋敷に向かうことになる。
領主の館は、人がいそうな気配はしたけれど、ひっそりとして、主在宅中と言う感じはしなかった。
「忙しいんだろうな」
とベオウルフが言い、丁度、その門の前でどこかに出かけるような二騎があったので、それを呼び止めさせた。
「ブラン様、シュコラン様」
酒屋の主人はそれぞれの馬の主らしき二人を呼び止めて、「では」と帰って行く。下馬して彼らの反応をうかがっていると、少し困っているようだった。
「領主様に御用ですか」
「はい」
「あいにくですが、領主様は昨日丁度このお屋敷を出られたところで、一週間は戻られないと思います」
だよな。うん。よくみれば、まるで鏡で映したような双子だ。私はつい、ノディオンの三つ子の騎士を思い出していた。
「お戻りになるのを待たれますか?」
「待つしかないねぇ」
「そうね」
私は、道行用の筆記用具を荷物から出して、さっと一筆書く。
「これでよし、と」
その紙をくるりとむすんで、私は、少年の片方に渡した。イザークの紙は柔らかい割にはしっかりしていて、こんなことも出来てしまう。
「領主様に会う時に渡してください。
あと、宿屋を紹介してほしいのだけど」
と言って、二人にそれぞれ、道行の間でできた小銭を握らせる。
「酒屋の近くに宿屋がありますよ」
二人はそういって、それぞれ騎乗し、館から離れていった。
「せっついてもよかったんじゃないのか?」
と、宿に近い酒屋兼酒場で食事を摂りながら、ベオウルフが言う。
「一度王宮にはいったら一週間出られないほど仕事があるんじゃ、せっついても意味がないわよ。それに、せっついて素性をかんぐられてもいい気持ちしないし」
私はとくに情動もなく言い、出てきたワインを飲む。懐かしい味がした。たぶん、あの当たり年のワイン。
「一ヶ月遊んでいても全然懐が痛まないほど余裕はあるのだし、町の中も見てみたいし、いい機会だと思うわ。
たぶん、あの人に会ったら、自由に動けない立場になるんだもの」
それよりも。私は、我関せずと手酌でスピリッツをあおっているベオウルフに言う。
「あなた、これからどうするの」
「俺はまだいるぜ。少年に雇われるのも面白そうだ」
「ああ、そう。まだ金貨一枚の範囲なのね。好きになさい」
「へいへい」
私はそれから一週間、街の中をぷらぷらと歩いた。その姿はだいぶ目立ったかもしれないけど、そんなことは気にしない。
旅の途中立ち寄った振りをして、この街のこと、辺り一帯の情勢、そして、「ご領主様」の評判を聞いて回った。
街はそこそこにぎわっていたのは、私の見たとおりだ。そして、情勢も、聞いていた通りだった。でも、領主は大陸で名うての槍騎士だから、きっと聖女ノヴァ様の加護を受けてこの街を守ってくれると信じている。
領主としてのあの人は、とても評判がよかった。揉め事があっても公正な判断を下してくれるし、しばしば領内を回って、直接あれこれと指図をすることもあるというのだ。
「領主って、普通、館の中に座ったままで、人を顎で使ったりするようなものではないの?」
と聞いてみると、領民は異口同音に
「とんでもないとんでもない、うちのご領主様に限っては、そんなことは全然ありません。これまでもたいした不安もなく暮らしてまいりましたが、お名を上げて帰国されて、この街を正式にお治めするようになって、ぐんとよくなりました。
ただ」
と彼を誉め、言いよどむ。
「ただ?」
「まだお若いからかもわかりませんが、奥様を迎えられないのが困っているところでして」
「困る必要があるの? 徳の高い騎士様はあえて結婚をしないことでさらに徳を高めるよう精進される方もあると聞くけれど」
「下々のものに、そんなことまでわかりませんですよ」
奥様があって、お子様があれば、言うことなしなんですがねぇ… というのが、結局あの人の玉の瑕、なわけだ。
「あなたみたいなお美しい方が、領主様のところにいらっしゃればねぇ」
とも言われた。私は、つい、図に乗って本当のことを言いそうになって、変な口になってしまった。
確かに一週間ほど、その宿にいたろうか。宿の部屋に恭しく、あの人の一族と言う人が現れて、
「ご領主の指示がありまして、貴女様には、これよりご領主の館で過ごされていただきたく」
といわれる。言われるままに荷物をまとめて部屋を出ると、ベオウルフも同じように言われたらしく、何のことだかわからない、というように肩をすくめる。
宿に慇懃に礼を言い、領主の館に入る。落ち着いていて、静かなところだ。
「貴女様はこちらに」
と案内されて、
「どうぞ、中のものをご自由にお使いください」
と、目の前の扉を開けられる。瀟洒な部屋だった。日がよく当たるように作られているのか、中は明るくて、扉を開けた先は、小さな庭になっていて、季節の花が趣き深くゆれていた。
ただの客室じゃない。私は瞬間そう思った。女主人の部屋だ。ここまで整っているのは、たぶん、その前は、あの人のお母様のお部屋。私があの少年に預けた伝言は、彼に届いたのだ。
部屋の中に戻って、物を動かすこともはばかられて、つくねんと椅子に座っていると、扉が叩かれた。
「はい」
と返事をすると、さっきの一族の人と、若いメイドが一人入ってくる。
「申し訳ありません、領主は仕事が終わらぬとかで、後二、三日は戻られぬ由、もうしばらくお待ちくださいませ」
「お気になさらないでください、ご主人様のいないときに突然お邪魔してしまった私がいけないのですから」
と返す。でも、一族の人はそれにはさした反応もなく、
「この娘をつけておきますほどに、御用などお好きにお命じくださいませ」
「は、はい」
戸惑っているのは、私専用のメイドにされた子も同じようだった。服の裾を少し広げ、膝を折って
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
と言う。
「よろしくお願いします。この街のこと、いろいろ教えてくださいね」
私はそう返した。一族の人は、
「お茶でも差し上げて、落ち着かれたようなら、隣の部屋からお好きに選ばせて、お手伝いを」
とメイドに指図して帰って行く。メイドは、
「では、一度失礼いたします、奥様」
とまた膝を折り、部屋を出て行った。
奥様。この私が奥様… 嘘みたい。頬をつねってみた。物凄く痛かった。
レンスター風の服が、少し懐かしい。お姉様のお下がりで、私もときどき着ていたものだから、さして手伝いも要らずに着ることが出来るのを、メイドはすこし戸惑っているようだった。
「折角だから、少しお話でもしましょうよ」
と私は言い、彼女に隣の椅子を勧める。軽い自己紹介をして、
「あなたのお名前は?」
と聞くと、
「…フローラ、です」
と答える。
「いいお名前ね。
どうしてこのお屋敷にいるの?」
と訪ねたら、フローラは、真っ赤になって、うつむきながら、あったことを話してくれた。
フローラはあの人の遠縁になる。父親が視察中のあの人にこの子を差し出して、覚えを勝ち取ろうとしたのを、逆にたしなめられたそうだ。
「領主様は…私を、何もせずにお返ししてくださって、大切な人が出来るまで、綺麗でいなさいって…
その恩返しがしたくて、ここにおいてもらうようお願いしたのです」
「まあ、そんなことが」
あの人らしい。フローラは、
「でも、こんなにお美しい奥様がいらっしゃるなら、私なんか」
と、真っ赤のまま言うのを、私は彼女の頭に手をおいて、
「ちがうわ、あの人は、あなたの幸せのために言ったのよ。素敵な恋をしなさいって。
あの人は、そういうことを、そのまま口に出来ない人なの」
とは言うものの、当分フローラの心はあの人に釘付けだろう。そんな気がした。
特にすることもないので、執務室に入ってみることにした。
「…わぁ」
たぶんあの人は、ここにいても、ほとんど休むことなんてないんじゃないかしら。机の上に「未決済」と書かれた箱があって、書類が入っている。そのほかにも、何かの書き散らしとか、蔵書がページを開いたままだったりして、兄の執務室を思い出す。兄にはいつも三つ子の誰かがついていたから、こんなに乱雑ではなかったけれど。
投げ出されている書類だけはまとめてあげようかとおもって、入れられるようなところはないかと机を探り探りしていると、
「あ」
引き出しの中に、箱があった。
「何かしら」
つい開けて、ぱたん、と閉じた。見なかったことにしておこう。
そこに
「あ」
と声がして、振り向くと、あの双子の片方らしい少年がいる。補佐をしている一族の人も一緒だった。
「この間の」
「ええ、案内をしてくれて、ありがとう。とても助かったわ。
ひょっとして、必要なのは、これ?」
と、「未決済」の箱を指すと、少年はかくかくと首を縦に振る。私はその中をざっと検分して、何枚かを抜き出して、後の箱を少年に持たせる。
「抜き出した書類は、わざわざ領主が判断を下さなくてもいい書類だと思います。つぎからも、同様の書類は、領主に回さずに、皆さんで処理を」
と言いながら、私は補佐の人に書類を渡す。
「たしかに、そうですな…
奥様は、領土の経営のご経験がおありで?」
と補佐の人が怪訝な声を出す。私は、ノディオンで内政をしていたときの癖がついでてしまったことに、は、と口を押さえ、
「傍らで、家族がしていたのを、ただ見ていただけですわ。私のいたところと、やり方も違いましょうし、この書類も、もし領主様のご判断が必要なら、お帰りになったときに決済をいただいてください。急ぐ書類でないことは確かです」
「わかりました奥様」
「それと…」
「なんでしょう」
「『奥様』は、まだ…」
「はあ、ですが、城のご領主から信じられない剣幕であのお部屋にお通しするよう指示がありましたので、おそらく間違いはないと思って」
「実を言えば、確かに、そうなのですが、その、まだ、ちゃんと誓ったわけではないので…」
つい柄になく赤らんでしまう私に、一族の人ははたを手を打つ。
「わかりました、ではそれまで、どうお呼びすれば差し支えございませんでしょうか」
「あ、はい…サブリナ、と、呼んでください」
「わかりましたサブリナ様、フローラにもそういいおきますので、お式まではご無礼ながらそういたします」
「すみません、わがままを」
「いえいえ」
「私はしばらく、このお部屋の整理をしています」
「はい」
補佐の人がいなくなって、「サブリナ、ごめんなさい」と呟いてから、私はつい、ふふ、と笑っていた。
あの箱の中の指輪。あの人は、私の指の大きさ知ってるのかしら。
|