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 後になって、シャガールの処断も兄の処断と同じ日に行われたと聞いた。アグストリアは消滅した。でも、そのこともふくめて、それからしばらくの私の記憶は、ぷつりとない。
 でも、意識を戻して最初に目にしたのが戦場の天幕でなく、懐かしい天井だったのが不思議で、私は最初何故ここにいるのかさえ分からなかった。
 呆然としていると、
「ああよかった、お姫様が目を覚まされた」
と声が聞こえた。寝台の側で、侍女が一人、目にハンカチを押し当てて、泣き崩れている。
「…ばあや?」
「はい、お姫様のばあやでございますよ」
 ばあやはノディオンから、私のためにまたついてきてくれたのだ。そのばあやは泣き崩れてしまったが、私はもうそれどころではなかった。
 私が指揮を執ってノディオンで葬礼をしなければならないことは分かっていた。だから、それが終わったら、本体と合流する予定だったのだ。動乱に乗じて動き始めた海賊が住民を脅かしているのだから、シグルド様にしてみれば、放置できる相手ではない。
 でも、私はなぜかここにいる。でも、その理由は、たぶんばあやに聞いてもわからないだろう。
 だれか、話の分かる人は。そう思ってすぐ思い浮かんだのが彼の顔だった。そして折りよく
「王女、お目を覚まされましたか」
と声がした。
「ええ…でも、ちょっとまって」
寝台から抜け出して、私は、小さいころの寝巻きをそのまま着せられているのに気がついた。裾もすっかり短くて、胸の辺りがきつい。私は、衣装箱の中からとりあえずまとえるものをさがして、それを着てから、入室を許した。
 彼は、私の機嫌を伺うように入ってきて、
「いろいろと、ご報告しなければならないことがあります」
と言った。
「いいわ、何でも話して」
と言う私に、彼は、私が眠っていた間に起きたことを話した。
 意識のない間も、私は一応は立ち動き、ノディオンで兄の葬礼の一切合財を取り仕切り、アレスに魔剣を継承させる儀式までしたそうだ。
 その後で、三つ子と廷臣を前に、兄を生きて連れて帰れなかったことをわび、持っていた剣で自分を傷つけようとしたのを、身当てで阻止されて、マディノに近いこの家に眠ったまま運び込まれたそうだ。
 その後は、グランベル軍がノディオンに殺到して、瞬く間に接収したという。お姉様たちは無事ノディオンから脱出できたけど、近衛騎士団は壊滅したそうだ。これで、マディノ以外の全部の拠点は、ほとんどグランベルが接収したことになる。
「王女のご様子があまり芳しくないようでしたので、直接前線にお帰りになるよりは、ここでご養生を、と」
と、彼は言い、
「ノディオンから、いくつか品を預かっております、お納めくださいますよう、と」
と、細長い包みを渡された。
 手紙の束と、剣が一本。
「…大地の剣、だわ」
「名剣の類はグランベルに没収されましたが、魔剣に次ぐご家宝の剣とのこと、これだけはぜひ王女にお持ちいただきたいと」
そういう彼の言葉を聞きながら、私は、三つ子が私に残してくれた手紙を読んだ。
<親愛なる我らが姫様
 このお手紙をご覧になるころは、我ら三兄弟、もうこの世にはおりますまい…>
短い時間の中、走り書くように残された手紙は、兄についてゆくことへについての、私への詫びが書かれてあった。
<…誇り高きノディオンは、獅子王の勇名とともに、歴史に永遠にに刻まれることでしょう。今は雌伏のときと思し召されて、アレス王子との再会かなったときには、ノディオン再興をぜひ、そのお手でかなえてくださいまし。
 陛下が、姫様にお手紙を遺されています。お心が落ち着かれてからで結構です、少しづつでもお目を通され、陛下のお思いたちに邪なきことを、どうかご理解いただいて、語り継いでくださいませ。
 そのお命が、エッダの神と聖ヘズルがお定めたまうたときまで、健やかに、長らくあらんことを、三兄弟、草葉の陰にて、お祈りいたしています>
涙が出そうだった。この上で兄の手紙を読んだら、私も、ばあやと同じようにないてしまいそうだった。残りの手紙は、宝石箱の中にしまった。
「後で読ませてもらうわ」
「ご随意に」
「それで、前線はどうなの?」
「はい」
彼は、前線の様子も説明してくれた。
 マディノの海賊征伐は、予定通り行われていること、その中でエーディン様のお姉さまが見つかって、オーガヒルの海賊があばれ始めた原因にからんでいることなどなど。
「私は前線に行って大丈夫なの? ダメなの?」
そう尋ねると、彼はそういう質問もあるだろうという様子で、
「急ぎご参加の必要はないとのことでした。私見ながら、ここでしばらくご養生されて、万全の状態で望まれたほうが」
彼がそういうのだ、私はまだ、前線では必要とされていないのだろう。
「わかったわ、ここにいます」
そう答えたけど、体はなぜか無性にそわそわした。ばあやたちはとめるけれど、私は寝台を下りる。
「誰か、ここにつめてる?」
「はい、私のほかに、二三人ほど」
「体を動かしたいの、付き合ってくれる?」
「大丈夫ですか?」
彼は眉根を寄せる。
「体を動かしていていたいの、そうじゃないと、また余計なことを考えそうで」
「はぁ」
不承不承という返事がする。でもかまわずに、私は羽織っていたものを脱ぎながら、ばあやに
「衣装箱の中に、教練着が入ってると思うの、出して」
といった。そのあとで、
「わ、私は、お庭で準備してお待ちしています」
と、扉の閉まる音がした。その声で、はと我に返る。よりによって、あの人の前で着替えようとしたんだわ、私。

 そのあとで、おじい様が御用があるというので伺った。
 クローゼットに入っていた、お母様の衣装を借りて入ってゆくと、
「おお、まるでクレイスが帰ってきたようだ」
おじい様は大層喜んでくださった。
「ほんの数年のことなのに、何十年もあっていなかったように思うよ」
と仰るのに、私は、おじい様にも、あの小さかった日に家を出て以来お会いしていなかったことを思い出す。
「ごめんなさい、私、勝手をしてしまって」
「なんのなんの、お前がノディオンに言ってからのことは大体伺っている。お前達が幸せであったなら、それでよい」
「でも、お母様は…」
「それも聞いているよ…親に先立つなんて、親不孝を」
お母様のことになると、おじい様も、涙をせきかねられるご様子だった。
「でもお母様、ノディオンでも、とてもお幸せでしたのよ」
私はそう言う。慰めでなく、お母様はお幸せだった。今も、私達の手の届かないところで、お幸せでいるに違いない。
「そうか、それならよいのだ」
おじい様は、それ以上、お母様の話を続けるおつもりはないようだった。私もそう思った。後ろにいる彼は多分聞き流すことになれているだろうけれど。
「それよりもおじい様」
「なんだね」
「ここには、グランベルの手は届いていないのですか」
「そのことか。
 安心しなさい、マディノはグランベルに包囲されているけれど、ここは私の領地だ。シャガール王があの城に来たときに、私は隠居を申し出た。だから、私とこの町とは、グランベルは関係がないのだよ」
「そうですか、それならよろしいのですが」
「今この町は、自治を進めている。まあ、ミレトスほど大規模にはならないだろうがね」
「まあ」
おじい様の行動力に、私は少しびっくりした。でも、もしかしたら、私の突拍子のなさも、この人の受け継ぎなのかもしれない。
「おじい様らしい夢ですね」
「夢ではないよ、いずれ現実になるのだ」
おじい様は揚揚と仰って、書類を何枚か私の前に並べた。
「クレイスが、遺言を残していたそうだね。写しが遺灰と一緒に来たよ」
「はい」
「お前も物分かりのいい年頃になった。相続しても問題はなさそうだね」
その書類は、私がお母様から相続するものの一覧と、王女でない私の身元を保証する書類、そして、
「これは?」
「この町の収入の幾分かをいざというときに、町全体のために使うよう、収めてもらうようにしてある。その中からさらに少し分けて、お前の自由な所持金とするための書類だよ。
 この町の基盤を作るときに、やむなく手放したものがあってね、その詫びのつもりだ」
この時勢において、これ以上の計らいがあるだろうか。借り受けたペンで、それに署名する。身分証明書だけを、おじい様は私に返した。
「持っていなさい、きっと役に立つから。」
「はい」
「私は、お前の幸せを、いつでも願っているのだよ。
 きっとお前にとっては、このマディノも通過点でしかないだろう。
 この先、神と聖ヘズルがお前を守ってくださるように」

 マディノに残っていたお母様のドレスが、私にもほとんど問題なく着られて、私はずっとそれを着ていた。
「ノディオンでお作らせになったお衣装のほうが、ずっと華やかでお似合いですのに」
とばあやは衣装箱を見ながらため息をつく。確かに、お母様のドレスは、色合いも飾りも決して派手ではない。でも、それがお母様らしくて、お母様に抱かれているような安心感があった。
「それに」
さらにばあやが解せなさそうに言う。
「お姫様はお小さいころからばあやをいろいろ驚かせますけど、これもご時勢なんでしょうかねぇ」
「何?
 私、何か変?」
外を眺めていた私は、そのままの姿勢で聞きかえす。窓の下では、彼が、つめている部隊の騎兵相手に教練をしている。
「お供についてきた騎士様たちとご一緒に、剣やら槍やら振り回しておいでだそうじゃないですか。お姫様はそんなことはなさらないものだと、ばあやはずっと思っていましたよ」
「そうね、そういわれれば、少し変かもね」
私はそれに、あまり気の乗っていない返事をした。
 数日前の会話が、私の頭の中に繰り返されてきた。

 やっぱり心配で、前線に連れて行ってもらったことがある。
 何かできることはないか、と問う私に、シグルド様は
「いやいや、君はしばらく、ゆっくり休んでほしい。君のおじい様が補給をかって出てくれて、私はとても感謝しているんだ。」
と、やっぱり、いつか言われたのと同じことをいわれた。
「オーガヒルの海賊は、私達が全力で戦う相手ではないよ。げんに、交代で休みながら、出てきたら戦うの繰り返しなのだから」
そう仰るシグルド様のお顔をよく見ると、これまで以上に精彩がない。
「でも、お疲れなのではないのですか? 祖父のところならば、ゆっくり休めますから、おいでになったほうが」
「いやいや、シグルドはここにいさせてほしい」
側でキュアン様が仰った。
「今のシグルドは、ここにいたほうが逆に気が楽なんだ」
「…そうですか」
とてもそうには見えないけれど、だぶん、何かのご事情があってのことだろう。キュアンは、ぽん、とシグルド様の肩を叩かれた。
「さあ、今のうちに言おう」
「…そうだな」
お二人が急に改まれるので、私も釣られて背筋を伸ばす。
「君に、ひとつ試してみてほしいことがある。
 マスターナイトになってみるつもりはないかな?」
「マスターナイト、ですか」
私はきょとん、とした。まずそうなれる素養があって、なるべき徳があって、すべての武器魔法に通じなければ推挙されないという、至高の騎士の称号だ。文字通り、一朝一夕ではなれない。
「私に、なれるのでしょうか」
「なれるよ。いやむしろ、なってほしい」
シグルド様が、静かに仰った。
「エルトのかなえられなかった、夢なんだ」
「…お兄様の?」
聞き返すと、お二人は同じようにうなずかれた。
「バーハラの士官学校には、専攻がいくつかあって、私達二人は、将来国なり領地なりを引き継ぐ為政者が必要とする戦略や戦術、外交術をおさめ、卒業証書と一緒に上級騎士称号をもらったクチなんだが、あいつだけはちがってね。
 先代の国王の急逝がなければ、まだ、あいつは、士官学校に残って、マスターナイトになる修養を積んでいたのではないかな。それがあいつの進路だったから」
「そんなことが。
 でも、本当に私にできるのでしょうか。士官学校に通ったこともないし、馬に乗ってしまったら、剣も杖も使えないのですよ」
「兄にあって、妹にその素養がないとは言い切れない。
 だから、試してほしいんだ」
あの人は、本当に、たくさんの夢を、途中であきらめざるを得なかったのだ。お母様のことも、マスターナイトのことも、…アグストリアを穏やかで、平和な国のままでいさせようとすることも。
 他の二つは、私にはもうどうすることもできないけど、マスターナイトのことなら、まだ時間はあると思った。今すぐは確かに無理だけど、時間さえかければ。
「…わかりました。それが兄への追善になるのでしたら、お受けします」
「ではそうして貰おう」
キュアン様がはたと膝をうたれた。
「その修養が、今の君の仕事だよ」

 でも、ばあやにその話をしても、「でもお姫様なんですから」といわれるのが分かっていたから、私は何も彼女に言わなかったのだ。現に、ばあやはああいう反応をしている。
 帰ってから、おじい様の書庫で、マスターナイトのことを少し調べた。
 修養を収めて、生きてその資格を得たことがあるのは、記録によればもともと、何らかの騎士だった男性ばかりだ。近い例なら、シグルド様のお父様のシアルフィ公がその称号を持っておられるはず。
 でも、女性のマスターナイトは、死後その功労で送られた例ばかりで、つまるところ、修行でなろうとしているのは、私が大陸始まって初めてなのじゃないかしら、ということだ。
 だから、
「へんなことをなさいますねぇ」
というばあやの言葉に、私も
「そういえば変ねぇ」
と返すことしかできなかったのだ。

 自分が史上初めてと言うのは、悪い気分ではない。でも普通、私のような立場に求められるのは、おしとやかさとか、優雅さとか、そういういかにもお姫様らしい身のこなしと気立てなのだ。ばあやはそれを信じているから、私の言動が解せないのだ。
「旦那様はそれでよろしいと仰ったのですか? 大事なお顔に傷なんてついたらどうなさいます」
「おじい様もじきにご存知になるわ。それに私はもうお姫様じゃないのだし、少しぐらいの怪我でお嫁入りの話が…あったとしてよ、ご破算になったって、それは外しかみない相手が悪いんだわ」
「お姫様はそれもようございましょうが、お供の騎士様がお目玉をいただくでしょう」
「遠慮なんかしてもらったら、修行にならないじゃない」
と言いながらまだ窓の外を見ていると、教練してる騎士たちが、私を見つけて、手を振ってくれる。私もそれに小さく手を振りかえした。
「やれやれ、おてんばは変わりませんのね、結局」
ばあやは、いよいよあきらめたため息をついた。そして、くつくつと笑った。
「何、ばあや。急に笑ったりして」
「いえいえ、先日、お姫様の修行とやらをちらと拝見いたしましたことを思い出しましてね。お姫様はずいぶん楽しそうにしておられましたから、それを思えば、もうばあやから言うことは何もありません」
私はふりかえって、ばあやをことさらに見た。
「君が悪いわね、いきなり理解されるなんて」
「おやおや、ばあやはそこまで石頭ではございまんよ」
ばあやは、つくろい物を一つのかごに集め、部屋を出て行った。思い出し笑いを続けながら。
 彼女は、何か他に言いたかったことが、本当はあったのではないのかしら。
 でも、それはすぐ頭から消えた。
 庭の騎士たちもいなくなり、私はおじい様から借り受けた、魔法の理念書を開く。でも、全く頭に入らない。
 マスターナイトは魔法も使えなくちゃいけないのに、この調子で本当に、私に素養があるなんて言えるのかしら。


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