その拾伍
<武田さんちの家庭の事情>

このページを作ろうと思ったときからやろうと思っていたことが、やっと成功しそうです。
それはそれとして、駿府で…
こういう人と出会いました。
どうやら、甲斐の生まれで、何ぞ悶着があって甲斐にいられなくなったご様子。
苗字が武田さんってことは、お館様のお知り合いかな?
何を隠そう隠しませんが、この武田信虎さん、うちのお館様の実のお父さんだったりします。

そういうわけで、今回は、武田さんちの家庭の事情のおはなし。
何で信虎さんが駿府にいるのか、義信派の証、サクメイ丸、そういった、ちょっとダークなイベントが何気に躑躅ヶ崎で行われている、武田さんちの四菱の向こう側のはなしです。

なんで、最初から作ろうと思って作れずにいたか、その理由は簡単なことで、単に因香さんの中の人が勉強不足だったから。

中の人の話になりますが、私が武田信玄というのを知ったのは、小学校の社会の時間だったかなーとおもいます。
そして、大河ドラマになったこともあり、それも見ていた覚えはあるのですが、内容なんかすっぱり飛んでます。
(独眼竜政宗の次の年でしたが、私はあまり面白くなくてみてませんでした)
つまり、「武田信玄? ああ、巌流…じゃない、川中島で、上杉謙信と合戦してた人。で、息子が勝頼って名前で、長篠の戦で鉄砲もった織田信長にまけちゃうんだよね、それで、労咳で死ぬの(この辺が少し大河ドラマ)」
それぐらいの知識しかなく、いわんやその家臣をや。

でも今回は、勉強しましたよ。信オンの事典とか出て、だいぶわかりやすくなってきたし。

なぜか家に、こんな本とかあるし。
(この画像に限り、信長の野望onlineとは関係がありません。)

そうゆうわけなんで、あんちょこを片手に、れっつらごー。

そのいち:信虎さんが駿府にいる理由。
これがゲームの中のスタンスであるのかどうか、私にはわかりませんが、出会うとこんなことをいう信虎と信玄(若いころは晴信)は、あまり仲がよくなかったようです。
それどころか、跡目を一度晴信と決めたにもかかわらず、その器ではないという判断をして、跡目を晴信の弟の信繁に変更しようと考えたとか。
晴信は、その動きを事前に察知して、逆に信虎を隠居させてしまおうと思ったようですね。

で、その知恵比べは晴信のほうが勝ち、信虎は、娘(晴信の姉妹)が嫁いでいた縁で駿府に送られ、そこで隠居を始めた、と。

そういうことを考えると、天守にいったときの信繁のせりふが、
「ははあ、そういうことなのね」
と思えるわけです。

グラは若侍だけど、チャット欄に出ている顔はしっかりおじさん…
ゲームの世界では、実年齢とグラは必ずしも一致しません、これお約束。
指摘されなきゃ、私はこの人も信玄の息子のひとりだと思っていたかもしれない。

そのに:そして歴史は繰り返す?
晴信には、正室と、何人かの側室がいます。
天守に行くと会える三条の方は、いちおう、正室になります。京都生まれのお姫様です。
彼女から生まれたのが、義信です。
京都生まれということを鼻にかけて、晴信とはあまり仲がよくなかったようです。

そして、側室の中で、重要な位置にいるのが、湖衣姫さんです。
名前がついていますが、コレが本当の名前かはさておくとします。大河ドラマでもこの名前でしたね。
実際の歴史では、「諏訪御寮人」というような呼称で残っているようです。
武田支配下になった信濃で、神官の家ということで重要視されていた諏訪家のお嬢様。
つまり信濃屋敷にいるのは、この人の親戚や、もと家臣ってわけですね。

義信君です。「ひとりぼっち」をはじめたころ、因香さんは奉行で部隊長はこの人でした。
あと、このせりふは、私がイベントアイテムで「義信派の証」を持っているからかも知れません。
なんとなく、しおらしいかんじがしないでもないですが、長男つまり跡目確実ということもあり、性格はまあよくある総領息子ってやつですか。

因香さんの中の人の実家のほうでは、「総領の安太郎」っていいますが…

で、こちら勝頼君。
長男の義信のかわりに四男なのに跡目になった責任感とか、出生の複雑さが感じられるせりふですね。
長篠の戦いで負けて、武田家衰微のもとみたいな言い方もされる勝頼ですが、いけないのは勝頼でなくてむしろ長(スパーン←甲州年代記でなぐられる)

(時間の経過を表すこま)
しかし、ここでひとつ気をつけないといけないことがあります。

実際の日本史の流れと、信オンにとりこまれた武将個々の時系列は、まったく別なものである

ということです。
武田家の中で具体的にどういうことかというと、
義信と勝頼の跡目に関する紆余曲折は、実際の日本史では桶狭間の戦いの後で、今川義元が健在の信オンではちと時間がずれた感がある。というわけです。ついでにいえば、義元があの風体のときに信長がああいうロマンスグレイであるわけでもなく、徳川家康はまだ松平元康で今川家にいる時代だったわけです。
家臣(合戦における陣武将)数のつじつまのために、未来から呼び寄せた武将もいますし、もしかしたら、過去から呼び寄せた武将がいるかもしれません。

信オンというのは、そういう意味である種の理想郷だといえるでしょう。

閑話休題、本筋に戻します。
では、ポスト武田信玄にまつわる顛末がどういうようになったかを、実際の日本史の流れに基づいて説明しておきます。

前にも書いたとおり、それは、桶狭間の戦い(本当は田楽狭間というらしいですが)で義元が倒れた、その後におこります。
武田家は、信濃の平定、また上杉の牽制を重視して、当時一番「都」に近かった勢いの今川家とは、比較的穏便な付き合いをしていました。
ところが、ある種味方であった今川家で、当主義元が倒れ、息子・氏真の時代が始まると、「都」から一気に遠くなった今川家とは、距離を置こうではないかという話が出始めます。
もちろん、今川の中でも、ちょっと頼りないけど、新しい当主になった氏真を守り立てていこうという空気はあり、武田家でも、今まで縁深くあったのだから助けて行こうじゃないかという動きがなかったわけではないのですがね。
(このあたりの事情はかなりはしょってあります、物足りない表現が続きますがあしからずご了承ください。/平伏)

さておき、信濃を完全に平定し、武田家は北でにわかに勢力を増してきた上杉家と、いわゆる川中島の戦いというやつですね、はじめるようになります。

川中島の戦いは、数度行われているのですが、それは四回めの川中島のときに起こります。
(謙信が単騎信玄に切り込んでいったという有名な(でもフィクションらしい)エピソードがあったのもこのときです)
すでに立派に成人し、戦いに出るようになっていた義信が、上杉側の計略にまんまと乗せられ、追撃を始めてしまいました。あぶないことはするなと父信玄に言われていたことなど、頭の中にはありません。
そのフォローのために、救援に出たものの上杉側のツボにはまり討ち死にする武将(諸角さん)あり、退却を伝令しにいき、そのまま義信の身代わりに討ち死にする武将(初鹿野さん)あり、義信の救援に主力を傾けてしまったために、手薄になった陣に攻め込まれて討ち死にする武将(信繁さん)あり…

結局この戦いは、「試合に勝って勝負に負けた」というやつで、武田軍は勝利したものの、その被害は甚大なものでありました。

(時間の経過を表すコマ)
当然義信は、この戦で出た人的損害の責任を問われることになります。
総大将の命令に背いたのですから、最悪の場合、命で償うコトだって十分ありうる事態です、
ところが、「自分は、追撃が最良の方法だと思った」と、開き直っちゃったんですね、この総領の安太郎は。
ここで、信玄と義信の間に亀裂が走ります。家臣のとりなしで、一応、形としてその場は収まったのですが、ここでまた問題が起こります。
武田がすっかり落ち目になった今川を攻めて、完全掌握しようとしているといううわさが回り始め他のですが、義信は、無縁ではない今川を守るとはできないかといい始めたのです。
武田・今川・北条の三国同盟は、形ながら残っていました。そして、義信の妻は氏真の妹、氏真は義信の義兄になるわけで、今川びいきになるのもむべなるかなですが、時は戦国時代、その理屈が一本筋に通るとは、必ずしもそうではないのです。
「義信は、今川びいきが高じて自分の敵になる」そう思った信玄は、義信を警戒するようになります。

義信も、逆らった以上、自分の身が危うくなるのはわかりました。
そこで、義信は、父がかつて祖父をそうしたように、駿府に隠居させてしまおうと考えたのです。そのころ信玄は、持病の労咳がすすみ、療養をしていましたから、そこを狙えば簡単だと思ったのでしょうね。
何分、総領の安太郎が言い出したアマちゃんな計略ですから、いくらなんでもそりゃ無茶というものです。
義信の教育係だった飯富さんは、「教育の方法を間違えたかな」と思います。
(ゲームでの、武田右後が義信君。その副将が飯富さん。四天王の山県さんは飯富さんの弟で、苗字を新しくもらったのです。あーややこし。)
飯富さんは、山県さん(まだこのときは飯富さんでしたが)にコトのあらましをつげ、山県さんの計らいで信玄は療養地を脱出しました。

(↑飯富さんを写したはずなのに、異様に高坂ボス目立ってるなぁ)
そして飯富さんは、義信君の言い出したことを自分の思い立ちとして、信玄に覚悟の謀反を仕掛けたのです。
やんぬるかな飯富さんは、弟の山県さんや、ほかの武将に攻められ、自分の屋敷で切腹したのです。
一部始終を報告され、飯富さんがすべて自分でかぶって死んでいったことを知らされた義信は、自分が何をしようとしていたのかを悟ったのでした。ナニを隠そう隠しませんが、飯富さんの弟の山県さんが山県さんになったのは、この件がモトなのですよ。ぽろっ(←目からうろこが落ちる音)

義信君が謹慎している間に、武田の一領土を預けられていた勝頼が俄然表に出るようになります。初陣を勝利に収め、「跡継ぎはひょっとして勝頼か」と、思い始めた向きが出始めるのも、仕方ないことでありましょう。
義信君も義信君で、じっとしてはいませんでした。自分の館を出ることさえ禁じられていた彼は、妻を離縁させ、その迎えに来る一行に混ざって、甲斐脱出をはかろうとしたのです。

しかしその計略も露見して、義信はふたたび、厳しい監視の下幽閉の身になります。
義信君の甲斐脱出を手助けしようとした穴山さんの弟にも、厳しい処分があり、切腹しました。
今川家との同盟もなし崩し的に崩壊したのです。

さてそれから義信君はどうなったかというと、重い病に倒れたことは確からしいのですが、そのまま病死したとも、闘病の果てに切腹して果てたともいわれています。

以上が、武田さんちの家庭の事情でした。

ただ幸いなのが、非情ともいえる戦国時代ではすれ違いとかあったけれども、こゲームの中ではみんな仲良くやっている(ようにみえる)わけで。

史実ではできなかった分、なかよくできればいいね。/拝む



トップへ
トップへ
戻る
戻る



 (C)2003-2007 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.