しーすー

 美麗が離宮につくと、すでに中は喧騒に包まれていた。名を知る知らぬ将兵が武装し、また、そうでないものも、戦の準備に東奔西走している。
 その人の渦の中でやって興龍を見つけ話を聞こうとすると、
「龍宮殿の動きの方は、俺の龍神も気がついていたのだが」
と言った。
「仁羅娘々が急いでくださったおかげで、気のせいにせずに済んだ。今手分けして、下の街の住人を離宮の敷地に避難させている」
「わかった、私も手伝う」
と、きびすを返そうとした美麗に、興龍は意外なことを言う。
「いや美麗、君はここにいてくれる方が良い」
「どうして」
「どうしてって、君は命龍も一緒に連れていきかねないからな。
 何かあったらどうする、その子は」
と彼は美麗の腕の中の命龍を指し、
「俺達にとっては、命よりも大切なんだ」
と言った。
「大丈夫よ、姚妙様の所に預けて行くから」
「そういう問題じゃなくて」
あっけらかんとした美麗に尚も言い返そうとした興龍を、人の姿にもどった仁羅が美麗の背後に戻りつつなだめる。
「義覇殿、美麗の好きにさせてやってたも」
「娘々、しかし」
「たとえどんな時でも、行かねばならぬ時には行くのが美麗、それはご友人なら十分にわかっておられよう」
「は」
「命龍も、こんな戦でそうそうと死ぬように生まれついてはおらぬ。美麗がここに預けるというなら、よもや戦に巻き込まれるようなこともあるまい」
「…は」
興龍はそう返事するよりなく、間も無く呼び出され、その場を離れた。

 「それにしても、物々しいなあ」
と、美麗は、鎧をつけられながら呟いた。蘭英は、すでに着付けを終えていたが、容易に椅子からも立ち上がれなさそうに見える。
「確かに、重いわね。重量も、これにかけられた期待も」
蘭英は美麗の呟きに苦笑いして返した。その頭上で、龍神信羅が落ち着かなさそうな顔で浮いている。仁羅以外の女性の龍神を、そう言えば初めて見たと、美麗は余計なことを考えていた。女性の龍神といえば、みな仁羅のような気風なのかと思っていた美麗は、信羅の嫋々とした様子に拍子抜けさえしていた。蘭英のような芯の強さは感じられず、むしろ殺伐をしたものをいやす穏やかな気配をしていた。こうなると燎哲娘々がよりましに選ばれたという龍神悌羅はどうなんだろうと、余計な興味も湧いてくる。
「…久しぶりに目を覚ましてみれば、なんと物思いの重なることばかり」
その信羅が、誰に言うでも無くぽつりとこぼした。
「とおきみおや様は、一介何をお考えなのでしょうか、八珠龍神が二手に別れて争うなど、聞いたことありません」
「龍神はよりましを選べぬ。乱れの核たる女主が悌羅のよりましになったのは、ひとえに数奇な運命というより無かろう」
仁羅がそれに、唸るように答える。
「お前様がそう言うのも、わからぬでもない。女主の非道はあれこれと聞くが、悌羅は、お前様以上に、我々他の龍神が守ってやらねば、敵に牙を立てられぬ、優しい気性であったからの」
「あのよりましは、悌羅の力を自分のものとなしてしまいました。
 無事あの子を、女主の呪縛から解き放てましょうや」
信羅の悲痛さが滲む言葉に、仁羅は
「やるしかないと、そういうより無かろうな」
なぁ、美麗。と、自分のよりましに水に向けてきた。美麗はすでに、武装を終えている。
「そうね。龍神でない生身の体で、私がどこまで出来るのかは、わからないけど」
その様子をみて、信羅はほろりとする。
「仁羅姐姐はよきより増しを得て幸せにございます」
「これ信羅、戦いの前に涙するとは不吉なことを。それに、お前様にも、お前をよく助けよう気丈なより増しがおるではないか」
「はい…ですが」
龍神二柱のやりとりを、美麗と蘭英は半分苦笑いを浮かべたまま、聞かされるままになっている。仁羅がそれに気がついて、
「すまぬ。龍神もこういう時には混乱するものじゃ」
と、複雑な笑みを浮かべた。
「男の龍神はいさ知らず、妾ら女の龍神は結拝した間柄での」
「チィパイ?」
初めて聞く単語をおうむ返しにした美麗に、仁羅が返す。
「妾と信羅、悌羅は、義姉妹の誓いをしたのじゃ」
「はい、仁羅姐姐は姉として、悌羅は私達の妹として」
「一度結拝して義姉妹となれば、その仲は実の親兄弟にも勝る所がある。
 この戦いは妾らにとっても、きょうだいを救うたたかいになるのじゃ」
「ですが、それを、よりましのちからなくしてなしえない我が身が、形ばかり龍神と讚えられて、なんと不甲斐ないことか」
長い語りの終わりで、また信羅がほろりと涙した。
「信羅娘々、泣いても始まらない」
美麗がそれに返す。
「賽は投げられたっていうじゃない。もうゲームは始まってしまった。降りることは出来ないから、最後までやり遂げないと行けない」
「龍神とそのよりまし、どちら欠けても上手くはいきませんわ。娘々がお力を授けてくださって、初めて私達はよりましとして十分に働きが出きるのですから」
蘭英がそれに続く。よりまし二人は、信羅の悲壮な心に、実に明るく返した。
「ほんに…」
それに、信羅はまた涙を催される。
「よきよりましどのを得られました。こんな方々を陪神にできようとは」
と言うのを止めるように、
「ああ」
と仁羅が複雑な顔をした。
「そのことだが。妾は、美麗を陪神とはせぬよ」
「え?」
信羅がいぶかしそうな顔をする。
「ああ、お前様は知るまいか。美麗はちと生い立ちが特別での、陪神になるかわりに、妾が責任もって元あった場所に戻すことを約した」
「仁羅姐姐、それはとおきみおやさまの定めたもうたところに背きます」
「妾も、あちらのお怒りは覚悟の上じゃ。妾だけ陪神が足りぬでは箔がつかぬしの。
 しかし信羅よ、考えてもみやれ。
 妾ら、代々よりましに、共通理解とかどうとか言うて陪神になることを強いてはいまいかと」
信羅は、得心しかねるような顔をしている。共通理解として、陪神になる運命を受け入れようとしていた蘭英も同様である。
「よりましも、よりましに至るまでの紆余曲折がある。
 陪神になるが龍と生まれて最高の栄誉と、一体誰がさだめたか。
 いつのまにか、妾らもその気になっておった気がする」
将の出陣を促す兵士が現れた。仁羅は厳粛に言った。
「龍神が会い争うことは龍神がこの世に現れてより初めてのこと。歴史が変わったのじゃ。
 妾らも、少しはかわろうぞ」

 将の乗る車、武器防具の乗る荷車、その他諸々を積んだ荷車。そういうものが列をなして、戯珠広野に向かう。
 みな、ほとんど無言だった。
 戯珠広野について最初にすることは、陣を張ることだった。兵たちが車から資材を降ろし、あれよあれよと将の天幕と柵に堀を造る。
 最後に、作られた出陣の門に、大貴龍が札を下げた。
「これはなに?」
と美麗がきく。興龍が
「免戦符だよ」
と言った。
「なにそれ」
「まあ、余計な戦いはしないってことかな。これを出した時に戦いを仕掛けるのは、戦いにおいての礼に反するとして、軽蔑の対象になる」
「ふうん」
戦に作法があったりするのか。美麗はそんなことを思った。
「君のいた世界の戦を、俺は知らない。おそらく君は、戦というものについて、俺達と違うことを考えているだろう」
「…そうね」
美麗は、知るかぎり、戦争とか、武力介入とか、ここに来る前にメディアで得てきた情報を思い出していた。もちろんここには、戦闘機や戦車、自動小銃の一本すらない。
「文官の名誉は、龍王の近くで政治の助けとして頼られることだが、戦で名の有る武将を倒す、武官にとってこれほどの名誉はない。
 もしそれが、戦法の武将と相打ちになったとしても、勇敢であれば有るほど、讚えられ、一族のためにもなる」
「…興龍、死ぬつもりなの?」
あまり聞きたくない質問だったが、興龍のあまりの陶酔ぶりに、美麗はつい尋ねていた。
「八玉龍神のよりましは、いずれそうなる。
 一族から陪神がでることは、同じく大将軍が出るより名誉かもしれない」
「私は、そんなことにならないみたい。仁羅が約束してくれたの」
「君は、もとの世界に戻らなくては行けない。
しかし、永遠にこの大竜神帝国と、ここを含む世界のどこからもいなくなることは、ほとんど同じだ」
「みんなと会えなくなったどこかで、私はまた生きて行く。
 それって不公平よ。
 私と同様にみんなが生きてゆく権利は当然にある。そうじゃない?」
「美麗、それでは龍神のよりましのしきたりに外れる」
「今は、龍神の歴史始まって以来未曾有のことよ、もしかしたら、これが龍神の新しい歴史の始まりかもしれないわ」
美麗は、仁羅の受け売りを、興龍にとうとうと話す。
「龍神も、新しくならないと。命は、無駄にしてはダメよ。
 無駄に戦って命を落として龍神の陪臣になっても、あなたはいいでしょうけど、家族や信じている人たちには悲しむに悲しめない嬉しくても嬉しくなり切れないことになっちゃうから」
興龍が、左右を見回してから、兜の奥で暗がりになる顔をふと緩めた。
「美麗らしいな」
「ありがとう、私はいつもこうなのよ、緊張感ないでしょうけど」
「…ひとつ、聞いていいか」
「いいわよ」
「もし、龍神のお目こぼしが有って、俺が命をつないでいたら、命龍とお前を、任せてもらえるよう進言したい。
 いいか?」
「…え?」
いわれてから美麗は、興龍と同じように、左右を見回した。驪龍がいやしないか、そうでなくても、兵士の目がないだろうか。そんなことが気になったのである。しかし、兵士達はそれぞれの仕事に没頭していたし、驪龍は龍宮殿の方角を向いて、分かたれた龍神を威嚇している。
「美麗、返事を」
急かされて、我に返る。答えにくい質問だ。龍神が全部、よりましを生かすか、それはそれぞれ龍神にお伺いを立てないとわからない。仁羅をつうじて美麗に流れて来る龍神の気配は、仁羅の提案に戸惑い、答えを出していない。興龍をよりましに選んだ龍神義覇も、よりましの言葉に苦い顔をしていることだろう。
「…それは、私がOKを出す問題ではないわ。義覇様がお許しくだされば」
そんな煮え切らない答えが、やっと美麗の口から出た。
「それでも良い。
 それで俺は、この戦を生き延びる理由が出来た」
興龍はそう嬉しそうに言って、兵士がかけた声の方に向かって行った。
 興龍がいなくなってから、美麗は、かけられた言葉をもう一度咀嚼した。そして、
「生きていれば、か」
そう言ってみたが、そう言う話をはぐらかすことの出来なかった自分がなんとなくおかしかった。

 「すごい空の色…」
龍宮殿・豊楽閣。こちらでも、戦の準備の喧騒が小さいながら聞えるところで、沙龍公主は窓から空を見上げてそう呟いた。鉛を溶いたような色というが、雲が低く、どす黒くたちこめ、遠くの雷鳴が、角をしんしんと震わせる。
「地の乱れは天の乱れ、天の乱れは地の乱れ」
厳かにそう呟きながら、照龍公主がその隣から空を見た。
「さしものとおきみおやも、この成り行きはごらんになるに忍びぬようじゃな」
そう言って、照龍公主は、沙龍公主を奥に導いた。
「沙尚、今にそこには雨が降りかかる、奥で話しでも」
沙龍公主が、その声に従おうと向き直ろうとした時、「あ」と、身をすくませた。照龍公主は、茶菓の準備にきた侍女をいったん全部下らせて、
「まがりなりにも万乗の位にあるものが、案内も求めずに玉座から動き回るとは、少々不用心に過ぎないかえ?」
と、入ってきた気配に言った。
「この龍宮殿はすでに全てが妾のもの、妾が己の家の部屋に出入りするに、どうして案内を乞う必要がある」
龍王の武装に身を固め、隣に瑠威趣龍だけを従えた燎哲娘々は、真っ赤な唇の端を妖艶に持ち上げて、照龍公主の皮肉に全く動じることがない。その娘々が、ふと改まった。
「あらいけない、妾としたことが、戦にわれを忘れておりましたわ、照誼姐姐」
照龍公主の顔は、苦り切ったままだ。
「無き龍王がおわしてやっと成り立っていた妾たちの間柄、思い出したように、義理でかわした結拝(義兄弟の誓い)を引き合いに出すな、虫酸が走る」
「そういうわけにも参りません、とおきみおやを奉る楓露山の別当を務められた方に、無礼があっては」
「…用はなんだ」
照龍公主は、そばの椅子を引き座りはしたものの、慇懃無礼な娘々の物言いに腹を据えかねているのがありありとわかる。ひじ掛けを握りしめる指が白くなっていた。
「沙尚がながくこちらにお邪魔をしているとか」
二人の、刺すようなやり取りに、外を眺めるふりをしてその場を去ろうとしていた沙龍公主は、娘々の言葉にぎくりと立ち止まった。
「今度はどこに嫁がせる気ぞ? ブランデルか?」
「まさか」
娘々はにやりと笑んだ。照龍公主は、見る見る蒼くなってよく沙龍公主の顔色を見て、
「ならば早々に去れ、いずれ己らの優位にあることを、ここ豊楽閣まで見せつけに来たものであろうぞ」
と立ち上がり、払うように手を上げた。
「沙尚も二度とそなたへは渡すまい」
「姐姐、落ち着かれてくださいな」
娘々の眼光が鋭くなる。
「桜霞山を再び興そうとおもっておりますの。今の古びたものを、八珠龍神にふさわしい荘厳なものに。この戦いは永劫に歴史に残りましょう、縁起としてこれ以上のものはありますまい。
 沙尚には連綿と続いてきた代々の龍神を、別当として守ってもらいたくて、こうして打診に訪ねたのです。
 沙尚、お前にも悪い話しではないでしょう、いずれお前が懐いていた驪龍も祀られるのですから」
「大哥も二哥も絶対に負けないわ」
沙龍公主がやっとのことで声を上げた。
「絶対に、この争いを糺して、大哥(青龍)を龍王にしなければ、この乱れは収まらないのだもの」
「この期に及んであきれたこと、何も知らぬ子供のように」
娘々は、ことさらに眉根を寄せてみた。すでに勝ったと思っている戦の前に、娘にののしられたことなどは寛大な母を装って忘れるというしぐさだろう。
「いつまで、姐姐のもとにご厄介になることはできないのですよ。
 桜霞山の別当として、お前以上にふさわしいものはないからこそ、私もこうして出向いたというのに」
「私は」
「再び母に口答えは許しません」
ぎらりと娘々の眼光が、沙龍公主を縛った。照龍公主が、沙龍公主をかばうようにそばによる。
「桜霞山に送るものは他にもおろう。そなたが知らぬとも思えぬが」
娘々は公主を一瞥する。
「娘の行く末を、母として案じておるのですよ」
「別当になして、その実桜霞山に閉じこめ、監視させようというのであろう。懐かぬ娘ならば、いずれ敵ともなろう程に」
「…百歩譲って、私が龍王を名乗るにたらぬとしても」
控えていた瑠威趣龍に出陣を促され、娘々はまとめ上げるように言った。
「病中の龍王より、妾と青龍に渡された称制(龍王代理)の権はまだ有効です。
 全て終わった時には、正式にふれ出しますので、そのつもりで」
娘々はくるりときびすを返し、深紅の武装が、娘々の威厳と相まって、何も知らぬものがみれば、娘々は神々しく、また美々しくみたことであろう。しかし公主二所は、それを、複雑な、おおよそ苦々しい表情で見送った。

 ややあって、しんとした部屋の中に、照龍公主の声が高らかに、左右に届いた。
「旅の備えをせよ、この閣をでる」
「大姐!?」
沙龍公主が裏返った声を上げる。
「案ずるな、お前様も一緒ぞ」
「え?」
「それとも何ぞ? 桜霞山別当の話に食指が動いたか」
「は?」
「まあよいよい、お前様はそこに座っておれ。
 備えができれば、もうこの龍宮殿に用はない、お前様が望みに望んでいた、諸国見聞の旅にでてしまおうではないか」
娘々がいた時には決して見せなかった悪戯そうな笑みを、照龍公主は浮かべた。