ちー
楓露山の書庫に、美麗の姿があった。前別当絢龍公主は、後任の教育に忙しく、つまり「そんなことにかまっているヒマはない」と、侍女を通じてやんわりといなされたのであった。
中っ腹に、案内された書庫に入り、管理人らしさき老神官に、
「八龍神のことを書いてある本を、片っ端から出してきてちょうだいっ!」
と背中で言って、側の椅子を引き寄せたのがその日の昼過ぎのことである。それから半日以上、美麗はその場所を動いていない。老神官は、突然現れたこの女性が、別当曰くその八龍神の一柱を寄せた身だとは到底信じられず、でも信じざるを得ない立派な角が書物の谷間でコソとも動かないのをやや心配して、明かりをつけがてら美麗の顔を覗き込んでいくが、美麗はそんなことにも気がついていない。
まだ体は全然調子は戻っていない。我にかえればめまいもするし食欲もない。でも食欲などはなくてかえって没頭できるものだ。
そして、書物にあることを美麗なりにまとめてみれば、こんなことのようだ。
まず、この国・大龍神帝国は、莫那(モノ)というこの大陸の北東部にある。温帯からやや亜寒帯の気候を有し、国土の四割を丘陵・森林地帯で占められている。
国そのものの歴史は古く、建国以来四千年、一王朝が統治をすすめて来た。つまりこの大陸に、クニというものがほとんどない、いわゆる素人間などは原人のような生活をしていた大昔から、龍は文化的生活を送ってきていることになっている。まだ国家と言うものは形成されてなく(というより、大陸全土が龍の所有と考えられていた)、龍は例の長い体で空をかけていた。
そのうち、素人間が文化を身につけてゆく過程があり、龍達は素人間達に土地を「わけてあげた」。
やがて、素人間達と「お買い物ごっこ」(貿易)をするようになったが、素人間は龍の姿を恐れた。
だから、龍は素人間の姿を「まねてあげて」、彼等の文化の進展に「胸をかしてあげてきた」のである。
だがそのうち、素人間と同じ姿は、大きさが小さいゆえに何もかもが小さくまとめられて省資源に繋がると言う考えが出始め(それは、悔しいが龍も認めざるを得なかった)、ついには、龍の生活も、人間と対して違うことなく送られるようになったのである。
だが、以上のことは、最も固いレベルの歴史書が述べることであって、龍が素人間の姿を取るようになってきたことには別の理由があるらしい。
書物を読みながら、美麗はいつかの沙龍公主やら驪龍やらの言葉を思い出していた。
「四つ足のヘビ、か」
素人間達が国を作り始めた頃から、文化的活動の上からはやむを得ない事情の数々により、天地の均衡が崩れ始め、それは龍達の生態に回避しがたい打撃を与えた。雄と雌がただ念ずるだけでは繁殖ができなくなったのである。
理由が、素人間との共存を許容する限り避けがたいことであることは、龍達にもわかっていた。だが、理論上は可能な(素人間達との間の混血は、龍が素人間の姿を借り始めた直後からあることだったから)「素人間的繁殖」は、龍にとっては、自らの自己同一性を脅かすものだった。
「それ」を許容しようとするもの、しないもの、龍達は長く紛糾した。
そして、結論は、「許容すること」だった。だが、龍と素人間との間の混血はあっても(子供が生まれて角があってもすぐさま折られ、素人間として生きることを強要されていた)、龍同士の間に、その方法をもって繁殖した例はない。だが龍達は、わらに縋る思いで、何組かの男女を選び、「四足の蛇の営み」すなわち「素人間的繁殖」を試みさせた。
そうしてうまれたのが八龍神である。まだその時には、その子供達が龍神になるという運命は誰にも知り得ず、桜霞山という天地の気(食物と同様に、龍には不可欠な生命力である)沸く霊山で育てられることになった。「素人間的繁殖」されたために、素人間のように劣ったところがあれば、それを限りに限り無く緩い亡びの坂道を下っている覚悟も辞さなかった龍達であったが、なかなかどうして、全員が全く正常に成人したのである。
龍達は、長い寿命を天地の間にたゆとうて生きてきた。それが突然、戦乱の阿鼻叫喚にやぶられることになる。
素人間達と大陸を住み分けた時に、龍の国もいくつかに分かれた。半ば以上は、似たり寄ったりの理由でほろびていったが、中には、同じように「素人間的繁殖」を試みて成功したものがあり、やがて孤高感は征服欲に変わっていったのであろう。大地を分け合ったかつての一族の一部が、恭順か戦乱を欲したのである。
そこで、桜霞山の八龍が立ち上がった。みな成人してよりは、余人と全く変わりのない生活を送っていた。彼等の成功に勇気づけられて、「素人間的繁殖」によって他の子供も生まれ始めていた。
八龍は、ついぞ諍いには縁がなく、対処法など思い付くはずもない人生の先達達を説き伏せて、自分達の国を守ることに目覚めさせた。
それぞれ、本来あるべき姿になり、龍達の戦う間、天地はその乱れに呼応して天変地異が何度となく起こったと言う。野には巻き添えを食った素人間達と、逆鱗を噛み砕かれて長々と横たわる龍が折り重なるようになり、その上でまた戦いがあり、とうとう本当の地面を誰も踏むことができないほどになったと言う。
それ以上、龍の歴史初めての大戦乱の記録を、美麗は読めなかった。どのような方法で、現在帝国を形成しいる龍の先祖は、狂える眷属を打破したか、克明に記録されてはいるが、美麗の心身にはあまりにきつい刺激だった。
それでも龍達は果敢に戦い、土地を守り切った。やぶれたものたちの一部は生き延びて、あの瑠威趣龍を生んだナテレアサの龍になったとも言われるが定かではない。とにかく、八龍は、死後も桜霞山にまつられ、ことあれば目を覚まし、それを平らげて眠るだろうといわれ、当代に限っては、その一人の器として美麗が選ばれたということなのだ。
その八龍神の一柱一柱は、
・聖守神龍迦仁羅(せいしゅしんりゅうかじんら・当代のよりましは美麗)
・聖律神龍誠義覇(せいりつしんりゅうせいぎは)
・聖恵神龍讃礼覇(せいけいしんりゅうさんれいは)
・聖闘神龍祥智覇(せいとうしんりゅうしょうちは・当代のよりましは驪龍)
・聖立神龍和信羅(せいりつしんりゅうわしんら)
・聖檄神龍玲考覇(せいげきしんりゅうれいこうは)
・聖輝神龍烈忠覇(せいきしんりゅうれつちゅうは)
・聖導神龍釈悌羅(せいどうしんりゅうしゃくていら)
というとか。
憚りに案内してもらって、逆流する胃液にのどを焼いてから、もう一度書庫に戻り、美麗はまばたきも忘れて乾いた目をこすった。その時、
「満足したかえ?」
と絢龍公主が現れた。
「すまなんだの。子供(後任の別当)の世話が忙しくて」
「公主」
立ち上がろうとする美麗に
「ああ、お前様は龍神が身を寄せおわす体、妾を友と思うて余計な気兼ねはなしにしょうぞ」
と公主はほほ、と笑って、そばの本の山を適当にならして腰をかけた。
「正直、夕刻からは何の仕事の手もつかぬ」
「どうしてですか?」
「離宮より、お前様を早く戻せと矢継ぎ早の遣いがあったようでの、とうとう、侍女では話が通じないようだから、直接妾に頼み込むようになった」
美麗は、その使者の態度と、何かを重ねて、ため息をついた。
「それは、もしかして、」
「驪龍からの遣いじゃ、なんでも、お前様は龍神の子を身籠る大事な体ゆえ、何をしているのか知らんがむりをさせるな、と。
この遣いで美麗が帰ってこないのなら、次は本人がくると、居丈高に言うだけ言っての、客殿から動かないのじゃ」
美麗は、それはもしかして本人じゃないのかと言いたくなったが、仁羅はずっと沈黙を保っているから、それは考え過ぎのようだ。
「わかったか? 八龍神のことは」
公主が言う。
「ええ、何となく。私は、神と聞くと、何か自分とは遠いものを想像してしまうけれど」
「そういえば、我々に、他所の神についてくるような天地の起源や、龍の創造という意識はないの。天地は最初からここにあるし、我々も最初からここにいる。
お前様の言う神、他所の神は、言ってみれば我々をつくり出し、あるいは保護するものだから尊ばれる。妾達龍は、その役目を先祖がおって来た。天地の気に溶けて、みおやは我々枝葉を見守って下さる。いかが、龍神仁羅?」
「さよう」
仁羅の気配が、美麗の背中から抜けてきた。
「気より生まれくる龍は気に帰る。それが長くくり返された営み。
美麗よ、それがわかれば今はよい。智覇さまのよりましの言うとおり、お前様は大事な体じゃ、戻るがよかろう」
さてそのころ。
正宮(娘々)の居室は、もともと後宮の中心になる清影殿であった。
だが、以前ここの主であった燎哲娘々は、自らを龍王と称したため、格式もそれに合わせて整えさせている。
だから、現在娘々は、夫の場所であった龍宮殿の凌雲殿に住んでいた。
そんな彼女の機嫌は、今は大変よろしくない。
自分の行動に絶大な自身を持っているから、今回の不首尾はじつに、ほぞを噛み切るような思いだった。
誰の差し金だか知らないが、謀反の冤罪を着せて子供達を逐いおとすことは、向こうに先に手の内から飛び出されて果たせなかった。にもかかわらず、離宮の方からは何の異変がないことが、まるで塩を送られたように許せなかった。その離宮の面々に、楓露山もいたく興味を持っているようではある。
恐らく、楓露山に関して、自分がさせたことは、別当絢龍公主もすでに感知しているはずだ。あるいは龍神の召還の準備を始めているやもしれぬ。時々、離宮あるいは楓露山から、懐かしい気配がただよってくるのは、これまでは仲間としてきた八珠龍神の一部の胎動なのか。
娘々の体内の龍神・聖導神龍釈悌羅は、深い沈黙を守ったままだ。このごろ、その存在も忘れてしまうことがあるのは、もしかしたら、自分が龍神の気配を「食った」のかもしれない。
「それもよかろう」
ふふ、と娘々は、二対の角を揺らして笑った。
そこに、
「万歳翁、瑠威趣龍様がお目通りを」
と声がする。娘々は、徒然とはためかせていた扇の手をとめた。
「碧峰閣に案内しておくように」
と言いながら、立ち上がり、左右を見回した。
「衣を替える!」
竜宮殿の後方…北側…には、まん中に後宮と、それを挟むようにして四つの「閣」と呼ばれる建物群がある。過去の例を見れば、竜王の息子や兄弟、事情あって父が在位の間に降嫁できなかった公主や楓露山別当経験者、寿命を待たずして譲位した竜王経験者の居住として使用されるようである。
今現在の例を見ても、龍宮殿東翼…正面から見て右側…になる白水、紫虚の両閣は、青龍天子と驪龍皇子の居住として使用されている。これからのひとくだりは、反対側・西翼の、南から碧峰、豊楽両閣が舞台である。
豊楽閣には、青龍達が「大姐」と慕う公主がすまっている。
照龍公主は、絢龍公主の前任の楓露山別当であり、故竜王・絢龍公主兄妹には従姉にあたり、先々代(娘々を龍王と認めなければ先代)の龍王がその父である。彼には照龍公主以外子がなく、龍王の道は甥に託されていたのであった。
閑話休題。照龍公主は当代屈指の風流の人ともみなされ、居住する豊楽閣には、白水閣に青龍がいなくなってしまったこともあって、多くの食客詩人や風流官吏が出入りしてた。
今日も今日とて、そこだけ、世俗を離れたような清談の巷だった閣の南、四季の草花咲き競う(今はそんな季節でないから、常緑樹ばかりだが)庭の向こう側がにわかに慌ただしい。什器の運び込まれる音、楽士が調律する音色、もちろん、出入りする人々の話声、そういうものに逐われるように、小鳥がさえずりをやめ何処ともなく飛び立った。公主は、たまたま吟じていた官吏を手で制し、庭に目を向ける。
「何ごと?」
誰に言うわけでもないような言葉に、すぐさま侍女が事態把握をすすめる。本人はそのあと、自分でも何が向こう側…碧峰閣…でおこっているのか確かめたいように、庭から目を離さない。
「…」
吟詠を中断させられた官吏は、平伏したまま、公主の言葉がないのを、もう歌わなくていいということなのかもと思い初めて、うろたえる。
「水煙や」
公主が、その気配を察したか、顔を向ける。
「お前のこのたびの詩は大変面白いから、落ちついてからもう一度吟じておくれ。今はしばらくお休み」
そう言葉をかけ、公主は手をたたく。打ち合わせたように侍女達が、十指にあまる数の食客・官吏達に酒肴を施す。水煙の前にも盃が運ばれてきたが、下戸の彼はその中の一献すら空にすることはできなかった。
あのコトがあってから、水煙は、芙龍公主の降嫁の儀式を挟んだしばらくの間を自宅で自主的に謹慎していた。その原因のわからないままに、友人や同僚が見舞いに来、もし職務上の落ち度があったなら、一緒に謝るからと促されて、久しぶりに出勤した後、いつものように白水閣にやってきた。すると、大貴龍が現れて、青龍のもとに連れていかれる。
二人きりになった。
「沙尚から聞いた」
とだけ言われた。全身がひからびるような冷や汗が出た。
「龍のまま首を斬られるのと、角を折られ生き延びるのと、どちらを選ぶ?」
死ぬより辛い刑罰が、罪を背負ったまま角を折られ、素人間としてさげすまされることであった。水煙は、自分可愛さにどちらとも返答に窮し、石になっている。
「…沙尚と美麗に命ごいされていなければ、そういうところだ。 芙陽は無事に彪龍家に嫁した。
お前は大姐に預ける。豊楽閣詰めの官吏にちょうど空きができたところだ。
出世の途は断たれようがな」
「出世など、命を救われた身に、それ以上など望みません」
現金にも水煙は、命が助かったと言うことに、まるで神を前にしてるように平伏した。
「よかろう。実は私も、お前の才には器の大きさを感じているのだよ。しかるべきところでしかるべく切磋琢磨をすれば、もっとよいものができよう。照龍大姐はそういうところでも嗜み深くておられる。お前も可愛かってもらえよう」
「かたじけのうございます。この命はもはや借り物、貸し与えて下さいました天子様公主様への恩は生涯忘れません」
そういう会話をつらつらと思い出しているところに、侍女が戻ってきた。
「万歳翁が瑠威趣龍様とごく内密のお話とて、ご使用遊ばすようでございます」
報告を受けて、
「何が『万歳翁』じゃ。燎哲め、…あの…」
いーっ。その先、もっと口荒いことも言いたいようだったが、公主の矜持に押しとどめられたのか、その先は台詞にならなかった。そういう公主の内情を、左右の食客達はてんでんに察しようとする。
「公主」
誰かが進み出た。
「拝すれば、先頃からの娘々のお振る舞いには言葉にあまるお気持ちをお持ちの御様子、公主程のお方なら、娘々もその箴言をおろそかにはなされませぬまいに、何ゆえ」
だが公主は、前楓露山別当という経験上、娘々の身に起こった変化は人より敏感に感じることができる。龍神の力さえ自分のものに消化した娘々に、下手に刃向かうには最低手足や角の一本の覚悟がいる。なにより、
「言いたいことは山のようにあるが、言ってもなんのクスリにもならぬ。
妾はそんな損するだけのこといやじゃ。絢滋(絢龍公主)が早う帰って来ぬかのう。そうすれば、ここで何の世俗とも関わりなく、姉いもうとのように暮らすのに」
公主は息をついた。動いている龍神が娘々のもの一柱でないことが、さらに照龍公主の気を重くさせていた。それをつとめて悟られぬように、わざと明るく照龍公主は言い出した。
「そうそう、絢滋といえば、先日、楓露山より文があって、女主という未曾有の事態に、八龍神がお目覚めになるよし」
「ほう」
左右は楽観的にさざめいた。「八龍神」に、「世の乱れ」と言う言葉が直結してきて、自分達の趣味活動のさまたげになるかいなか、そういうことが心配になっているようだ。
「じゃがいやな予感がする」
公主はやっぱり、だれにも聞こえないように呟きたいのをとめられなかった。その一柱でない龍神の気配は、庭の向こう側・碧峰閣からただよってくるのだから。
碧峰閣の室内は、まるで何年も前からそこに人が住んでいたように整えられ、そこに娘々と瑠威趣龍の姿があった。
「逐われる前に身をひかれるとは、青龍天子にはしてやられましたな」
と、瑠威趣龍が言った。
「昼間の蝋燭と、少々見くびっておりましたかな」
「何の、恐れることはない。知恵はまだまだ浅い。謀反の冤罪など、これからかける機会はいくらでもある」
「そうですな、万歳翁を敵に回すと言うことが、そもそも読みの浅いことですな」
瑠威趣龍はふっふっと笑った。外見は三十がらみで、異国風の衣装に男っぷりが光る。言いながら、さし向かう娘々の姿態を嬲るような目で見る。その娘々の衣装といえば、空気のような薄い衣一枚を羽織っただけで、白い身体と輝く角が浮き上がるように見えた。娘々は盃の中をくいと空けてから、
「妾とお前様のみ差向いの時には、万歳翁とは呼ばないで」
と言った。明かりに、二人のそれぞれ二対の角がゆらりと動いた。
「お前様が龍神のよりましとは、なんと縁は奇なものであろうか。だがよかった」
「勿体無い仰せです、…燎哲様」
「その後、調子はいかがかえ? 不都合は?」
娘々は、その言葉を行動でも示していく。ていねいに服を剥がされて、瑠威趣龍はほとんど半裸だ。
「御心配なく。夢の中で講釈を垂れるものですから、ねじふせてやったら以後大人しいものですよ」
「たのもしいこと」
娘々は鼻から息を抜くように笑った。瑠威趣龍もつられたが、すぐには態度を崩さない。
「それはともかく、龍神も身を寄せおわすお方なら、もう女主とてもなんの不都合のあろうと言うもの、それでもなおなにやら言うものがあれば、私と彪龍のご当主が逐一排除していく所存ですので、燎哲様にはご安泰の続かんことを」
「ほほ、たよりにしておるよ、考覇どの」
娘々は、椅子に座った瑠威趣龍の膝の上に、対面した状態で衣の裾をはらった白い脚を広げ座ってくる。彼も拒む様子はなく、娘々の衣を滑らせ落としてその肌を撫でる。
「一柱にて一国をほしいままにさせうるという龍神の力、それが二柱、いや三柱も妾の手中におわすのなら、もう恐いものなどない」
娘々も男の身体を愛撫する。
「さすると、三柱めのよりましが見つかりましたか」
「日夜妾のもとを訪れるもののうちに、著しい反応をするものがある。今までは、妾が子を生んだりなんだり雑事が多くてきっかけがつかめなんだが、次の月が満ちる頃にはお前様のめにもかけられよう」
「お子さまはいかがしております」
「お子さまなどと他人行儀に。後宮のどこかでちゃんと育てられていようぞ、妾は何の心配もしておらぬ。
考覇どの、今はそれより」
「光栄ですが、また先のようなことになったらいかがいたします」
「今のうちからそんな心配はできぬ。四足の蛇の営みはお前様嫌いかえ?」
「とんでもない」
「続々と、目覚めつつあるようだな」
智覇が言った。このごろは、美麗の夢の中の龍神本体との語らいもにぎわしい。仁羅だけだったものが、智覇にこのごろはよりましの驪龍も入ってくる。驪龍本人の体は、厚かましくも美麗と一つ寝台の中だ。もちろん、そんな事実はないし、これから先もそのつもりはない。
今日明日と言っても差し支えないと、医者から太鼓判を押された美麗の腹は、その太鼓判のわりにはたいした変化もない。だが驪龍は、青龍のもとで仕事をしている美麗のそばにやってきては、「子供」が動くというその気配に相好を崩す。美麗本人は、その動きが伝わって来ないのが気味悪かった。考えたくないことなのだが、やっぱり、自分が生むのも、「卵」なんだろうか。なんだか鳥みたいだ。でも、生んだ卵は半分自分のものでも半分は自分のものじゃない。それじゃ鳥も鳥、養鶏場の雌鶏と変わらない。
美麗はそういうことは考えないことにした。だからこの夢の中でも、驪龍が美麗と夢を共有してだらしなくうれしがっている姿をあえて黙殺して、智覇の台詞に食い付いてみた。
「八龍神が?」
「さよう。近いうちに、総てのよりましが選びだされるであろう。その中のどこまでが我々に与するか」
「へえ。
…聞いていい?」
「うむ」
「よりましって、どう選ばれるの?」
智覇は、最初のうちはそれなりに気前のよさそうな感じだったが、美麗からの質問を聞くなり
「お前に話してもきっと理解してもらえん」
と言い切った。両手を拳にして震える美麗をなだめ、智覇をたしなめて、仁羅が説明する。
「八龍神は八珠龍神とも言う。『珠』は龍にとってなくてはならぬもの。うまれる時は手に握って生まれてくる。天地の気を感じ、自分の糧にするためにじゃ。
そして八龍神の『珠』は、平時には我々本体の仮の器になる。そして、有事には、よりましをさがす役も果たす。よりましは龍神本体と同じ気配を持っておる。妾とお前様も、同じ気配を持っておるのよ。妾達は、珠により導かれたのよ」
「そう」
腹をたてるのをやめ、美麗は一応納得した。そして改まる。
「そうそう、一応、八龍神のことは学習したわ。正確に理解したかは自信ないけど、初めてこの国を助けたのね、あなた達は」
「それをわかってもらえばいい」
仁羅はそれでいいようだったが
「だが、龍神でない者に見えることはほんの一握りのことでしかない」
智覇はまた難しい顔をした。
「我々の間だけで知っておればよいことのほとんどは、まだお前には伝えられていない。仁羅が、子を生む身にこれを語るのはお前の身体に悪いと釘を刺されたから、済んだ頃に、聞かせてもらうがいいだろう。その子にもかかわりのあることだから」
美麗は、智覇にとことんばかにされている気がして、あまりいい気持ちがしなかった。彼の態度だけで十分調子を崩しそうだった。だから仁羅が
「妾はお前様に健やかに子を生んでもらいたいだけなのよ」
あくまでさり気なく美麗を持ち上げる。
そして、それから二三日と間を空けずに、美麗は出産の床についた。
「私、もう何があってもたえられると思う」
といわしめる重労働の果てに、出てきたものは、やっぱり「卵」だった。白い丸いつやつやしたものを、テレビの出産ドキュメント番組よろしく胸の上にのせられて、
「これ、割るの?」
美麗はつい拳の固いところをあててしまった。
「ひええ」
立ち会った女達が悲鳴をあげる。ちょうど部屋に入ってきた姚妙(青龍の妻)と、頭の中の仁羅が、ほとんど同時に爆笑した。
「今卵が割れたら中の子供は気に溶けて何も残らなくなってしまうわよ」
「ではどうしたら」
眉を潜める美麗に、姚妙は、数日間天地の気をあてた後には、幼児の姿で改めて自力で孵化をすると言った。
「龍王の一族なら、代々楓露山にその場所があるのよ。あの子たちもそうしたし。龍神の子供なら、やっぱりそこになるのかしらねぇ」
別室で待機していた男達も、美麗の無事出産母子?共に健康の方に、即刻楓露山行きを決定した。
「絢龍公主もよろこんでいただけるだろう」
と青龍がほくほくと言い、
「それに私も、いつか約束したとおりに、その子の名前を考えねば」
「兄上、よろこんでいるヒマがあるのか?」
驪龍が舞い上がるのを先回りされて少しく憮然とする。
「どうしてだ?」
「義姉上(姚妙)のこと」
「…」
青龍は突然すとんと地に落ちたように大人しくなる。
「このままでいけば、兄上と娘々とが敵対することは避けられない。まさか、戦場にまで子供達を?
大貴龍、義姉上はお前の眷属、一族で保護できないのか?」
「一部長老が動いて、事実上縁を切られた形になっております。父を含め、長老は私と仲がよくありませんから、事後承諾と言う形でした」
「だが、それでも姚妙は私と離れたくないから一族に抗議はしないと笑ってくれた。
私ももう、後には引けぬ。守るべき人たちがいる限り、私は弱音をはけぬよ。
私なんぞより、美麗の方がよほど辛かろう。自分の親兄弟と再びあうすべすらないのだから」
寝床で冗談を言ったりしているが、まだ産後の動揺は収まったわけではないようだ、との姚妙の報告を、青龍は気にかけているようだ。
「気が強そうでいて実はそういう振りがうまい、彼女は」
一同、沈黙する。
「…驪龍、美麗のそばにいてやれ。仲間のお前が支えてやらねば、いつ美麗も押しつぶされるかわからん」
「仲間として?」
驪龍の声は不満そうだ。生まれた子は自分の子だと真っ向から主張する身には、夫ではなとく、という条件が気に触ったようだ。
「そうだ、仲間だ。それ以上は二人にとってためにならん」
青龍には、産後と言う美麗の弱り目に、弟が付け込もうとしているように見えてならなかったらしい。
それでも、驪龍は美麗のもとを訪れた。
「驪龍様」
起き上がろうとする美麗の肩を押さえる。
「無理をするな」
「でも」
「義姉上いわく、子供を生むのは大変なことなのだそうだから、大変でなかったにしても大変だったそぶりぐらい見せろ」
変なことをもっともらしく言い、そばの椅子を引き寄せる。
「兄上が珍しく、お前の相手をしてやれといった。仲間だからと念を押されてな。
この際何でもかまわない。美麗、私を頼ってくれ。龍神の力があれば、お前の一番の望みも、俺は叶えてあげられる自信がある。
…たいせつな人に何もしてあげられず、いなくなっていくのを見るのは、もうたくさんなんだ」
驪龍の眼差しは、いつか見た刺すようなものではなく、おちついた紫の淡い光が宿っている。だが美麗は頭をふった。
「でも、御期待には添えません。私では、天亮という方の変わりにはなりません」
美麗は上目遣いに、すこし驪龍の気持ちが鬱陶しいように、見上げる。
「私はこの国の教育を受けていません。この国の倫理がうたうように、女は生活する力がないから男を頼れと教えられたことはありません。
友人のいることはとても有り難いことです。でも、自分に開いた穴にとりあえず何かを埋め込むような、そういう気持ちをかくした心は好きではありません」
驪龍には、美麗は泣いているように見えた。驪龍は突き放されたような気がしたが、あるいは美麗の言うとおりなのかもしれないと思った。
「わかったよ。今の所はあきらめた。
確かにお前は天亮じゃない。兄上は実はお前は強がりがうまいなんて言ってたけど、俺はそうとは思えないね、お前は強いよ」
そして、俺の気持ちはおそらくいつまでも変わらない。驪龍は美麗の手をとった。服の隠しから伊達眼鏡をかける。
「その気になったらいつでも」
わざと気にさわる台詞をかけてくる。もうすこし真摯な態度に出れば、これから先友達ぐらいには思ってやろうかと思っていたが、
「自惚れないでよ、麒翔!」
弱気になったり油断したりするすきはないようだ。さもないと、また暗闇の中に引きずり込まれそうだ。

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