りゅー

 離宮に帰って来た頃から、冬に差し掛かって来たようだ。
 夏の間は木々も茂り、風情のある場所なのだそうだが、今や葉はあらかた落ちて、いかにも寒々しい有り様である。
 離宮には、わずかばかりの使用人と食客がついてきたが、季節外れで広いばかりの離宮は、そういう寂しい自然の情況と相まって、いかにも、彼等の境遇を思い知らせるようだった。
 たしか、美麗がここにやって来た時結婚した青龍と、御妻姚妙の間には、離宮に立つ直前に双児が生まれたはずだ。絢龍公主の話を聞くまでは、足下を駆けずり回るこの子供達がその双児だと信じられなかった。
 本当に、斉龍皇子と湖龍公主(兄妹か姉弟かは良く分からない)は、元気いっぱいである。だが、つれてきた侍女で、常日頃から二人のそばにいられるのは、美麗の他には双児の乳母ぐらいだったので、双児のどちらかが暴走を始めても御しきれるものではなく、ほとほと手を焼くことも多かった。
「美麗美麗、おいでよ、ほら」
斉龍が柱の影で手を招くが、美麗は体がついていかない。
「だめよ斉龍、美麗は具合が悪いのよ」
湖龍は机に隣り合って絵の相手をしてもらっている美麗を独占したいのか、美麗のそでを掴んで離さない。
「湖吉はそうゆって、昨日も美麗とずっと遊んでたじゃないか」
「そうでしたっけ、でも美麗はおいかけっこやかくれんぼは嫌いなのよ」
「うそだいうそだい、前は一緒に凧上げしたぞお」
双児の声が頭にカンと響く。つい眉をしかめた美麗に、双児の乳母が囁いた。
「美麗、私に任せて、休んだらどう?」
昨日もそう言われたが、美麗は、休むとよけい辛くなるからと言って、それを拒んでいた。
「でも元気ないし、青白いし。
 風邪でも引いたのね。寒いから」
乳母は、思うところでもあるのか、美麗を強いて立たせて美麗の部屋におくっていこうとする。双児のいた部屋は間もなく人外魔境に陥るであろう。
 とにかく、乳母は、その道すがら、美麗の顔を覗き込んだ。
「それとも、おめでた?」
「!」
美麗はぎょ。として乳母の顔を見た。
「どどどど」
いつものどうして、が出ない。
「白水閣で、たくさんの殿方を見て来て、どなたとも仲良くなっていないなんて、そっちの方が不自然よ、私には」
「それとこれとは関係がないような気が… それにわたし、そっちの経験は」
「まあ御謙遜。コドモの腰付きには見えませんけどね」
乳母はにっと笑った。
「でも今は、あなたの御意見をとることに致しましょうか。
 でも休みなさい。皇子様や公主様に感染ったらコトよ。暖かくして休んで。それが薬よ」

 眠り込んでいた美麗を、優しくおこす乳母の声がする。起き上がると、確かに乳母の顔があった。ついでに、寝台のふちに手をかけて、双児の顔が、乳母の左右から伸び上がってくる。
「お二人とも、感染りますよ」
美麗が半身を起こしていう。乳母は「ついてきてしまわれたの」と渋い顔をし、双児は
「大丈夫だよ、強い子だもん」
ねー。と首をかしげあう。
「美麗、ゲンキになったらまたかくれんぼしような」
斉龍が言うのに、美麗はやっと笑顔を作って
「はい」
と答える。乳母は手に持っていた盆を美麗の膝に置く。
「食べられる?」
覆いをとると、ふわりと湯気が美麗の顔を包んだ、が、美麗の顔は急にこわばる。
「食べられない?」
口をあけると、何か出て来そうな感じだった。美麗はうなずくしかできない。
「やっぱり、おめでたよ」
乳母はごくちいさな声で耳打ちした。今日一晩は眠りなさい、そんなことを言って乳母は、双児を追い立てるようにして美麗の部屋を出た。

 美麗はとまどうよりなかった。
 自分には全く身に憶えがないのである。こっちに来てからは全く、そう言うことに縁のない暮しをして来た。異性との付き合いより、興味あるものがここには溢れていた。
『そりゃ、手を触れたりするぐらいはしたけれど、まさかそれが龍の生殖なんて、そんなまさか』
こればかりは、美麗流に納得してすませられる問題でないような気がした。龍と素人間の間にも子供ができると言うことは、どっちかがよっぽど得意な仕組みを持っていない限り、美麗の知っているたった一つの方法で生殖するのではないか?
 なにより、自分の体なのに、その中で何がおこっているのか、美麗本人にも何の把握ができないと言うところだ。美麗は、体にあわせて弱気になっていたようだ。

 微睡む中に、龍神…聖守神龍迦仁羅が現れた。
「美麗よ、大事ないかえ?」
「死なない程度には。…ろくに食べていなくて、消耗していると思うけど、充電には差支えはない?」
「心配してくれるのかえ、殊勝なこと」
「あなたにもしものことがあったら、私はずっと帰れなくなるのだもの、心配したくもなる」
「上々であるぞ。
 だが今は妾の身より、お前の身の方が気掛かりじゃ」
仁羅の方も、美麗の体を「心底」心配そうだった。「心底」。
「枝葉なるは慶事ぞ。良い子を産めよ」
「ありがとう、と言いたいところだけど、本当に私、子供ができたの?」
「確かに」
「心当たりないのに?」
「心当たりとな?」
仁羅は変な顔をした。
「身籠らせたい時にその場で身籠らせることなど、龍神であれば雑作もないことじゃ」
「父親の心当たりがあるの? …あなた?」
「これこれ。楓露山別当から聞いておらなんだのか?
 それは、妾の他の、既に目覚めた龍神が、…身籠らせたのよ」
仁羅の口振りの最後の方は、急に後ろを向いたようになった。美麗はそれを聞き咎めていぶかしむ。仁羅は何か知っている。だが、それを自分には知らせるつもりはないらしい。話の先を聞き出そうとして、美麗はカマをかけた。
「じゃ、作るのも自由自在なら、その逆も自由自在ってことよね?」
「何!」
中っ腹に美麗は言って、自分の下腹に力を入れた。念で堕胎できるのならこんな簡単な話はない。自宅に土足で踏み込まれたように、見知らぬ子供など産むつもりはなかった。だが、仁羅は泡をくう。
「ああ、そう無茶をするでない!」
と声を高くする。
「お前はまだ、妾の力を自由にはできぬ。第一、そんなことをして、生まれようとする子に何の罪も覚えないのか?」
「じゃあどうすればいいのよ!」
美麗はじたばたと手足をもがいた。仁羅はため息をつく。
「では言って説明しよう。
 その子の父は、妾がまだ、地に足をつけておった頃の、妾の無二の配偶じゃ。その子は本当は、妾の腹より産まれいでる予定じゃった。
 妾達は、誰をよりましに選んでも、かならず逢い、子をなすように宿命付けられておる。
 お前はまだ分かるまいが、妾には、お前の腹からその気が立ち上るのがようわかる。
 それは瑞兆なのじゃ。 ゆめゆめ、その子を粗末に仕してはならぬ。
 時がくれば、妾の夫の、当代のよりましに会うこともあろう。よりましは龍神の姿も移すから、きっと麗しいお方であろ」
でもやっばり、ところどころに、後ろを向いたような言い方をする。美麗は、「瑞兆」の意味を噛み砕いて説明しなおしてもらってから、顎を撫でながら考え込む格好になった。
「そんな急に決めつけられても」
「お前の郷でも、身籠った子を徒にするのはよろこばしかるまじきことであろ? それさえわきまえておればよい」
仁羅はいい、これ以上説明をするのはもうたくさん、というようなことを呟きつつ消えようとした。が、また現れ、
「その子がうまれる頃には、妾の力も満ちる。じきに戻れるにより、辛抱ぞ」
とウィンクをした。
 美麗は、こんな押し付けがましい運命の前に、涙もでなかった。

 その日のうちと言ってもいい。
 青龍が、美麗の元にやって来た。
「美麗っ」
「青龍様っ?」
起き上がろうとする美麗を押さえて、青龍は、興奮覚めやらぬ赤い顔で言う。
「美麗、身籠ったとな?」
「…」
美麗は、いやそうにするのもはばかられ、かといって嬉しそうな顔を作ることもできず、俯いてしまった。だが、それが青龍には、なんらかの理由ではにかんだようにとったらしい。
「体は大事にしろよ、産まれたら、私が名前をつけてあげよう。えーと」
「あなた、うまれるのはまだ先の話ですわよ。大きな声を出さないで。美麗が恥ずかしがっているではありませんか。それになんだか、まるで御自分のことのようね」
姚妙はかたわらで一瞥をくれる。
「な、何もそのように刺々しく言うことはないではないか。大事にしている使用人の慶事だ。主人が喜んで何の咎めるところがある。
 …美麗、ついでに教えてくれ、相手は誰なんだ? 事情があるなら、話をもってやってもいいぞ。二言はない」
そう言われても、美麗には、答えようがなかった。龍神仁羅の夫が、一念で植えつけしたと説明しても、一体、いかに青龍でもその話を信じるかどうか。
 そこに声がした。
「答えよう」
「!」
視線が一斉に部屋の戸口に集中する。麒翔が立っている。
「父親は私だ」
「そんなばかな」
美麗の方が先に声をあげていた。
「変な見栄はっているんじゃないでしょうね」
「君の前で何の見栄を張る必要がある。それに、私は君に、身籠ってほしいと願った。その結果が、今の君だ」
「何を証拠に」
そんなことを、いいながら、美麗はぐるぐると麒翔との接触の機会を回想して、ハタ、と額を押さえた。
「あれが?」
「おい」
青龍がつかつかと麒翔に近寄る。動転したか、取り繕うことも忘れていた。
「驪龍、そりゃ一体どういうことなんだ」
「どういうことも、こういうことも、兄上が見て聞いたとおりだよ」
「…お前、美麗に天亮の二の舞いを踏ませる気なのか?」
「そんなことはしない」
「わかるもんか。
 お前にも美麗にも、天亮の時のような思いをしてもらいたくなかったから、お前達は極力遠ざけるように大貴龍や興龍とも気を配ってきたのだ、私は!
 お前は、また美麗も娘々にイビリ殺されたいのか!
「だから、そうはさせない。あの時は私に力がなかった。
 今は違う。私は美麗をきっと守れる」
「どこにそんな証拠が」
青龍がいい、麒翔の胸に突き付けた指をさらにつきかけた時、美麗が言った。
「麒翔…驪龍皇子様も、龍神のお一人だからです」
「なにい」
青龍は目を丸くした。
「お前が、龍神?」
「ああ。聖闘神龍祥智覇の当代のよりましに選ばれた」
驪龍はにやりと笑う。青龍には、この弟が龍神を名乗っても、にわかには信じられないようだった。
「本当なのか?」
「信じられないか?」
「たしかに、今までの生気の抜けたお前やら、麒翔やらとは感じが違うようだが」
このときの驪龍は、やっぱり麒翔の格好をしている。だが、その動きには全くすきがなく、伊達眼鏡の奥の眼光にも一本芯が通ってる様子が、落ち着いて観察すればうかがえる。
「昼行灯のつもりも、これが疲れるんだ」
まだ信じられないようだな。驪龍は言いながら、美麗により、その平らな腹をぽん、と叩いた。
「とにかく、この子の父親は私だ」
「本当か、美麗?」
このままでは、自分の不埒と理由を片付けられそうだ。美麗はつまりながら答えた。
「…龍神は、『触れ』ずに、子供を作れるそうです」
「ええええっ?」
「あるいは手をとる、あるいは口づける、何でもいい。要はその思いと願いが届けられさえすれば。
 我々龍は、そもそもそうして殖えていた。そうだろう?
 まあ、忘れ得ぬ味の伴う今の方法も、『退化』ではあるがよかろうな」
ときに兄上。言うだけ言って、驪龍が改まる。
「美麗とのこと、便宜をはかってくれると言ったな」
「うむ。だが」
「二言はないのだな」
青龍はうむ、と言葉をつまらせた。美麗には分からない、その天亮という女性のことが、頭を過ったのだろう。だが、弟の中におわすという、龍神の力を、信用したようだった。
「…条件は、お前がこの離宮に共に住むことだ。どうせ部屋は困る程ある。美麗には仕事がある。それを全うしてもらわねばならないのだ」
「それはもう」
驪龍は、言うが早いが嬉々として美麗を抱え、何にも備えて後は住むだけになっている部屋の一つに美麗を抱えていった。

 寝台に下ろされると、美麗は、抵抗する気力もなく布団の中に沈んだ。
「美麗、私をヒトでなしと思うか?」
驪龍はわきに腰掛ける。
「だが、もし私に龍神が降りたまうことがなかったら、私は紫虚閣で埋もれるよりなかった。龍神が私に道を開きたまうたのだ」
そして、すぐに立ち上がって、詩人が自作の詩を吟じるように、ゆったり、陶然と歩き始めた。
「そして今、君も龍神であり、しかも、その巡り合わせによって、私の子を身籠っている」
「…」
美麗は、時々、角の居住まいを直しながら、布団の中にいた。気が抜けたように、静かだった。気力がみなぎっていれば、エゴ丸出しの驪龍の台詞にも幾ばくかの反ばくもできよう。だが今は、横たわっていても、襲ってくるめまいと戦うのが精一杯だった。驪龍登場でしばらくの間興奮してただけに、その虚脱感はいっそう激しく感じられた。
「…美麗、君は嬉しくないのか? まだ二柱の龍神が地に足をつけていた頃からの、幾星霜も経たえにしの深さが嬉しくないのか?」
美麗の無表情をのぞきこみながら、驪龍が言うが、
「もう少し、考えて…眠らせて、下さい」
美麗は口の中で飴をとろかすように言い、すう、と目を閉じた。

 夢の中で、龍神・仁羅は、夫・智覇にまみえて、まるでただの女のように泣き崩れてた。
「長いこと離ればなれで、辛かったのだな」
智覇はそれほど驪龍には似ていなかった。何千年かぶりに再会を果たした妻の肩を抱き、慰める。
「しかも此度の乱れは、尋常な者ではない。せっかくあえたとは思えど…」
「妾はあなた様にまみゆることさえできるのなら、世の乱れなど始終あっても憂えませぬ」
「…それはちょっと困ると思うけど」
気高きラブシーンを目の前にして、美麗は冷たく呟いた。自分におりたときには調子のいいことをいっておいて、実はこの人もそれなりに自分勝手だ。
「お二方お揃いのところで一つ聞きたいのだけれど」
「何ぞ?」
「今私の中にいる子供って、生まれたらどうなるの?」
「その子は、生まれながらの龍神となるであろう」
懐く仁羅の代わりに、智覇が勿体ぶった言葉付きでいった。
「生まれ落ちてより、その体の生ある限り、世の乱れの静まりし後のしばしの混沌を整えるために生きてゆく運命にある。
 その道はあまりに厳しい。母としてその姿を見ることはおそらく、堪えられまい」
「智覇どの…」
「…そうか、そうでもあるな」
智覇の胸に埋めるような仁羅のつぶやきがあり、智覇は考えを少し変えたようだ。
「いずれにしても、お前は、うまれる子の母とは思わぬが良かろう。その子はあくまで、我々の念の産物、お前の意志の介在の許されるものではない」
体を貸すだけかと思っていたら、自分はこの二人の代理母でもあるようだ。いったい自分はどこまで利用されればすむ。美麗は叫びたいのを堪えて唇をかんだ。
「美麗や、可哀相に」
仁羅は、きつい通告を与えられて、かえす言葉のない美麗を抱きとめようとしたが、美麗はそれを後ずさっていなした。
「どうせ、よそ者の私なんて、使い捨てなんでしょう? 何のよりどころからも切り離されて、ここで朽ち果てるんだわ」
「…」
仁羅は立ちすくんでしまった。確かにそうなのだ。「よりましは使い捨て」、いくら、自分達がなだめすかしたとて、よりましの誰もが、一度は必ずそう思う。
「智覇どの」
仁羅は、夫に、どう美麗に接していいのか考えあぐねて振り向いた。智覇は、妻にでなく、美麗にいう。その口振りは、さして美麗に対して同情を感じてはいないように感じる。
「無聊を紛らす術はどこにでもある。
 現し身の仁羅は現し身の智覇に添えばよい。我々のようにな。
 まだ悟れる程ではないが、仁羅と同化しつつあるお前は、いつか現し身の智覇を慕うようになるはずだ。
 新しいよりどころを求め、得るならば、そう追い詰められることもあるまい」
智覇の言葉は美麗を押しつぶした。こういう傍若無人な考え方は、大いに驪龍に似ている。いずれ卵かニワトリか。
「私はどうなるの?仁羅に何もかも支配されて、美麗はどうなるの?」
「…美麗」
仁羅は改めて美麗を支えた。
「智覇どの、妾はそのように奢ることはできませぬ。その思いの大きさ小ささはあれども、きっと、よりましのすべてがその不条理を思って参ったのでしょうに、それを悟れずに今までまいった自分が苛まれます。
 例え、妾達がこれからを知っているにしても、その運命を控えているにしても、見越した顔で奢ることは、もうできませぬ」
智覇は何もいわなかった。
「美麗、お前様だけは、妾の存在をなきになしても、きっと」
仁羅は美麗の額を撫でる。美麗は外からのかかわりを断ち切った顔で、帰りたい、とうわごとのようにくり返していた。

「昨晩はすまなんだ。智覇どのはお優しい物言いはなれておらぬで」
「いいの。大丈夫。気にしないで」
美麗は夜の間のことはほとんど忘れていた。あるいは、龍神が記憶を操作したのかも知れない。ただ、智覇が、美麗の想像に比べて頑固そうだったな、という程度の印象しか覚えていない。彼らと美麗の間でどういう会話がかわされていたのか、なぜか仁羅は話したがらなかった。
「美麗よ」
「何?」
「お前様はまだ知るまいから、楓露山捌当にでも、妾と智覇どののことを教えてもらうが良い。八龍神の成り立ちの話ともいうか」
「あなたが教えてくれるんじゃないの?」
「妾が話すと妾の主観が入る。面白くないぞ」
 美麗は、雲に乗って楓露山に向かった。離宮の人間に説明を求めると、またぞろ変な顔をされそうだ。詳細はもちろん今の時点では知るところではないが、美麗の考える限り、印籠とか、桜吹雪とか、泥棒ネコを追い掛けてとか、そう言うレベルの伝説らしい。