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ディアドリー城の雪


いち・昏君大いに怒る

 後世の歴史書にはこう記されている。
 「オーガスタ連合王国は、ユイーツ大陸の最北端にある。国土の大部分はなだらかな平原が続き、その三割強は森林に覆われている。南以外の三方を海に囲まれ、気候は温暖であるが、改善し難い土壌の栄養の悪さに、思うような収穫は出来ない。
 この国は、中心になる王都オーガスタと、周辺に形成されている小王国とで形成されている。王都を兄とすれば、小王国は弟妹という考えがあり、それは建国当時より変っていない。小国王を束ねる王都の主は「盟主」と呼ばれている。
 ユイーツ統一歴四六八年、グスタフ・シュテファン・オーガスト・オーガスタ二○世(四四二〜四九四・在位四六八〜四九四)が即位した。二十数年に及ぶオーガスタ無政府状態をつくり出した希代の暗君と伝えられる。彼のしいた政治をきっかけに、積年の為政者達の圧政に猛然と反旗を翻し、民衆の人間性の解放と対等身分を求めて革命運動が開始された。その革命分子の首魁として名の残るパラシオン会議参与ヒュバート・アクター達が、彼らの偉大なる領袖として仰いでいたのが、オーガスタ・パラシオン十九世小国王アレクサンダー・ユーロス・パラス・パラシア(四四二〜四七〇、在位四六三〜四七〇)、『オーガスタの良心』『落日王アレックス』であった。」

 そのきっかけというのは実に下らないことである。
「盟主となった余に、まだそんな口をたたくか!!」
会談室の玉座の前には、円卓が一つと、数脚の椅子があって、各々に国内の小王国を治める王が一堂に会している。立ち上がったグスタフの視線の先には、彼の学友で、一足先に即位し現在はオーガスタの小王国パラシオンを治めるアレックスが、憮然としたまなざしを向けている。
「お前の説教は聞き飽きた!」
「これは私の言葉にあらず、古の聖人の言葉、人口に膾炙する格言でございます」
「だれの言葉だろうと、それがお前の口から出たということが気に入らぬ! 取り消せ! 平伏して無礼を詫びろ!」
しかし、アレックスは何も言わない。ただ、口元を凛々しく引き締めて、鋭い眼光で上座のグスタフを見据える。グスタフはその顔を見ようともせず、ぶいと背けたまま不興の姿勢をとっている。
「パラシオン王、ここは盟主の御諚通りに」
隣で、他の王が袖を引くが、アレックスは座ろうともしなかった。
「私は盟主に、先代のお父上のような名君であってほしいと常々」
「それが余計だ、余はだれの指図も受けぬ!」
「そういう自分勝手なお振る舞いは信頼を失う基となります」
「うるさい、しばらく黙っておれアレックス!」
まさか、戴冠式の翌日からこんな胸くそ悪いをするとは思わなかった。背きながらグスタフは聞こえるようにつぶやいた。
「余はこれからも、事あるごとにお前のそのけったくその悪いツラを見なくてはならないのだな」
「それが私の使命にして、運命とやらでございましょう。それはそうと陛下、…いかに相手が臣下とはいえ、それに見合う態度というものがございましょう。お言葉はお選びになりますように」
「うぬぬぬ」
口数もそれなりにして、言葉の上でもアレックスの方が上手だった。が、
「まあいい、時にアレックス、あのことは考えてくれたか」
とグスタフが言うにあたって、アレックスは一瞬その鋭い眼光に揺らぎを見せた。
「そうだ、こうしよう。
 盟主となった余はそれにみあう配偶をたてねばならぬ。
 お前が余の言うことを飲んで、何とかいったな、お前の妹を王妃として差し出すというのなら、余としては王太子時代からのお前の数々の無礼を水に流してもよいのだぞ」
聞きたくもない猫なで声だった。アレックスの瞳の奥が陰る。
 アレックスの年の離れた妹すなわちパラシオン王女モイラは、今年十七になる。公用で年に何回か、王都オーガスタから派遣されてくる官吏の土産話から、女神の降りたまうたとも見紛うほどの美姫との専らの噂がここ数年宮殿を揺るがしている。
 噂、とこんな頼りのない表現にせざるを得ない理由として、社交界に出る年ごろになったが、アレックスは居城のパラシオン城から一歩も彼女を出すつもりがないからというのがある。だから、モイラのその美貌も、噂の上だけの事になる。ただ、兄アレックス本人も、宮殿に伺候する良家の子女を眼光一閃でことごとく骨抜きにできるのだから、モイラのことも推して知ることができるわけだ。もっとも、その眼光鋭い美貌の若い王も、妹の話をするときだけは、目尻が下がっているらしい。モイラのことは、噂のみを頼りにして、王太子時代からのグスタフはもちろん、内外の貴族からも縁組みの以来が殺到しているというが、それに対するアレックスの態度は、いわずとも見当がつく。
 とにかく。
「妹は」
またぞろ例のご食指か。昨日の即位に合わせて、十指に余る選りすぐりが後宮にあがっているのに、まだ物足りないのか。小国王らが内心肩をすくめる中で、しばらく奥歯をかみしめたあとで、アレックスは判を押したようにいつもの返答を繰り返した。
「まだ子供ですので」
即位前なら、グスタフはしつこく同じことを繰り返して、先方の生返事に飽きると『王太子の余が相手なのだぞ? もっとよく考えろ、何がお前と妹にとって一番の方法なのか』などと捨て台詞を残したり、アレックスが強引に話を変えたりするのであるが、今度はちがった。
「アレックス、本当にいいのだな、その返答で」
グスタフは玉座に座り直し、不敵に笑んだ。そしてやおら
「衛兵、アレックスをひっ捕えて牢にぶち込んでおけ!
 その高慢な態度、一度懲らしめねば気がすまぬ!」
と高らかに命じた。アレックスが言葉を出す余裕もあらばこそ、衛兵の出現は待っていたようだった。

 オーガスタの隣国・帝国ミハイリスの辺境ロクスヴァ公爵領、領主邸の礼拝堂。
 祭壇には、一つ、棺が置かれている。中には、剣や斧の傷をいっぱいに受けた甲冑に身を包んだ老騎士の遺体が収められている。
「ジェイソン…」
その前に、二三人を従えた若い騎士がひざまずいていた。老騎士ジェイソン・アイゼルは、棺の前のロクスヴァ公子ディートリヒにとっては、政務や遠征で居城を開けがちであるロクスヴァ公爵に代わって、父のように厳しく暖かく仕えてくれた積年の忠臣であった。
「すまない。ディートリヒ」
後ろで控えていた者のうち、高貴そうな印象の一人がディートリヒの背中に話しかける。ブランデルの放縦王子エルンストは、ディートリヒの無三の友人であり、義弟である。今回突然の異教徒侵略の報に逗留先のロクスヴァで遭い、公爵不在のおりから討伐を直々に決裁したディートリヒに友誼により加勢していた。ロクスヴァ公爵領の一割程度を占めるこの異教徒インギー族とは、オーガスタとの国境周辺一帯が先祖伝来の土地であることを理由に、独立を要求する反乱を度々おこし、その度に鎮圧されるという繰り返しの歴史がある。異教徒、異民族と言えば聞こえはいい。実際は半ば野盗の集団であるので、辺境ゆえに複数の民族を許容している公爵としても、公安のためには取り締まらねばならない、辛いところなのである。
「君が謝る義理はない」
ディートリヒは振り返らず言った。老騎士ジェイソンは、このたびの異教徒の討伐の際、退却に遅れて落馬、異教徒の凶刃に遭った。原因は異教徒を追いすぎて森の深い部分に入ってしまったことと、そのため、本陣との連携が途切れたことにある。その上彼は、その日、自分の部隊を本陣のディートリヒを守護するように残し、エルンストの軽騎兵隊の一部を借り受けて出陣していた。 異教徒の実力を、教練の模擬戦に毛の生えた程度の物で、まだ戦歴も浅い軽騎兵隊のいい練習試合になるだろうとのディートリヒの判断のうえである。
 不慣れな地形、不慣れな部下。そして、油断。確かに、ディートリヒ達にとってはいつもの事であるだろうが、森の中での馬さばきから教えなければならなかった騎兵達を心配しつづけていたジェイソンに、起きるべくしておこった最悪のトラブルであった。
「かといって、ユークリッドを私は責めることはできない」
「…」
「ジェイソンを頼りすぎていた私の責任だ…!」
エルンストは、小刻みに震えるディートリヒの背中を、慰めるように見つめていた。
「ディートリヒ様、お心は有り難いのですが、余りの御心痛は、父の死出の旅には足枷ともなりましょう。ここまで哀悼いただいて、父は本望です」
エルンストの隣にいた若い騎士、ジェイソンの息子ライナルト・アイゼルが、涙をすすり上げながら、語りかける。
 ジェイソンが率いていたという、エルンストが故郷ブランデルから連れてきた彼直属の軽騎兵隊は、古い伝説にあやかって「新フィアナ騎士団」と名乗らせてはいたが、実際に騎士であるものはほとんどおらず、血の気をもてあました中小貴族の次男三男の寄せ集めであって、本国では正式な部隊とは当然認められず、「シニスター・フィアナ」との汚名を余儀なくされていたのである。
(筆者注・シニスターSINISTERというのは、本来「左側の」という意味だが、変化して「劣った」という意味にもなる。よってここでは「(正規の軍隊・あるいはまっとうな騎士に対して)劣っている」と解釈していただきたい。合掌)
「エルンスト、君だって、部下を失ったじゃないか」
黙っているエルンストに、ディートリヒは振り返った。確かに、それでもジェイソンを守ろうとした「シニスター・フィアナ」の面々が、数人ジェイソンの遭っためった打ちの巻き添えを食らっていた。
「いかに彼らが国元では容れられないとしても、死んだとなっては別問題だ。国に戻ってから、そのことの問題のほうが、私にはよっぽどな心配だよ」
「ディートリヒ、人んちの心配はいいんだよ。いつ何時、あいつらが報復に来るか、わかったもんじゃないんだろ? 大将がそんな真っ暗い顔してて、どうするよ。早く元気を取り戻してくれないと、困るぜ。他のお前の部下もオルトも心配してんだから」
「…」
ディートリヒは力なく立ち上がった。
「エルンスト」
去り際につぶやくように言う。
「ユークリッドに、気に病むことはないと、伝えてくれ。これも戦の常、と」
「大丈夫。オルトが今そうしているところだよ」

 オルトことオルトリンデは先年エルンストに嫁いだディートリヒの妹であり、輿入れ前は父と兄に続いて、異教徒相手に剣をふりまわしていたという結構なじゃじゃ馬である。輿入れすれば多少は大人しくなるか、と公爵夫人(兄妹の母である)は気もみしていたようだが、なかなかどうして、周囲の制止を振り払って今度の討伐にも救護と補給に戦場を奔走していた。輿入れから数年たっているとは言え、まだまだ新婚気分が抜けず、本人はただエルンストのそばにいたいだけなのらしいが。
「そういうことなのよ」
オルトは、あてがわれた大部屋で、ふて寝を決め込んでいた「新フィアナ騎士団」団長ユークリッドの傍に座って、ジェイソンの件について先述の事情を彼に説明した。
「だから、あなたが気にすることなんてないのよ。ジェイソンでも、把握仕切れなかった事態なんだから、ね」
「俺達を庇おうとせずに、そのまま退却されれば、ジェイソン卿は命だけでも助かったはずです」
「彼にそうせよと言うのは、兄様にも言えないことね。兄様は彼の教育であの性格になったわけだし。第一、曲がりなりにも知っている人間を見殺しになんて、できると思う?」
オルトはため息をついた。
「俺達は所詮ダメ人間の集まりです。俺は騎士失格です。命令一つ守れなくて…
公子にも、王子にも、向ける顔がありません…」
ユークリッドは極まって、ベッドに突っ伏した。
「そういうものではないわ。あなた達は経験が足りないだけよ。命令に関しては十分果たしたわ。
エルンストはきっと、偶然にもこの事態に当たったことで、あなた達にもっと騎士としての修行を積んでもらいたいのよ。ユークリッド、失敗を怖がっては駄目。これを耐えてブランデルに戻れば、お情けでもらった騎士の称号じゃないって胸を張れるじゃない」
オルトは彼の背中を子供をあやすように軽く叩いた。
「兄様にも、あなたを責めるつもりなんてないの。また異教徒が襲ってきたら、今度はあなた達だけで動かしてみたいって、エルンストに言ったのよ」
「そんなばかな」
突っ伏して篭った声が返ってきた。そして、それきり、オルトが何を言ってもユークリッドの返事は返ってこなかった。

 さて、異教徒インギー族の報復の刃もはね除けて、ロクスヴァはその領土の一部を接収、公子ディートリヒにその管理を任せた。異国情緒漂う城に現われた公爵は、老騎士ジェイソンの死亡には胸を痛めたようだったが、止むを得ぬことと諦めた。
「時にディートリヒ、パラシオンの事は聞き及んでおるか」
「あちらに、何かありましたか」
「うむ。近頃盟主が替わられたのは知ってのとおりだろう? その御勘気を被ってアレックス王がオーガスタ宮殿に幽閉されたらしい」
「え」
ディートリヒは立ち上がった。傍で親子水いらずをじゃましていたエルンストも同様である。そして、話題の主アレックスと彼等は、家族ぐるみの無三の友人だった。
「アレックス王には王子の頃から曲がったことは許さぬ一本気なところがあった。即位されたとき、それがもとで他の小王国やオーガスタの盟主と問題をおこさねばと、老婆心ながら気になってはいたが…」
「グスタフ王のことなら聞いています。だいぶ性格に問題があるようで… やることなすこと、アレックスとは水と油だって言う話ですよ。今回の事も、飲む打つ買うの三拍子を今までなんとか大目に見てもらっていたのが、盟主になってもアレックスが口喧しいままなんで業を煮やしたんでしょう」
すぐに騒動はおさまると思いますよ。エルンストが引きつった笑いを浮かべた。が、それだけで幽閉とはいかに暴君でもおとなげない。三人は押し黙った。
そこに、であった。
「公子閣下に、急ぎの書状が参っております」

 …かくかくしかじかの罪科によって、謀反の意志あるパラシオン王アレックスはオーガスタ城にて厳重に身柄を管理する。解放してほしくば、詫び状とともに王女モイラを差し出せ…
 勅命に等しい、盟主の紋章が入ったこんな傍若無人な書状の一字一句すらも、モイラに伝えるのは、余りに酷なことにパラシオンの家臣たちは思えた。早くに両親を失って、王となったアレックスは、学友としてグスタフと長いこといるために、本心から彼の言動に対して憂慮しているのを、オーガスタ直属のものはもちろん、パラシオンの家臣達も痛い程知っているのである。
 このたちの悪いわがままに、パラシオンはどう対処すべきか。家臣は会議場をかねた謁見の間で円陣を組む。アレックスが帰還しているのなら、彼が先頭になって協議すべき話題である。だが、頼るべき王はここにはいない。玉座は空だ。誰も口には出さないが、盟主グスタフのもとでのオーガスタの行く末に、一抹の不安を感じた。そして、アレックスという強力な武器鎧を奪われたパラシオンの無力さにも。
 だが、アレックスがいないとなったら、彼等なりに結論を出さねばなるまい。家臣一同が打ち合わせ始めたとき、はたはたはた、と軽やかな足音がやってきて、ふわりと何かが飛び込んできた。
「今、早馬がついたと聞いたの。お兄様からのお手紙はあって?」
パラシオン王女(正しくは王妹というべきか)モイラである。家臣一同は、天使のようなその声にそれぞれ我に帰り、入って来た王女に立礼を返した。
 アレックスは、オーガスタで見聞した外国や珍しい事物の情報を、よくモイラに手紙をよこして伝えてきていた。ついでに、身の回りも何かと左右を通じて揃えさせていたから、モイラのその辺りに関するセンスというのは中央から離れたしかも箱入りの姫君であっても一昔たりとも遅れてはいない。この日もモイラは、オーガスタで今一番流行のデザイナーの手になる華やかな衣装を(実際にはかったわけでもないのに、サイズまでも全てアレックスの見立てによるらしい)着こなしていた。
「それなのですが」
家臣の一人が口を開く。
「アレックス王がにわかな御不例とかで、宮殿にてご養生なさっておるとか」
モイラはきょとん、とし、それからにわかに青ざめた。
「お兄様が御病気!? それで、お加減はどうなの!?」
「あ、えー…と」
家臣は口ごもる。発言者を中心に四方八方に目配せが走り、ともすれば誰かが口を滑らせはしまいかと火花が散る。そのうち、もう一人が言上する。
「随行の騎士たちが寝食捨てて鋭意ご看病申し上げておるそうです。姫様が御心配なさることは何もございません」
「そう。よかった」
モイラのほほに赤みが戻る。とくに自分あての手紙があるわけでもないので、勇んで来たのが少し恥ずかしくなった。
「それじゃ私お祈りするわ。お兄様がはやくよくなるように」
「それがよございましょう」
ひとりが当たり障りない返答をし、去って行くモイラのふわふわと揺れる金の結髪を見送って、家臣一同はため息をついた。

 しかし、事態は悪転するばかりであった。
 グスタフの父である先代盟主がなまじ高潔な人物で、小国王たちの不正を看過しない姿勢であったばかりに、今度の飲む打つ買うそろった暗君グスタフの即位は窮屈な思いをしていた小国王達には待望のものであった。そして、その先代の寵児であったアレックスは鼻白むべき存在になりつつあった。彼等の息子とほとんど代わらない年頃の人生経験の「一日の幼」が、ともすれば実践を伴わぬ理想論に傾く嫌いのあることを、小国王たちはさっさと見抜いていたのかもしれない。両腕を抱えられて退室するアレックスの背中を頭上を走る稲妻を恐れるように首をすくめながら見送った彼等は、一抹の同情を覚えながら、今後盟主がアレックスを苛めることだけに専念してくれればと、淡い期待をかけていたことも確かである。
 ともかく、清廉を旗印に孤高を持していたパラシオンは今となっては国内に頼るものがなかった。国王虜囚の噂が民草の口にも登るほどになり、積もりに積もった諌言へのうらみをはらすためと、否応もなくモイラを王都オーガスタの宮殿に容れるための、パラシオン攻略の軍備もすでに整えられているらしいとの情報も半ば公然と流れ始めたころ、
「あなたたちは今まで私を欺いていたのね」
口を滑らせた侍女を問い詰めた後で、モイラは家臣一同を集めて、開口一番こう言った。
「お兄様がそんな大変なことになっていたと、どうしてもっと早く教えてくれなかったのよ!」
ほとんど金切声になったモイラの叱責が、平伏した家臣たちを突き刺す。
「全ては私め等の浅慮のいたすこところでございます。ただ、私たちは、姫様には何の憂いもなくお健やかにあっていただきたく…」
「お黙りなさい」
モイラはある家臣の言い分をぴしゃりとはねつけて、それ以上を言わせなかった。
「いやしくも王女として生まれて、国の事を考えなくてもいいなんて、そんなこと詭弁ではなくて? 盟主陛下のことを、お兄様は本当に心配なさっているのに、それをお分かりになってあげられない陛下の方がいけないのよ。陛下も少しはお兄様の爪の垢を煎じて飲めばいいのに!」
「ひ、姫様」
「それから、盟主陛下は私をおのぞみなんですって?
 とんでもない! 人の気持ちをわかってあげられない方の所にいくなんて!」
あの兄にしてこの妹有り、やれやれ何と似たもの兄妹だろうか、と彼等はため息をつき、悲鳴にも似た口調で言上した。
「姫様、それでは一体このパラシオンはどうなりましょうや。すでにパラシオンにむけての実力行使も時間の問題という状況なのですぞ? パラシオン騎士団も王に随行してそのまま拘留されてしまったという事態、兵は少なく、傭兵や義勇兵を募る程貯えもなしという窮状にあたって、助けを求めるのもかなわず、オーガスタに屈するもかなわず」
「私は助けは求めないなんて、言った覚えはなくてよ」
モイラはしゃんと背筋を伸ばした。
「この間、お隣のロクスヴァに侵入してきた異教徒インギー族をディートリヒ公子様が撃退なさったとかで、あの方まだ接収したインギーのお城にとどまってらっしゃるはずよ。ここからは三日余りぐらいの距離だったはず。急げば、もしかすると」
だが家臣はどよ、とざわめいた。モイラの「英断」を必ずしも歓迎はしていない。
「お待ちください、姫様。外国の力を借りるとなると、ちと問題は大きくなりすぎまする!」
という声が聞こえた。だがモイラは声のあがった方に向いて、尋ねてみる。
「それでは、あなた達になにかいい方法があるのいうの? 国のなかでどこにも頼れない今という時期に」
だが、民に極力負担をかけない緊縮財政のパラシオン、先の誰かの台詞のように金で戦力を買う余裕などない。最悪の事態を目して、軍備を整えるとなると、いきおい、あるいは脆かろう友誼にも取りすがりたくなるというものではあった。家臣達もそれをわかっていないわけではない。
「…」
「そうでしょう? それ以外に今は方法がないのよ。ディートリヒ公子はお兄様のお友達だもの。きっと力になってくれる」

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