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やまとのこと

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 2000年の秋のことだったかと思います。
 当時、まだ実家の地元の金融機関に勤めていた私は、その隣町に一件、担当の顧客を持っていました。
 毎月のことでしたから、そのときも、私は営業車をとばしてそのお宅にうかがったのですが、そのお宅の当時小さな息子さんが、
「となりのいえにジジがいるよ」
といったのでした。たしかに、迷子の子猫の声が、聞こえなくもありませんが、私はそのときは
「そうなんだ、どこにいるんだろうねぇ」
とおおような返答をし、まずそのお宅での仕事をしたのです。
 そのお宅での仕事を一通り終えて、わたしが少し離れた駐車場まで歩いていこうとすると、やっぱり子猫の泣き声がして、
「ジジがいるんだよ」
と息子さんの曰く。
 ご存知の方はご存知のことですが、ジジというのは、スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」で、主人公の魔女キキの使い魔になっている黒猫のことです。息子さんが「あそこ」というままに、その隣のお宅の庭先に行き、やがてエアコンの室外機の隙間に、その子はいたのでした。
 正直、「困った、こんなものを見せられても今は仕事中だし、どうしようもない」と思いました。奥さんは
「昨日今日あたりからうるさいのよねぇ、何とかならないかしら」
と言います。あきらかに、「私にどうにかしてほしい」という物言いと表情です。息子さんも「ジジかわいそう」という感じでいますし、私はいつもの、仕事関係の話を請け負う感じで
「はい、結構ですよ、うちにも一匹いますから、増えたところで」
と返事してしまったのでした。

 とにかく、おびえているその子を引きずり出し、営業車の中にあった店のロゴの入った紙袋に彼女(もっともそのときはわかりませんでしたが)を入れ、私は、店舗への帰りの途中になる自宅に寄ったのです。
 家では、たしか実桜がたまたまだったか体調を崩して寝ていたと思います。そのベッドの上に、連れてきたその子を袋ごとのせ、軽く事情を話した後
「すまんが、帰ってくるまでちょっと見ていてくれ」
と言い(実家での私は大体こういう口調です)、
「どーして拾ってきちゃったの、うちにはすえがいるんだよ」
という彼女の言葉を後ろにしながら、私は一度店に戻ったのでした。

 確かに、そのときにはすゑひろはもう、うちの唯一の飼い猫として大切に育てられていました。大切にしすぎて、本人に猫という自覚があるのか微妙なところでありましたし、新しい子をほかならぬ私(すえにとっても私は親のようなものです)がつれてきたことで、その子とすえとの間に軋轢が出ないか、そんなことないと言える自信はまったく私にはありません。
 でも、両手に乗ってしまうほど小さい、骨の感触が柔らかい毛の向こうからも伝わってくるその子を、見捨てられなかったことも確かです。その理由はあとで述べることになると思いますが、かくして彼女は、私の家にやってきたのでした。

 捨て猫を拾ったときにまずすること。それは、獣医に診せることです。さいわいにも、すゑひろかかりつけの獣医の先生は、嫌な顔をせずに、連れた来た子を見て下さいました。そこで、この子が月齢2〜3ヶ月の女の子であることがわかりました。その時は、栄養状態が悪い以外にはさしたる異常もなかったので、安心しました。しかし先生は、こういうことを仰ったのです。
「この子はまだ小さいから、猫にはぜひしてあげたい病気の予防注射はできない。それに、この子には大きな病気が潜伏している可能性もある。致死率の高い病気が発症した場合は、必ずしも助けられるとは限らない。捨て猫にはえてして、そういう病気を持っている場合が少なくないからね」
私はそれを了解し、彼女を家に連れて帰りました。まだ彼女に居場所がなかったので、しばらくは段ボール箱にいたと思います。

 黒猫といえば宅×便だろう(ジジのつながりではないですが)ということで、彼女の名前はやまと、と決まりました。やまとは実に元気な子で、一人育ちのすゑひろには、正直手に余っていたようで、一度あわせたのですが完全によそ者扱いでした。もっと長くいっしょにいられれば、あるいは好転もしたものでしょうが、そのときの私と実桜は、今はふたりをあわせるのはやめようということになりました。
 秋という中途半端な時期に、まだの親の手の中にいる月齢の子、しかも女の子がなぜ、あんなところにいたのか、彼女のいた場所が、駐車場にも使える空き地と、車どおりも少なくない道路から、あまり離れていない場所だったということで、大体の想像はつきました。
 前にも言いましたが、やまとを家に連れて帰るのに、抵抗がなかったわけではありません。新参と古参が馴れてくれるかどうかなど、人間からではわかることではないですから。
 おそらく、(いえ、ほぼ確実に、)私の頭の中には、すえを家に連れてきたときのとあることが引っかかっていたのだと思います。

 すゑひろを拾ったのは、実家から車で十分ぐらいの山にある夏のバイト先のぶどう園でした。最初はやまととおなじように、遠くからないているだけでしたが、やがて近くまで、やってきて。おなかをすかせていたのか、おもちゃがほしかったのか、店に並べるぶどうの房から見栄えのよくなるように落とした実を、じっと目で追っていたのにほだされて、バイトが終わる日に鰹節のパックで彼ニ近づき、そのまま葡萄のはこにいれて連れて帰ってきたのです。
 実はそのとき、彼は一人ではありませんでした。彼の兄弟でしょうか、同じぐらいの大きさの黒猫がいたのですが、その子は結局、バイトの間に手なずけられず、家に連れて帰れなかったのです。バイトが終わる日は、ぶどう園が閉まる日でもあったので、そのままにしておけない黒猫は、ぶどう園管理のおじさんが、「どこかに放してくるわ」と、何かの袋に詰めてどこかにつれていったのでした。
 できるなら、すえとその子と、いっしょに連れてきたかった。
 そういう思いが、やまとをそのままにしておけなかったのだとおもいます。

 とにかく、まだ小さくて、すえにとってはストレスにしかならないほど無邪気で元気なやまとにも、家出本格的に暮らす準備がされていきました。
 私と実桜の姉が知り合いに掛け合って、子猫用のゲージを手に入れて、寒くなり始めていたので熱源のペット用アンカをいれて、すえのあまり入らない実桜の部屋に置きました。
 それにしても、獣医の先生の言葉が気になりました。
「生まれながらか、捨てられて拾われる間に大病を持ったかもしれない。変だと思ったら、すぐ診せるように」
私たちは
「このまま元気に大きくなってくれればいいね」
と言い合っていたのですが。

 まもなく、やまとはご飯を食べなくなりました。便も出なくなり、私たちは先生に見せることもしました。
 ネコは、同じご飯が続くと、飽きてハンストすることも往々にしてあるのですが、それとは少し様子が違ったのです。先生は様子を聞いて、
「単に気まぐれかもしれないが、子猫がよくかかる猫パルボの可能性がある。発症したら死亡率は決して低くないので覚悟するように」
とおっしゃり、栄養剤代わりにブドウ糖液をもらい、帰されました。
 案の定、やまとはその猫パルボを発症しました。
 猫パルボというのは、猫の腸に激しい炎症が起こって、栄養が取れなくなる病気だと聞いたような気がします。彼女があまりに小さく体力がなかったため、受けられなかった「3種混合ワクチン」の中にも、この猫パルボを予防するワクチンが入っていたのでした。
(あと入っている2種類は、カリニ肺炎といわゆる猫エイズです。どれも発症したら死亡率が高く、また伝染性があります。経済的なりゆうがあったとしても、猫オーナーの方は、どうぞ年に一回、移されないために移さないために接種をお勧めします。)
 先生の曰く、彼女の病気は生まれてかなり早くに保菌したものであろうということ。
診断されてから自宅での治療が不可能と判断され、入院するまでのことは、あまり覚えていません。時期が年の瀬ということもあって、わたしは仕事に忙殺されていたのかもしれません。とくかく、暮れも押し迫って、年末年始の煩雑な間だけでもと、やまとを先生のところにお願いしたのでした。

 普段の見舞いには実桜がいって、私は仕事が休みか終わった後でないとてせきなかったのですが、
「因香さん(本名)たちが来ると、元気になるんだよ」
と先生は仰ってくださり、確かにやまとは人間の赤ん坊が使う保育器(この動物病院ではICUのかわりにつかっているのです)で遊んでほしそうにしていました。それでも、ご飯は食べないときが多く、活動の栄養は点滴でおぎなっているとのこと。結局、私は人生の中では最悪級にめでたくない正月を迎えたのでした。やまとは正月を過ぎても病院から出られなかったのでした。

 その正月の下旬のことだったと思います。
 少しもちなおしていたと聞いていたやまとでしたが、結局、家に帰ってこられませんでした。
 消える前の電球の明るさというたとえばなしをかみ締めつつ、私と実桜は先生のところにおもむき、やまとを連れてきてもらいました。
 猫用の缶詰の空き箱の中で、やまとは小さな手足をきちんとそろえて、おとなしく目をとじていました。小さい体は、本当に軽く感じました。
 彼女を連れて戻り、ごく近い川の中州の中に、彼女のために買ったおもちゃと、飲み残しの粉ミルクといっしょに埋めました。
 すゑひろは、その間、まったくいつものとおりにしていました。もう少し長く一緒にいられたら本当に仲良くなれたのか、それはいまだに、私にはわかりません。
 黒猫は、よく縁起が悪いといいます。でも、うちの祖母は言います。
「黒猫のいる家は、縁起がいいんだ」
そして、うちの二代目黒猫のくろこも、祖母が大好きです。

 やまとのことは、コレで全部です。
 彼女が使っていたゲージは、その後にまりとくろこが、それぞれ小さいときに使っていました。
 やまとの分も、彼女らが幸せでありますように。

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