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「…あ」 城門前に人影があって、明らかにそれが維紫を見ているので、維紫は一応、覚悟だけした。城門の前で必ず下馬しなければならない。その人影は、その時嫌でも目に入る場所にいたからだ。 しかし。 「…馬将軍…」 「安心しろ、奴はまだ自分の部屋で寝ている」 「そうですか」 「政務もヒマな時だが、時間が来れば勝手に目が覚めるだろう」 「ええ、将軍はそう言う方ですから」 「それとな」 「はい」 「もう少し安心しろ、酔った寝言でお前を字で呼んでいた」 「…そうですか」 意味はわかっているはずだ。だがしょんぼりと、馬を引く維紫を見て、馬超は 「屋敷にいる間に、自分の中で余計こじらせたかもしれんな」 と呟いた。 ああそうか、この部屋は自分の住まいじゃなくなったんだ。 仕事と練兵に関係するものしかおいていない部屋に入って、まず維紫はそう思った。それでも、仕事場においておきたい小物などを出したりしているとき、 「維将軍〜」 と、卒伯たちが顔を出してきた。 「どうしたの、今にも泣きそうな顔をして」 と維紫が言うと 「だって、すっごく怖かったんですよ趙将軍が〜」 「私達が話しかけても全然返事もしてくださらないし〜」 「練兵のときはもうお一人で大暴れだし〜」 「全部書簡で読みました」 維紫は副官達の嘆き節をそう片付けて、 「今日は軍団対抗戦の日よね? あなた達は見に来るの?」 そう尋ねる。副官達は 「興味のない人は兵法書読んだりしているとか言ってますけど、趙将軍と馬将軍がいらっしゃるんじゃ、見に来るほうが多いのではないかと」 「それで、なぜか私達、馬将軍にお誘いを受けて、見ていていいって」 「あら」 馬超にしてみれば情報への返礼、程度の意味でしかないのだが。 「するとなに、あなた達は馬将軍の応援?」 「とんでもないです、趙将軍を応援しますってば。それに、私達の隊からも選ばれてる人がいるでしょう?」 ね。卒伯達は言って、 「救護の準備してきまーす」 と、部屋を飛び出していった。 五虎大将のうちの二人が互いの軍団の精鋭をよりすぐってその技を競うというのだ、騒ぎにならないはずがない。 女官達も外に出てきているし、勿論、各軍団の兵卒達も、またとない機会が二度もあるとはと、こぞって見物している。二軍団以外の兵卒の姿も、若干ながらある。自分達の兵卒に少々痛ましい姿が見えるのには、維紫は少し心が痛い。 そして、遠くから、もっとえらそうな視線が刺さるのは、気のせいだろうか。 「維紫殿、こられましたな」 「もう傷の具合はよろしいので?」 同僚の副将たちに声を掛けられて、 「はい、ご心配をおかけしました、もう大丈夫です」 維紫は一礼する。いたわってくれる副将たちも、無傷ではないようだ。それについて維紫がさらに詫びると、副将たちはなんでもないように笑っていた。 「いやいや、かえって将軍の技を存分に見せてもらい、僥倖この上なしです」 「問題は、自分の技に出来るか、ですがな」 「いやまったく」 維紫はつい、と、隣の陣を見やる。馬超とつい目が合って、彼はにやりと笑っている。馬魁も維紫をみつけたらしく、笑おうとしているようだが、あまり向こう側を見ているのもよくなかろうと思い、ふいと向き直った。と、 「将軍」 副将たちがいっせいに拱手する中に、趙雲が入ってくる。維紫もあわてて拱手する。趙雲は、並んだ副将たちを一瞥して、例の訓練の日からいなかった影があるのに気がついたようだ。 「『維紫』、傷はもうよいのか」 「…はい」 「誰とあたるかわからん、油断はするな。もっとも、今までのお前の技を考えれば、負けないと思っている」 「ありがたいお言葉です」 その会話はいたって事務的だった。 「諸将、ご静粛に!」 と声があがって、しん、と場が静まる。 「趙雲軍団、馬超軍団、再びの軍団対抗戦にあたり、判定は公正を期すため、姜伯約が不肖ながら丞相よりの命を賜りました」 甲高い声はよく通る。維紫はいつの間にか翠゛文話が大きくなっていたことにただ驚いている。 「早速、第一の勝負に入ります!」 最初は卒伯以下からより抜かれた兵士が槍を交える。勝てば褒賞とそれなりの名声が得られる。目覚しい動きがあれば昇進も夢ではない。真剣な勝負は嫌が上にも盛り上がった。 維紫はぽつねんと段に座ってそれを見物している。普段ならさりげなく段を変えた近くにすわり声を掛けてくれる相手も、今は将軍の位置に陣取り、勝負を見ている。 しかし、ここで気の抜けた格好をしていたら目立つのは確実で、時々は立ち上がって足の筋を伸ばす。何番目かになるかは知らないが、きっと自分は後発だろう。上のほうから 「維将軍〜」 と声がかかる。見上げると、卒伯たちが手を振っている。結い方はそれぞれ違うが、ゆらゆらとゆれる結い紐の端はそろって竜胆色だ。 「ほめてくださいよぉ、今日は、私達が趙将軍の髪を結って差し上げたんですよ〜」 「きれいにできてますよぉ」 卒伯達の周囲で笑い声が上がった。 「あなた達、声が大きすぎよ、少し控えなさい」 維紫は苦笑いでそう言って、それでもどれだけきれいに出来たものか、つい、と後ろにまわる。 「おや維紫殿、座っていたのでまだ具合が悪いのかと」 「番を待つのも暇なもので」 「さもありなん、昼寝も出来そうですな」 「本当に」 話をあわせながら、ついと趙雲の後ろ頭を見やる。将軍は強く巻かないとだめなのよ…などと思っていると、 「あ」 その結い紐が、真新しい竜胆色だった。きっと本人は、それに気がついていまい。 「第九の勝負、趙雲軍団より維雷姫!」 その声に、維紫はは、と我に返る。遅い遅いと思っていたら、最後から二人目とは。 「馬超軍団より、将軍・馬孟起!」 さらにそう宣言され、二度びっくりである。隣を見ると、鉄騎尖より一段下になる鋼鉄槍を手挟んで、馬超が前へ出ろといわんばかりの目をする。 「なお、実力の均衡化をねらい、馬孟起は鋼鉄槍に装備を制限、維雷姫には『竜胆』の装備を許可するものとする!」 その言葉に三度びっくりである。 「あの…」 身長差から思わず上目遣いになってしまうのを、趙雲は真顔で見下ろし 「負けてくるなよ」 と、「竜胆」を差し出した。 「はい」 それを押し頂いて、 「維雷姫、参ります!」 維紫は段を降りていった。 武器を制限されても馬超は馬超だ、鎧こそ普通につけてはいるが、頭はやや茶味がかった髪を錦の巾でひとつにまとめただけのまるで無防備の状態でいる。 勝負も大詰めになってくると、功績や昇進と言った生活に影響するものは意味がなく、いかに完成された技を見せ、その戦力の高さを見せ付けるかと言うところに目が集まる。横文字で言うところのエキシビジョンだ。 だから、表向き、武器を合わせながら、戦っている二人は会話すらする余裕がある。 「まさか今俺が出てきて驚いただろう」 「ええ、最後は馬将軍と趙将軍になるとばかり」 「それでは芸がない。最後に余興を用意した、楽しむんだな」 「余興ですか?」 維紫の動きと、馬超の動きには、一見調和するところはない。しかし、美しい 武技はそれだけで人の目を奪う。 「維紫」 そのうち、馬超が言った。 「俺がスキを作る。この槍をどこかにはじいてしまえ。俺が負けとなったら、お前の大金星だぞ」 「ですが」 「いや、お前と本格的に組むのは初めてだが、鉄騎尖を持っていても、お前が二度死ぬ間に俺は三度死んだな」 「まさか」 「俺は嘘は言わぬ」 馬超は一度飛びすさって、 「この一合で終わりだ!」 と言った。 |
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