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久しぶりに、お父様の夢を見ました。 「息災であるか?」 「はい」 「不自由はないか?」 「ありません」 「生きる道を選べたか?」 「はい」 笑顔でいらっしゃいました。私も、どこかでご無事でいらっしゃいますか?と尋ねたかったのですけれど、それを口にする前に、目を覚ましてしまいました。 お父様。 今、私の隣には、一人の方が眠っておられます。 お父様と別れてすぐにこの方と出会いました。 私はこの方に生きる術を教えられ、女性として望んでもくださいました。 お父様、小さい頃の私を高く抱き上げてくださって、晴れた日の風の中、雲が速く走るのを、 「いまちょうど、龍が私達の上をお通りなんだよ」 と仰いましたね、その雲と龍を、お名前に持つ方です。 天命。 そうかもしれません。私は、この方のお名前に瑞兆の色をのせるために生まれたのかもしれません。 お父様。今私の言葉を聞かれても、信じてくださるかどうか、私は少し不安です。 未来を守るため、自身の体をまさしく龍と変えて、敵の中単騎駆けた方が、私の隣で、丁度、目を覚まされようとしています。 「…雷姫」 目覚められてすぐ、子龍さまは私を呼んでくださいます。 「…目を覚ましていたのか」 「はい。動くと、無理にお起こししてしまいそうな気がして」 「気にすることはなかったのに」 私は、そのお体の向こうにある、消えたともし火と書簡を幾巻かを見ました。 「…私が眠ってから、しばらく何かなさっておられたようなので」 「ああ…すまん。ここに厄介を持ち込むのはやめようと思ったのだが」 「早くに目を通す必要があった、のでしょう? 子龍さま」 そう声にしてお呼びするのが、まだすこし面映いのですけど、わずかに頭をなでて、ほめてくださいました。 「そういえば、昨晩の質問」 お休みの日だというのに、子龍さまはお仕事がたくさんおありらしく、廊づたいにご自分のお屋敷の仕事部屋まで私を伴って、お仕事の続きをされるようです。 「何か、考えたか?」 「…いえ。考えるヒマもありませんでした」 そう答えると、子龍さまは短く笑われました。 「確かにあれでは、考えるヒマもなかったな」 反応に困る私を見るのが楽しくていらっしゃるようなのですが、 「まあ戯れだ、せかすようなこともしないし、忘れてもいい」 子龍さまは、もって帰ってこられた書簡を渡すよう、私に手を差し伸べられました。 昨晩の質問、とは、確かに昨晩、子龍さまが私の部屋を訪れてくださったときに、 「お前の部下から急に聞かれて、そのときは私もすぐには思いつかなかったのだが」 と前置きされて、 「いまひとつ、すぐかなえたい願いが仮にあるとしたら、何を願う?」 そう仰ったのです。わたしは、あれこれと考えてみましたが、すぐにかなえて欲しい願いが特段あるわけでなく、 「今は、思いつきません」 そう答えました。すると子龍さまは、 「私は今見つかった」 と仰います。 「聞きたいか?」 「聞かせていただけるなら」 私がそうこたえると、子龍さまは私を腕の中に収めてくださいながら 「…お前を伴い常山に戻り」 そう、静かに口を開かれました。 「母と兄に、詣でたいと」 私に出会う前、子龍様は相次いで大切なご家族をなくしたと、私は前から聞かされていました。 そのなくしたご家族に、私を会わせたい、と。趙家に入りすぐ行う祖霊への祈りを、私にさせたいと。 「…かなわぬ願いだ。今はもう、そのような長旅が許される身では、お互いないのだからな」 でも、仰りたい意味はわかるのです。 常山は子龍さまの生まれた地。今私達がいる蜀の地からは遠く、しかも今は敵地なのです。 名乗りに入れるほど思っていながら、もしかしたら、このまま、二度と踏めない故郷。そこへ私を伴いたい、と。 「夜が明けたら戯れと思ってもいい。しかし今は、真剣にそう思っている」 そして子龍さまは私の手を引かれて、そのまま… 「そういえば」 書簡を片付けられながら、子龍さまが尋ねてこられました。 「お前の家族…見つかりそうな手がかりなどあったか」 「…いえ」 「あまりない姓であるからかな」 「魏や呉に属したために、名乗りにくいのかもわかりません」 「立身して世に轟くよう、その字はつけられたのではなかったのか?」 「…ええ」 でも、考えたら、とても怖いことです。別れたお父様が、別れてどこかで立派に成人した弟が、敵軍に入って…子龍さまや、私の手にかかった可能性はないとは言い切れないのです。家族の再会のきっかけを、自分で壊しているかも知れない。 そう考えると… 「子龍さま」 「…雷姫、悪いことを尋ねてしまったか?」 「もし、お兄様が生きていらして、けれどもやむなく敵軍にいらして、刃を交えねばならないことになったとしたら…どうされますか?」 「…戦うよりない、か」 「…そうですよね」 主君同士が敵であれば、親子兄弟が敵味方になっても従わねばならない、今はそういう乱世の只中なのです。 「その可能性を、考えていたか?」 「…」 私は、頷きました。 「もし、そのせいですでにこの世になかったら…そんなことになっていたとしたら…名乗りたくても、名乗れませんから…」 「…雷姫は、どうしてそんなに優しいんだ」 子龍さまが机から離れて、私を包んでくださいます。 前は思いもしなかったことを、今は思います。戦に向かない私になっていくような気がします。 お父様、私、随分涙もろくなりました。 最後別れた新野のほうに向かい、私は遥拝しました。誰でもいい、無事であるなら、お名乗りくださいませ。それとも、私はまだ、いただいた字にたるほどの名を上げていないということでしょうか。 その後しんみりと、明日の出仕に備えていると、 「雷姫、今よいか」 いつのまにか子龍さまがいらしてました。 「特に、取り急ぎの用ではないのだが」 部屋にある長椅子に座り、膝を叩かれるので、私はその上に座ります。 「いろいろ考えさせてすまなんだ。戦がないと、退屈なことばかり考えるようになる」 「いいんです。名乗りのないのは、まだ私が至らないあかしとおもって、これから戦功をつめばよい話ですから」 「…」 子龍さまは、しばらく黙っていらっしゃいました。 「自分から戦功をつむというか…もしかしたら、親兄弟をなぎ払うかもしれないのに?」 「あ…」 私は、また怖いことを考えていました。 「雷姫、お前は十分に名を立てた。呉へお后を迎えに向かった際、呉の将も、お前を知っていたではないか」 「…はい」 「知って名乗らぬ、そう言う親の心があるのだ」 結い髪の中で、小さく声がします。 「優しい雷姫を育てた親御だ、きっとどこかで、お前の名を聞き、喜ばれているやもわからぬ」 そのとき、ふうっと風が入って、帳が一斉に膨らみました。薄暗かった部屋が、白く光り、 「面白そうだ、出てみよう」 子龍さまは、私を抱えたまま、部屋の外、庭まで出られてしまいました。 にわかに吹き始めた風が、切れ切れの雲をどんどんとおいやって、白い月の光を地に落とさせようとしています 「雷姫、龍が駆けているぞ」 その言葉には、覚えがありました。 「…はい!」 もしもいまひとつ、すぐかなえられる願いがあるなら。 私があの小さな日に見た、蒼い空を駆ける雲、風色の龍。 その龍に抱かれた私の姿を、この月が鏡となり、お父様のもとへ届けてくださいますように。 |
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