「いえ、まだ…」
「そうか、なら、その馬で城の外を回ろう、そんな服の上に慣れていないから、
ゆっくりでいい」
「は、はい」
耀夏がそれでも馬に乗ると、馬超はあとの金蓮と芙陽を乗せて、趙雲に
「少し時間がかかるかもわからん、いつものところで」
と言い、にやっ、と笑った後、かっ、と耀夏の馬を従えるように、郊外に飛び
出していった。

 「やれやれ、置いてけぼりか」
趙雲がそう言う。
「馬市があるから待ち合わせてみようといわれたのは馬超殿のほうなのに…
 やはり遅れたのが悪かったか」
いつものところ、に行くのだろう、また馬に乗りなおしたその手綱を、
「あの」
と維紫が引いた。きょとん、とした顔がその引かれた手綱のほうを見やって、
「…雷姫か」
今気がついたように趙雲が言う。実際、声を掛けられるまで気がつかなかったのだろう。
「お前も置いてけぼりか」
「…はい」
「仕方ない」
趙雲は維紫の手を引き、ひょい、と馬に乗せ上げた。

 「お前と気がつかずにすまなんだ」
いつものところ、なのだろう、まばらな木立の中に小さい湧き水の泉があるような、そんなところだった。馬でしかこられないような場所にあることと言い、遠乗りか清談か、いずれ二人がゆくりなく話し合うところなのだろう。そういうところに邪魔をするのは、正直気が引ける。
 かくかくしかじかと、朝からの顛末を話すと、趙雲は短く笑って
「その日の予定を忘れるとは、お前らしいことをする」
と言う。
「それで、街歩きのためにそんな格好だったのか、わからなかったはずだ」
「はぁ…」
期待はしなかったが、まあ、そんなところだろう。

 馬から下ろしてもらうこともめったにないことだ、恐る恐るのうちに均衡を崩して、思わず趙雲の上に乗りかかるようになってしまう。ハズミに、つけていた髪飾りが取れ、鉢金のない額にこつん、と弾んで落ちた。
「あ」
草の中を探し出して、確かこの辺り、と挿しなおす維紫の後ろから
「その飾りも馬超殿の見立てか?」
と聞こえた。
「はい。でも、お勘定は私が払ったので、もらったのではないです」
そう返すが、問題は勘定を誰が出したかと言う話ではない。
「本当にお前は無防備だ」
ため息混じりにそういわれて、
「あの、悪かったですか?」
維紫が尋ねる。
「私の立場がない」
襟首をつい、とつままれて、ころん、と草の上に転がった維紫の顔の上に、
逆向きに趙雲の顔が見える。
「お前は誰にも愛想がいいから、私はたまに心配になる」
「でも、嫌いじゃない人に嫌いな顔は出来ません」
起き上がって、維紫の顔を見る。下唇をつい、と撫でて、
「私も人並みに妬くのだと言うことを、そろそろ覚えてくれ」
そう言いながら、唇同士を軽く合わせた。維紫はざ、とすさって、服の袖で口の辺りを押さえる。
「いきなりだめです、誰か見ているかもわからないのに」
「これぐらい見られてもどうと言うこともないだろう」
「だめです、あの子たちに見られたら」
維紫がむぐむぐ言うのに
「大姐、もうおそいですわ〜」
と芙陽の声。そのあと耀夏と、馬酔いでくらくらの金蓮を支えながら、馬超が中っ腹に言った。
「そういうことはもう少し早く済ませとけ、折角時間を掛けてきたのに意味がないではないか」

 「大姐のお気持ちはともかくとして、趙将軍のお考えは、大体わかっていましたよ、軍団対抗戦のときから」
と耀夏が言う。
「馬魁将軍を最後の一合までたっぷりやりあったのも、大姐に手を出すなって釘刺しのために、わざと組み合わせを変えてもらったのも知ってますぅ」
と金蓮。維紫はすでに明後日の方を向き、これでは趙雲一人が卒伯達に責められているような有様だ。
「隠し方がずさんな割には知られていないように見えるのも、すべてはこの娘達の尽力あればこそ、か」
馬超がぐっさりととどめをさす。
「町で見かけて維紫とわからなんだら、口説いたやもわからんと、さっき維紫にも言ったのだ」
「本当か?」
維紫がこくん、と頷く。とたん、ずるずるずる、と維紫は趙雲にからめとられ
「相手が馬超殿でも譲れません」
「そこに俺の入れる隙間があるか?」
馬超は一つ混ぜ返す。俺の理想は高いぞ。そうともいった。
「あ、あの」
維紫がぱくぱくと、
「もう戻らないと… 夕方に、春鶯が来るのです、転属なので送り出してあげようと思って、そろそろ準備をしないと」
そう言う。
「春鶯?」
「私の卒伯の一人です。この子達と一緒に送ってあげようと」
「そうか」
馬超は、つれていた馬にまた二人を乗せる。
「岱がもう戻っているだろう、今日の埋め合わせにつれてくるか」
と言うのは、参加する気満々の証拠だ。
「私もいてかまわなかろうな?」
趙雲も言う。
「はいもちろん、将軍の部下でもありますから」
「ならばゆくか」
そうと決まれば二人とも行動が早い。五人と三頭の馬は、早速と帰り道を戻り始めた。

 維紫の屋敷の辺りまで来ると、その門にむかって、ちょこちょこ歩く姿があった。
「あ、春鶯」
芙陽が声をあげて、馬からとん、と降りる。春鶯は、維紫たちの姿を見て、手に持っている二胡の袋をいちど置いて拱手した。
「春鶯、今日はお客様が随分一杯になっちゃったのよ」
維紫も降りて近づくと、春鶯は嬉しそうに一つ頷いた。
「二胡、聞かせてね」
と言う耀夏の後ろに、趙雲の影が見えて、春鶯はあわててまた拱手する。
「ここで話も何だ、中に入りなさい」
趙雲は娘達をさあさあと、維紫の屋敷の中に入れてしまう。
「じゃ、俺は岱をつれてこよう」
馬超は言って、馬の首をめぐらせた。

 今夜はにぎやかになりそうだ。
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