紫式部日記の成立については、道長手動で、自分と娘の栄華を後世に残すためにかかされたという説が有力です。
 そのわりには、折々に催される公的な儀式については、「詳しくは見ていません」「聞いていません」といって、ぼかしてしまっています。
 女性が書いたという文章の性格上、控えめが身上の式部は、儀式に参加した人物のは記していますが、詳しい式の次第などは、参加はしたけど書かないのが彼女流だったのかもしれません。

 それにあわせて、「日記」の中には、彰子や道長に仕えていた女房について日常的なこともいろいろ記されています。
 彼女はそういう女性達を、あるいは観察したり、あるいは会話したりしているのです。
たとえば、こんな感じ…

<某年八月二十六日。
(略)中宮様のもとを退る道すがら、宰相の君の部屋をちょっとのぞいたら、ちょうどお昼寝をされていた。萩・紫苑をイメージした彩りの衣に、ことさらに光沢の綺麗な濃い紫の衣を重ねて、それを顔までかぶって、硯の箱を枕に横になっておられる額の亜達が、とてもあでやかでかわいらしい。絵に描いた姫君のように思えて、かかっている衣を引きのけて、
「物語の女君のように見えたわ」
と言うのに、宰相の君は私を見上げて
「悪趣味なこと、眠っている人を無理に起こすなんて」
と、少し起き上がりなさる顔が赤らんでいる所など、もう何もかもかわいらしくて(略)>

 当時の女性の褒めどころは、「日記」や源氏物語から察するに、髪の量・長さ・生え際(特に額の辺り)、衣装の色・織り・襲、持っている小物のデザイン、文字のかける女性については筆跡といったところでしようか。
 式部は、周りにいる女性達について、前にあげたような項目でそのセンスの良さをとりあげて、直に見ることもできる限りには、特に美人などを取り上げて、褒めちぎったりしています。
 そして、美人としてあげた女房について、「宮仕え当初は衣の裾に豊かに溜まっておられた髪が、今はすっかりほそくなってしまわれて」とか、「いつまでも子供のようにかわいらしかった方が、すっぱりと出家されてしまって」と嘆き、揚げ句には「それに、こういう美人女房って、殿上人も放っておかないのよね」とぼつり。
 そして男性との接触が、公的で色気のないものに限られ、しかも、男性側のアクションによっては知らんぷりしたりするような有り様。(「このあたりにわかむらやきやさぶらふ」みたいなように)
 そして、女性には、上に上げたような有り様。
 式部さん、あなたはこんなふうにいわれても仕方ないのですよ…

「紫の百合の人」…って。(汗

 まあ、日記の中での描写だけで、うがった見方をするならば、百人一首にとられた歌「めぐりあひてみしやそれともかわぬまにくもがくれにしよはのつきかな」が、友人宛にしては恋々としているとか、(私も、詳しい解説読むまでは恋歌だと思ってましたしね〜)式部本人がそういう趣味でなきゃ、「源氏物語」の女性について、微に入り細をうがつ「男からの視点」を表現出来るはずがないとか、そういう根拠もあるようですが…「日記」や「源氏物語」を読むうえでは、あまり関係がないことですね。
 式部の生きていた時代、男女を通じて美人の基準がわからないのです。真の美人というのに男も女も関係ないと。源氏物語の中で、現代もなお理想の男性像の一つの形といわれる源氏が「女にしてみまほしく(女にしてみてみたい)」と何度いわれていることか。

 式部同性愛者説については、私は賛否どっちにもつくつもりはありません。いかに歴史上の人物といえども、その性的嗜好までとやかく取り上げてあれこれ言う筋合いなどありませんしねぇ…っていうと、まさにそういう研究している人にはおこられるでしょうが… 私の守備範囲は物語の中の人物論(しかも王道でない横道)で、作者のことは、このとおり、書籍やネット頼りなんですからねと、言い訳してお茶を濁します(マテ
 ただ、こういう仮説が出てくるのも、物語の中でのリアルで精緻な人物評価の副産物なのかな〜とは思いますし、この仮説を取り上げて、なんか書くというのだったら、食指が動かないでもありません。
 ただ、本格的に書くとなったら、きっと、余計な部分も付け足して、ここではアップロードできない原稿になる可能性が全く否定できないのが(汗 あの時代の性技の資料なんて、…あるのかなぁ。