(しかし、この章の源氏と言えば、いろいろ一杯悩むことが出てきいるはずなのに、明るいね)
言うまでもないこととは思いますが、因香訳は基本的に、「こういうことが書いてあるんだ」というものを、かなり大胆に意訳してしまっています。直訳とはかなり違う部分もあると思います。正確な逐語訳、あるいは解釈は、教科書、各種参考書、古文に堪能な先生やお友達にお尋ねください。

<凡例>
・普通の字で書かれた部分は原文、この色で書かれた部分は翻訳文です。
 (本当は対訳表示したかったけど…)

それでは参りましょう。題して、<がんばれ我らがおばあちゃま>
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帝の御年、ねびさせたまひぬれど、かうやうの方、え過ぐさせたまはず、采女、女蔵人などをも、容貌、心あるをば、ことにもてはやし思し召したれば、よしある宮仕へ人多かるころなり。

帝も、お年を召したようではあるが、女性に関しては手を抜く、ということでおできにならないようだ。采女や女蔵人も、才色兼備なところをことにお好みで、御前にもそう言う気の利くものが多いこのごろである。

はかなきことをも言ひ触れたまふには、もて離るることもありがたきに、目馴るるにやあらむ、
「げにぞ、あやしう好いたまはざめる」
と、試みに戯れ事を聞こえかかりなどする折あれど、情けなからぬほどにうちいらへて、まことには乱れたまはぬを、
「まめやかにさうざうし」
と思ひきこゆる人もあり。

少しちょっかいを出したところで、肘鉄を食わせる女性など滅多にないのが、源氏にとっては当たり前のようで、
「どうしたことかしら、全くその気におなりにならないのは」
と、試しに冗談をいってみたりはするけれども、当たり障りの無い反応を示されて、深入りということをしないのを、
「真面目すぎてつまらないわ」
そう思うものもあった。 

年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく、心ばせあり、あてに、おぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、
「かう、さだ過ぐるまで、などさしも乱るらむ」
と、いぶかしくおぼえたまひければ、戯れ事言ひ触れて試みたまふに、似げなくも思はざりける。
あさまし、と思しながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、人の漏り聞かむも、古めかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、女は、いとつらしと思へり。

さて、年のいった典侍がいる。家柄もあり、気も利いて、上品で人望もありながら、男となると目の色を変えるのでそこが軽々しと思われている。
「その年でいよいよお盛んとはどうしたことやら」
と、源氏はふと不思議に思い、冗談の一つを言って関係を誘ってみたら、それを典侍は不釣合いとも思わないらしい。
源氏は、呆れもしたものの、こういう女も面白かろうと、逢ったりなどするものの、光源氏の恋人は九十九髪、なんて古いネタで噂になるのもなぁ、と自然足が遠退くのを、典侍はつれないと恨むのであった。

主上の御梳櫛にさぶらひけるを、果てにければ、主上は御袿の人召して出でさせたまひぬるほどに、また人もなくて、この内侍常よりもきよげに、様体、頭つきなまめきて、装束、ありさま、いとはなやかに好ましげに見ゆるを、
「さも古りがたうも」
と、心づきなく見たまふものから、
「いかが思ふらむ」
と、さすがに過ぐしがたくて、裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはぼりのえならず画きたるを、さし隠して見返りたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはつれそそけたり。

その典侍が、帝の御梳櫛に参上していた。帝はその後、お召し替えということでその場をお去りになったから、典侍はひとりそこに残っている。その姿といえば、いつもよりもすっきりとした感じで、頭の形も髮の具合も色っぽく、衣装の着こなしもとても風流で好いたらしくみえる。
「それにしてもまあ若作りなことで、」
と源氏はやや鼻白みつつ見てはいるものの、
「しばらく会わなかったことをどう思っていようか」
とさすがに見過ごせなくなって、裳の裾を引いて気づかせると、見事に絵の描かれた夏扇に顔をかくしながら振り返るその目つきは、彼女なりに精一杯の色目なのであろうが、目の周りは黒く落ち窪んで、顔の肉もげっそり落ちてしわだらけだ。

「似つかはしからぬ扇のさまかな」
と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、うつるばかり色深きに、木高き森の画を塗り隠したり。片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、
「ことしもあれ、うたての心ばへや」
と笑まれながら、
「森こそ夏の、と見ゆめる」
とて、何くれとのたまふも、似げなく、人や見つけむと苦しきを、女はさも思ひたらず、
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ盛り過ぎたる下葉なりとも」
と言ふさま、こよなく色めきたり。

「年のわりにはなんとまあはでな扇だ」
と、源氏は、扇を自分のと交換させてよくよく鑑賞すると、顔が映るような深染めの赤の地に、金泥を森の形に塗りつぶしてある代物である。端の方に、古いながらに味のある筆跡で
「森の下草老いぬれば※」
と流し書きにしてある。
よりにもよって下品な趣向だ、と笑いながら、
「森こそ夏の、って感じかな」
と、何くれとなく言葉をかけてはいるが、こんなちくばぐの二人を人が見たらどんなうわさになることやら、と気にもなる。そういう源氏の懸念など全く感知しない様子で、典侍が
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも*」
と言う様子は、なんともその気満々である。
※「盛りを過ぎた森の下草=食べる馬もいなけりゃ、刈る人もいやしない」
*「おいでになりましたら、お手慣らしの馬に飼い葉などご用意いたしますわ、若葉とはいえませんけど…」

「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木隠れ
 わづらはしさに」
とて、立ちたまふを、ひかへて、
「まだかかるものをこそ思ひはべらね。今さらなる、身の恥になむ」
とて泣くさま、いといみじ。
「いま、聞こえむ。思ひながらぞや」
とて、引き放ちて出でたまふを、せめておよびて、
「橋柱」
と怨みかくるを、主上は御袿果てて、御障子より覗かせたまひけり。
「似つかはしからぬあはひかな」
と、いとをかしう思されて、
「好き心なしと、常にもて悩むめるを、さはいへど、過ぐさざりけるは」
とて、笑はせたまへば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。

「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木がくれ※
 厄介はごめんだよ」
源氏はそう言い、立ち上がろうとするが、典侍はつい、と彼の衣装の端を取り、
「こんな物思い、初めてですのよ。ここまで深い仲になりながら貴方に捨てられたとあったら、いい笑い者じゃありませんの」
大袈裟に泣く。
「お話はそのうち、ゆっくりお聞きしますよ。私を貴女を思いながらいるのですよ。でも私にもいろいろあるんですから」
源氏はそう言って、無理矢理にその場を離れようとするが、典侍は取りすがって
「そうおっしゃりながら、いずれ『橋柱*』なんでしょう?」
と恨み言を言うのを、お召し替えのすまれた帝が御障子の隙間からのぞいていらっしゃる。
チグハグこの上ない恋人達にいたく興味を示されたようで、
「朴念仁やらなにやらと、女房達が持て余していたが、この典侍を見逃さないとは」
とお笑いになるのを、典侍はなんとなく恥ずかしそうにしつつも、恋しい人のためならぬれぎぬも着るとかいうことなのだろうか、とくに弁解するつもりも無いらしい。
※「分け入ったら怒られないかい?いつ行っても誰かの馬がいる木の陰なんて」
*「思いながら思いながらと言いながら、そうやって私を捨てて行くのでしょ?」

人びとも、
「思ひのほかなることかな」
と、扱ふめるを、頭中将、聞きつけて、
「至らぬ隈なき心にて、まだ思ひ寄らざりけるよ」
と思ふに、尽きせぬ好み心も見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。
 この君も、人よりはいとことなるを、
「かのつれなき人の御慰めに」
と思ひつれど、見まほしきは、限りありけるをとや。うたての好みや。

女房達も、
「考えも及ばなかったわねぇ」
と言い合うのを、頭中将が聞きつけて、
「今までいろんな女を経験はしてきたが、あの典侍は考えていなかったなあ」
と思うと、その典侍の、灰になるまでの女心とやらを見届けたくなってきて、とうとう典侍を口説き落としてしまった。
 典侍は、頭中将については、この方も一流の貴公子であることだし、つれない源氏の君の代わりに、とは思うが、やはり本命は捨てがたく、まったくたいした高級志向である。