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しあわせですか?


 「ねぇおかあさま」
小さなラナが、エーディンが手にかけている刺繍の手元を、じっと見つめながらいった。
「きょう、レヴィンさんがきて、セリスお兄ちゃんの…」
「ラナ」
エーディンはふと顔を上げて、つん、と娘の額をつついた。
「お兄ちゃんと呼ぶのはおやめなさい」
「えと、セリスさまのね、おとうさまのおはなし、してたでしょ」
「ええ」
「あのね」
「何?」
「ラナのおとうさま、どんなひとだったの?」
エーディンは刺繍の手を止めて、
「とても優しくて、でも、いけないことはいけないと、きちんと言える人でしたよ」
といった。
「最初、お父様は、悪い人の仲間だったのですよ。
 でも、どうせ仲間になるなら、よい人の仲間になりたいと、セリスのお父様の仲間になった人なの。
 私は、そのとき、悪い人たちからお父様に助けられて…お父様は、私を、たくさん幸せにしてくれました。
 だから、レスターも、あなたもいるのですよ」
「ふぅん」
ラナは、まるで、人の話を聞いているように言った。
「ほかに、なにかおもしろいおはなしはある? おかあさまはティルナノグでうまれたひとじゃないっていったけど、おとうさまはティルナノグのひとだったの?」
「いいえ」
エーディンは、小さいラナをひざに抱えあげて、
「ティルナノグのずーっとずーっと南にある国のひとでした。お母様の生まれたところと、お隣同士だったのよ。
 弓を引くのがとても上手で、セリスのお父様も、とても頼りにしてくださったの」
「おにいちゃんぐらいじょうずだった?」
「いいえ、もっともっと上手でした」
「どれだけじょうずだったの?」
「そうねぇ…」
エーディンは、窓越しに、村の狩人から弓の手ほどきを受けているレスターをじっと見た。
「とても上手だったのよ。お母様の心にほんの少しあいた穴に、天使が使う恋する矢を、間違いなく狙い打ちしたのですもの」
ふふふふ、とエーディンは笑った。
「ラナ、あなたの心にもあるのよ。恋する矢の刺さる、ほんの少しの穴が」
「おにいちゃんが、そこに、やをさすの?」
「いいえ」
あどけなく見上げる娘の目に、ほんの少し、懐かしい光の宿っているのを見ながら、
「難しいお話よ。恋する矢は、誰でも使えるの」
と言った。
「誰でしょうね、あなたのかわいい胸に、恋する矢を刺してくれるのは」

 「おとうさま、いま、どこにいるんだろうね」
という質問に、エーディンは少し言葉を詰まらせた。なんといえば、この子は納得しようかと。
「レヴィンは、セリスのお父様はどこにいったと話していましたっけ」
そう、話を振ってみる。ラナは、
「んと、んと、セリスおに…セリスさまが、しあわせになれるように、かみさまにおねがいにいったって」
「おとうさまは、その方についていったのよ。私と、レスターと、あなたが、ずっとしあわせでいられますようにと、神様にお願いするために、神様に会いに、長い旅に出られたの」
「いつかえってくるの?」
「神様に出会えるまでには、長い長い旅をしなければいけないのです。
 いつ帰ってくるかは、誰にもわからないの」
「おかあさまも?」
「ええ」
「おかあさまにも、わからないことがあるんだ」
「お母様はいつも、わからないことだらけよ」
エーディンはふふ、と笑った。
「どうして、子供たちは、去年着られた服が今年はもう着られなくなるのか、どうして、木は夏が過ぎると赤く染まって散っていってしまうのか、冬が過ぎると、どうして新しい緑の葉が出てくるのか」
そして、また外をみやる。
「あなたはまだこの小さな村が世界のすべてでしょうけど」
「だって、むらのそとはあぶないんでしょ?」
「そうよ。
 でも、いつか、この村を出なければいけない日が来る」
「どうして?」
「セリスのお父様は、ただ、セリスが幸せでいられるように旅に出られたのではないの。セリスが、自分で幸せを探して、手に入れられる、強い子にもしてくださいと、二つのことをお願いにいったのよ」
「むらのなかじゃ、しあわせはみつからないの?」
「セリスのお父様が望んでいる幸せは、手に入らないでしょうね。
 ラナ、セリスが、幸せを探しにいくといったとき、あなたはどうする?」
エーディンは、そっと話をふってみた。
「うーん、よくわかんない」
ラナは、こくん、と首をかしげた。
「ラナ、ティルナノグのなかでおかあさまと、セリスさまと、おにいちゃんと、デルムッドと、ラクチェと、スカサハと、みんないるからしあわせだもの」
「そうね、それも幸せね」
早い話だったか。エーディンは笑いながら、また刺繍を手に取った。
「おかあさま、それ、だれの?」
「あなたのよ。今度新しく作る服に、つけてあげようと思って」
「わぁい」
ぴょん、とラナがその場で飛び跳ねた。

 小さなラナには、まだ、ティルナノグと、そこで暮らす子供たちがすべて。
 そんな彼女の幸せは、本当に小さい。しかしそのうち、その幸せを、分けて上げられる子になるだろうと、エーディンはそう思っていた。
 刺繍は夜なべ仕事になって、完成を待っていたラナはいつの間にかエーディンのからわらで眠ってしまっていて、母は娘の上に、ひざ掛けをそっとかけた。
「ねえ」
そうして、少し視線を上げ、空を見た。
「あなた自身の祝福をもとめての旅は、もうおわりまして?」


…しあわせですか?しあわせですか?あなた?今?♪
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