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連理行



 秋深い、町外れの道を、二頭の馬が行く。
 一頭は栗毛、もう一頭は葦毛。葦毛の乗り手は女性のようだった。
 葦毛が、栗毛を従えているように見えたが、ふと、葦毛が足をとめ、乗り手がじっと何かを見入っているようだった。

 「ねえ、あの丘の木が、不思議に見えるのだけど」
ラケシスが、馬に乗ったまま、その丘を見ていた。
「二本なの?一本なの?」
「ああ…あの樹ですか」
近づいてきた栗毛の乗り手…フィンは、同じように丘を見た。
「王女がご存じないのはもっともです。
 …ご案内しましょう、近くまで行けば、どうなっているか良くおわかりになると思います」

 その樹は二本であった。まだ若木とも見えたが、植えられた時期が違うのか、その二本の高さは少し違う。
 しかし、根元から上に視線を上げると、お互いの幹が自然にお互いに寄り添うように傾き、背の高い樹が、背の低い樹を守っているようにも見えた。梢は、もうお互いの枝が混ざり合って、どれがどちらの樹のものなのか、すぐにはわからない。
「不思議な樹…はじめてみるわ」
折から、落葉の一番美しい季節だった。弱い風に、木の葉がはらはらとなびくでもなくおち、二本の根元は、柔らかい落ち葉の外套をかぶり、冬の寒さも怖くなさそうだった。
 興味津々と、ラケシスがその樹のまわりを一周する間、フィンは聖印をきり、ひざまずいたまま動かない。
「どうしたの?」
やや膝をかがめて尋ねると、彼は伏せていた青い目を開き、
「ここは、私の両親の眠る場所です」
といった。
「やだ、そう言うことは先に言って」
ラケシスも急いで聖印をきる。
「ご両親の終の棲家とは知らず、無遠慮の振る舞いをお許しくださいますよう…」
「王女、お顔を上げてください。貴女がそこまでされることでは」
「でも、あなたのご両親なら、私にとっても同じでしょう?」
フィンが難しい顔をしているのに、
「どちらがお父様なの?」
と尋ねる。
「父が先に逝きましたから、こちらの高いほうがあえて言えば父の墓標になりますか」
「そう…」
フィンは余り両親の話をしない。どちらも、失ったのが早すぎて幼すぎて、覚えていないと言う。
 ただ、母のことは、薄く記憶を持っていて、
「どことなく、さびしそうでした。父を失って、その後を慕っていたからでしょうか」
そうフィンは言う。
 そのうちラケシスは、二本の樹のまわりを、そろそろと歩き、何かを拾い上げはじめた。
「いかがされました、王女」
「ここ、木の実がたくさん落ちているの」
両手から零れ落ちないように、そろそろと持ってくる。
「植えたら、芽が出るかしら」
「どうでしょう…」
「お屋敷に、庭師の人はいるわね」
「はい」
「植えて、育てさせてもらっていい?」
「ご随意に」
禁止するような希望でもなかったから、フィンは軽くそれにうなずく。
「しかし何故そんなことを?」
「この実、この樹から落ちてきたのでしょう? この樹があなたのお父様お母様なら、この実は全部、あなたの弟か妹よ」
ラケシスはくす、と笑う。木の実を全部、レースのハンカチでひとくるみにして、
「大切な場所を教えてもらってありがとう。
 …帰りましょ」



 その年の冬は、レンスターにしてはずいぶんと雪が降って、道行く人の挨拶も、
「今年はずいぶん積もりますねぇ」
が決まり文句になっていた。
 新しい年が始まり、何週間もたっていなかった。時のアレン領主クールは、執務室の中で、じっとその時を待っている。
 やがて、人がざわざわ、と騒ぎ始め、執事が入ってくる
「ムーナは大丈夫なのか?」
何度もした質問を繰り返す。執事は頭を下げて
「は、そのことですが…
 つい先ごろ、ご長男が誕生いたしました。
 一族にとって、これ以上の名誉はありません、おめでとうございます」
「そうか、息子か…」
クールは、執務室の椅子の上で、思わずもれてくる喜びから来る笑いをこらえられずにいた。
「ムーナは」
「はい、奥様もご無事です。
 ご用意ができましたら、ご案内いたしますので、もう少々お待ちください」
「いつでも待てるよ、私達にとって、最高の宝なのだから」
クールはそういって、自分の体にも入っていた力を抜くように、ふう、と長くため息をついた。

 ややあって、一族の女たちが下がり、クールはムーナの元を訪れる
「大仕事、ご苦労だったね」
「苦労した甲斐がありました。あなたの跡を継ぐ、立派な男の子ですもの。
 瞳の色があなたとおなじで」
しかし、生まれたばかりの二人の宝は、部屋においてある、沢山の祝いの飾りをかけられたゆりかごの中で眠っている。
「どんな子になるだろう。君のように、魔力の強い子かな」
「私は、あなたのように、立派な騎士になってくれればと思います」
クールに支えられるようにして、寝台から身を起こしたムーナは、
「雪は、やんだの?」
と尋ねた。
「いや、少しずつだが、ずっと降っていたよ」
「そう、だから、外がこんなに明るいのね…雪明りで」
「寒いなら、窓を閉めようか?」
「平気。少し外を見させて」
ムーナは、大任を果たし終えた充足感にまだ昂揚しているのか、頬にほんのりと赤みが差している。
「ずっとレンスターにいるけれど、こんなに雪は見たことないわね」
「…そうだな」
「ただ白いだけだと思っていたけど、その白は透き通っていて、とても綺麗…」
 透き通る雪の白、その美しさ。
 天がその美しいものを、あなたのために降らせているのよ。
 白くて美しい、私達の宝物。
 フィン。
 それが、あなたの名前。

 レンスターといえば、大陸で最も精錬された槍騎士団・ランスリッターが思い出されるが、軍そのものも最も完成されたひとつに上げられる。
 トラキア半島南北の軋轢が、そのレンスター軍の完成度を高める要因となっていることは、皮肉たが否定はできない。
 その軍の中に、魔法や治癒を請け負う後方部隊があり、ムーナはそこで、セイジとしてその功績を認められ、また温和な人柄から多くの人に慕われていた。
 片やクールは、王太子の側近で、軍人としての立場は、ランスリッターとはまた別の、王室近衛騎士団に所属し、ただ国王カルフを守護するのみならず、作戦によってはランスリッターの一部を預かるほどの、デュークナイト徽章にたがわぬ技術と器量を持ち合わせた屈指の騎士であった。そのころはまだ、王宮で母王妃アルフィオナの膝元で不自由なく育つ王子キュアンの、ゆくゆくは最も近しい側近になるだろうという、もっぱらの評価であり、事実そうなる道が、彼には用意されていた。

 平時は王妃のサロンで語り部をし、また魔法になじみの浅い地でマージを育成するムーナと、新進気鋭の若いデュークナイト・クールが、出会い、しかるべく親密になるのを、誰も止めることはない。やがてムーナは、クールが望み、また自分も望むまま、クールの元に嫁ぎ、何年か。
 レンスターに訪れた、いつになく寒い雪の日に、二人はこうして、宝物を得たのである。

 子を得たといっても、その弱い存在は、両親や周囲の者が絶えず見守り、世話をしなければ、たやすく死の闇に誘われるものであった。しかし、聖ノヴァは、二人の間に生まれたその小さな弱い者に、惜しみなく祝福を授け、小さなフィンはアレンの屋敷の中で、病や怪我に悩まされることもなく、ありていに言えばすくすくと育っていた。両親が心配なことと言えば、この子がすこし内気で、人見知りをするぐらいか。しかし、
「王宮に上がれば、自然と治るものですよ」
と、アルフィオナはムーナにそう言った。
「ムーナ、そろそろ、フィンを王宮に上げなさいな。
 キュアンはもうそろそろ士官学校に行くようになります。あの子がしかるべく過程を修めて帰るころには、いくら内気といっても、人との付き合い方ぐらいは学ぶはずです」
「お心遣いありがとうございます王妃様。
 主人と話して、そのほうがよいとなれば、時期を見て王宮に上げるよう、用意をしたいと思います」
ムーナはそう答えた。クールに嫁ぎ、アレン伯夫人となっても、ムーナはまだ城でマージの育成から手を引いたわけでもないし、トラキアの竜の襲撃には、夫とともに出陣して傷病兵の治癒と後方支援に忙しく立ち働いていた。
「…顔色が悪いですよ、ムーナ」
アルフィオナは、ムーナの顔を見てそう言った。
「無理はいけませんよ、あなたはもうただの一兵士ではないのですからね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
ムーナは軽く一礼をして、アルフィオナの元を辞した。

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