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 「ただいま戻りました、お母様」
ノディオン城の一番西の部屋で、掲げられたお母様の肖像に、私はそう告げた。
 この城を出たときには、まさかここに戻ってこられるとは思わなかったけれども、戻ってきた城の中は荒れた風でもなく、私はなぜかしら安心を覚えていた。
 私がここにいるのがわかったのか、サラが扉からひょこりと顔だけを出して、
「こっちにきて、もどしてあげるから」
と言った。
 私の体は、この部屋に近い、私が使っていた部屋にある。城には、もう何人も詰め掛けているようだけれども、私はあえてそれを知らなかった。
「もっと、近くによって」
サラのいわれるままに、私はその体の脇に座り込む。そして彼女は、何の呪文を唱えるでもなく、私の体に、杖の先をほんの少し当てた。
 瞬間、ぱんっ、とはじけるような音がして、私の周りが闇に覆われる。いや、闇ではなくて、目を閉じているのだ。
 そのまぶたを開くのが、少し怖かった。それでも、ゆっくりと目を開けると、サラの銀色の髪が見えて、
「…おかえり」
と言うのが、ちゃんと、耳を通して聞こえてきた。サラは何でもないように杖を両手に抱きしめ、
「私に出来るのは、ここまで。ちゃんと服を着てね」
そう言って、部屋を出て行く。
 もっと大層なことがあるかと思ったけど、魔法が解けるのは本当にあっけなかった。
 でもキアの杖の色は、私に使われる前より少しくすんでいた、きっとあれは何度も使えるものではないのだと思った。
 それを私に使ってくれたのだから、あの子には本当に感謝をしないと。

 サラと入れ違うように、
「姫様!」
と声がかかる。私は、周りにあった布をかき寄せるようにまとって、その声にこたえる。
「…ばあや?」
「ばあやでございますよ、お話は聞きました、おいたわしいこと…」
ばあやはもう涙だらけの顔で、私の前にうずくまる姿は、私が覚えているより、大分小さくなった。
「おじい様のところにいたのでしょう?
 ノディオンまで、ばあやはまた大変な旅をしたのね」
「そんなこと」
ばあやは、人に支えられながら立ち上がり、
「このおめでたいことに比べれば何と言うこともありません。
 ばあやでなければ、姫様のお衣装をお着せになることも出来ないのですから」
そういいながら、ひとに運ばせた衣装の箱を置く。中には、お母様の服もあったし、新しい服もあった。たぶん、お母様の服にあわせて、新しく作ったものかも知れない。
「今外はとてもお寒うございますからね、暖かいものを選びましたよ」
と、ばあやが服を取り出して合わせてくれる。そして、
「おや、ばあやとしたことがとんだ間違いを」
と裏返った声を上げた。
「どうしたの?」
「姫様のお胸が思ったより大きくて、仕立てた服にあいませぬ」
「まあ」
私はつい、声を上げて笑ってしまった。笑い声が、体を震わせて、こんな些細なことでも、私はまた新しく生きているのだと思わされる。
「じゃあ、お母様の服がいいわ。前に着たときは、実は少しゆるかったの」

 窓の外を見ると、降ってはいないものの、雪は庭を一面に白くしていた。でも、空は雪空加減で、いつ降り始めてもおかしない。
 マディノの家で、お母様と、雪玉遊びをしたのを思い出す。あのころは、とてもお元気だったのに。ねぇ、お母様。私いつの間にか、お母様より年が上になってしまいました。
 私は、改めてお母様の肖像を見上げた。この、西の一番奥のお部屋は、代々の王妃の部屋。お姉様はお使いにならなったけれども、ゆっくりと誰か話をするなら、この部屋が一番いい。
 その部屋に、いっせいに、足音がなだれ込む。
「お母様!」
「母上!」
「叔母上!」
「プリンセス!」
私はそのあまりの勢いに、思わずかけていた椅子から転げ落ちそうになる。でも、全員に声をかけられても、全員、誰の声なのかわかるのは、我ながら嬉しい。
 私の側に寄る競争に勝ったのは、ナンナだった。私の顔を見るなり、もう涙がちになって、
「お母様…ご無事でよかった」
と、手で涙をぬぐいながら言う。
「まあ、久しぶりのお顔を見せるなら、笑顔がよかったわ」
「でも…」
「仕方ありませんよ、今日を一番の楽しみにしていたのはナンナなんですから、ねぇ、アレス」
「そうだな」
見上げると、私が見た王子二人は、分かれたころの少年らしさそのままに、ただ伸ばしたように大きくなって、闊達な青年となっていた。
「まあ二人とも」
と、私は声を上げずにはいられない。
「見ない間にすっかり大人びてしまって」
「そりゃあ、十年もたてば…」
「ねぇ」
そう互いを見合って笑いあう姿は、兄とキュアン様を見ているようで、不思議な取り合わせに見えた。
「リーフ様は、ずっと私との約束を守ってくださったのですね」
そういってみる。リーフ様はまず自身たっぷりに
「貴女との約束は、ちゃんと守ってきましたよ。ナンナを誰よりの預かり物と思って」
とおっしゃられてから、少し困られたように
「戴冠はしたものの、アレスの手伝いにここに来ているものですから、あまりそれらしい扱いはしてあげられなくて」
そうとも仰る。
「ナンナほら…もう泣くのはやめようよ」
涙をぬぐうナンナに、リーフ様がおっしゃるのを、
「大丈夫です、私もう泣いてませんわ」
とナンナは言うけれど、涙は押さえられない様子でいる。私をナンナとを何度も見比べて、アレスがつくづくと言った。
「しかし、見ている分には、姉妹みたいに見えるなぁ」
「そうだな」
「叔母上が若いままだからか、ナンナが女らしくなったからか」
「私は両方だと思いたいね」
「よく見れば、二人ともこの部屋の肖像にも似ているし…血ってやつはすごいな」
そういい合う声の中で、私は、一緒に飛び込んできたはずの声がないことに気がつく。控えめなのかしら、それとも気後れしてしまったのかしら、
「ねぇ、デルムッド」
「!」
「いるのでしょう? こちらにいらっしゃい」
王子二人に道を開けられて、呆然と立つその表情は、びっくりしたときのあの幼い表情に、全く変わるところはない。でも、その視線は、私が知っているものより、ずっと高い。最後に見たこの子の姿は、歩くことすらおぼつかない、両腕で抱きしめてあげられるほど、小さかったのに。
 自分で呼びかけたはずなのに、近づいてきたデルムッドの顔が、涙でゆがんでくる。
「ごめんなさい」
と彼に取りすがった。
「本当は、一番守らなければいけないのは、あなただったのに。私を覚えていられないほど小さいあなたを、私は一人残してしまって…
 ひとりで…さみしかったでしょうに…」
「母上…」
デルムッドの声は、少し懐かしい響きがあって、
「母上には大事なお役目があったのだと、聞かされていますから…」
と言う言葉とは裏腹に、私を抱きしめ返してくる、その手の強さもよく似ている。
「それに、僕はティルナノグで一人だったわけではありません、仲間がいました。
 みんなと一緒に、解放軍を立ち上げて、大陸を平和にするまで、さびしいと思ったことなど、一度もありませんでしたよ」
「また、やせ我慢なんか言いやがって」
デルムッドの言葉を、アレスが混ぜ返す。
「アレス様、その話はまた後でと思ってとっていたのに」
「どうせ知らせるなら、今だってかまわんだろう」
「どういうこと?」
「ここに来る前にわざわざイザークに帰って、彼女呼んできたんですよ」
アレスがにんまりと言う。
「本当なの、デルムッド?」
「…はい」
デルムッドの目じりがにわかに染まる。
「今も、ここにいるのですが、また後であらためてと」
「わかったわ、改めて会いましょうね、その人とは」
私は、周りに集まった子供達を、全部一つに抱きしめたくなった。でも、私の手は少しも収まらなくて…でも時間は、私が何の手を差し伸べなくても、それぞれをこんなに立派にしてくれた。
 時間の流れ、いつか聞いた、大きい流れは、こんなにすばらしいものだったのね。

 子供達が口々に、今のアグストリアのことを教えてくれた。
 アグストリアの解放軍は、マディノで立ち上がり、私がかつて、ノディオンを旅立ったときと、ちょうど逆周りで、暗黒教団の残党や、バーハラ帝国に属する古い勢力との戦いを続けてきたという。
「このノディオンまできたときに、叔母上の話が届いて」
とアレスが言う。
「兵士には休息をとらせて、俺達はこの通りです」
「そうなの。
 その、アグストリア解放軍は、誰が立ち上げたの? あなた?」
そう尋ねると、アレスはかぶりをふって、
「いや、それが」
と言う、そのときに、あけられたままだったのだろう、扉が鳴らされて、
「それは、私から説明させてもらおうかな」
と言う声がする。
「…おじい様!」
私が子供達をかき分けるようにして、おじい様に取りすがるのを、
「これこれ、私にも寄る年波があるのだから」
と、嬉しそうに仰ってくださる。
「アグストリアの解放軍を立ち上げたのは私だよ」
「おじい様が、ですか」
「人の庭に勝手に入ってくるようなバーハラの厚顔な態度を、許せると思えるかね?
 いきなり王子ご本人にこの解放軍をお預けしたいと申し上げるのも失礼と思い、それでデルムッド宛に手紙を送ったら、やはり自らお越しになられて、私達に加勢してくださった」
「この御仁には驚かされることばかりで」
とリーフ様が仰る。
「私達が来るまで軍師の代わりとして、解放軍の指揮を採られていたらしいのですが」
「なんの。本ばかりが頼りのにわか軍師ですよ、お手紙を出さなければ、私もこうして」
おじい様は苦笑いを浮かべられて、
「お前や曾孫達に出会うことが出来たかも怪しい」
「でもおじいさま、何故アグストリア解放軍をお立ち上げに?」
「何故も何も、私とクレイスと、お前が生まれ育ったこのアグストリアを、いまさらに暗黒教団の好きにさせられるかね?」
おじい様は当然、と言う顔をなさった。
「しかし、集ってくれた兵士と、デルムッド、アレス王子、多くの方々の助けをもって、半分以上が開放された」
「マッキリーとアグスティ、そこを攻略できれば、俺の魔剣も、やっと鞘に納められる」
「その日が、早く来ればいいわね」
「そこで相談なのだが」
アレスが、急に改まったようで、私に顔を向けてきた。
「叔母上、腕に覚えがあるのなら、解放軍に参加をいただけないだろうか。帝国以前のアグストリアを知るものがまた一人増えると、士気も高くなるというものだ」
「腕に覚えがあるといっても」
マスターナイトの称号を受けたのは随分昔の話。小さな子供達を守るためだけにしか使わなかった腕が、今通用するかしら。
「アレス、その話は少し考えさせて…」
そう言った時、庭のほうで、誰かの声がした。
「?」
やんでいたはずの雪は、また降り始めている。ナンナが
「いけないっ」
と立ち上がった。
「お父様を外に待たせっぱなしだったわ!」

 暖かいドレスの上に、さらに外套をかけられて、私はそっと、お母様のお好きだった、西の棟の庭に出る。
 その草花達は、新しい季節に芽を出すために、その雪の下で、ゆっくりと眠っている。
 私は、ドレスの裾を持ち上げ気味にしながら、ゆっくりと、その足をすすめてみた。さく、と、雪を踏む優しい音がして、その音すら、私に、足で歩く感慨を思わせた。
 さく、さく、と、ゆっくり、その方向に進んでいる。草花達と同じように、春を待ち眠るまばらな木立の前に、あの人の姿があった。
「肩が真っ白よ、入っていればよかったのに」
そういいながら雪を払い、別に持っていた新しい外套をかけなおしてあげると、彼は
「いえ、そういうわけにも参りません。それに、シレジアの寒さに比べれば」
と言いながら、盛大なくしゃみをひとつした。さっきの声も、これかしら。
「やせ我慢なさるからよ、おじさま」
そう混ぜ返すと
「確かに、いささか不釣り合いになりましたね、これではまるで親子のようです。
 貴女も、ナンナと比べたら、きっと姉妹とも見間違えられるかもしれませんね」
と、彼はむっすりと言う。私は
「アレスが全く同じ事を言ったわ。
 でもご心配なく。中身の年はあなたと同じよ。今子供達に出会って、そう実感したわ」
真っ赤になった鼻をまだ暖かい自分の手でさすってあげている間に、木立の枝が雪を落とす音が聞こえ、私は音の方向を見やった。
「この木は、春夏はただ葉を茂らせるだけだけれども、秋の紅葉がきれいなの。草の花を好んだお母様も、この木だけはお気に入りで」
「さようでしたか。私は、ついあれが気になって」
彼は指で私の視線を上に向かせる。冬枯れた枝の中に、丸く、緑のものが、少しの雪をかぶって見える。
「あれは、なに?」
と言うと、彼は少し意外そうな顔をして、
「王女はご存知だと思っていました。あれはヤドリギです」
と言う。
「あれがヤドリギ…話には聞いていたけれど、ずいぶん小さなものなのね」
「そして、あのヤドリギこそが、アグストリアを守る象徴なのでしょう?」
ミストルティン、それはもともとは、ヤドリギの小枝の名。アグストリア王族なら、一度は聞かされる話だった。
 ヤドリギの小枝には魔力があって、不死の存在をも死に至らしめたという、あのかわいらしい姿からは想像もできない武勇伝がある。もっともそれは言い伝えで、今私達が見ているヤドリギに、その力があるのかはわからないけど。
「王女はもうご存知かも知れません。聖ヘズルは砦にてくだされた魔剣に秘められた力に、かのヤドリギの清冽な魔力を感じたられたと」
「そう。だから、あの剣はミストルティンというの。こう聞くと、かわいらしい名前でしょう」
「そしてヤドリギの魔力は、巷にも知られるところになり」
そう彼が改まって、もう冷えてしまった私の手を取る。
「ヤドリギの下で立てられた誓いは、その力により永遠に守られると」
「ま」
私はつい声が出た。
「これからは誓約ではありません。
 ですが、私はいつまでも貴女とともにいましょう。この清浄なる緑の小枝にかけて」
「…はい」

 そんな時だった。
「おいこら!」
とぞんざいな声が、私達の折角の雰囲気を、文字通り叩き割るように、庭に響きわたる。
「いつまでラケシスをこんな寒い中に置いとくんだ、さっさと中に入れんか、気の利かない男め」
その言い方があまりにぞんざいなので、
「ここはどこで、誰に向かってそんな言葉を口にしているのか、わかっているのでしょうね、事と次第によっては、ただでは置かなくてよ!」
私はその声に言い返していた。
「王女、落ち着かれてください」
後ろで彼が小さく言う。
「さあ、私の見えるところに出て、その大きい口の持ち主は誰なのか、よくそのお顔を見せることね」
でも私はそれを無視して、声のかかった方に問いかけた。
「俺だといえば、文句はないか?」
そして出てくる陰に、私は目を丸くする。丸くするついでに、貫禄だけはついた、でも見覚えのある貧相な顔が出てきて、我ながらあまりお行儀のよくない顔で、にやりと笑ってしまった。
「やっぱりあなたね、エリオット。
 あなたでなければそんな言葉は出ないもの。
 よくあのまま、シレジアから戻れたこと」
「はっは、よくシレジアから戻っただろう? 話が聞きたいか?
 ならば今すぐにでも中に入れ、長いぞ」
「結構よ、でも、」
私はその声に、伸び上がって、冷たい頬にひたと唇を当ててから、ふいと背中を向けた。
「もう少し、この人といさせて。寒くても、少しも構わないから」


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