あけがらす
 

「…バカだねぇ、お前も…」
酒瓶の口を、片目でのぞきこむと、
「…見限っちまえば良かったのによ…」
底にあるオリが、とろりと動いた。
 柄にもない、と、俺は自分を笑った。結局眠れずに過ごしてしまった。テーブルの反対側におしやった瓶の数が、俺の時間をそのままそこに残している。
 大将の辛気くさい顔が、頭から離れない。
「友の正義と名誉のための出撃だ…」
そう言っていた。友達の友達は友達とか、どこかで聞いたようなことを並べて、俺に、傭兵隊長なんて言う、御大層な肩書きまでくれやがった。
「私達に共通する友を、力を合せて助けたい…協力を、頼む」
助けたい、か。あいつは、一度やると言ったら本当にやる男だ。ガキの頃からの付き合いでも、傭兵仲間、たった数カ月の付き合いだっても…同じ「友達」だ、俺にゃあいつの事が分かってないなんて、今さら大将達にゃあ、いわせねぇ。
 なあ、バカなウィグラフよ、天国か、地獄か、どっちかの入り口から、お前はこの有り様をどう見ている?

「まあ、そんな馬鹿さ加減がほっとけねぇのか…」
王様や騎士としちゃ、確かに一級品なんだろう。だが、それがそのまま人間としてそうかと言うと…必ずしもそうじゃあない、と思う。とはいえ、適当、だの、いい加減、だの、なんて、そんな言葉の向こう側にいるあいつは、一番嫌っていたと、覚えている。
 確実に夜明けは進んでいた。赤い朝焼けの光が遠慮会釈なく、俺一人だけがいる、だだっ広いばかりのアグスティ城の大食堂に入ってきていた。
 眠れなかったし、アルコールもそれなりに入っていたが、頭は冴えていた。移動が済む頃には、それも抜けるだろう。そう考えて、武器の調子でも見ておこうかと、ひとまず、自分の部屋に戻ろうとした。

 秋のアグストリアは、はれる朝は冷え込むと聞いたが、外の空気は、酒にあたたまっている体にはかえって心地がいい。
 自分の部屋は、中庭を突っ切るのが一番早かった。歩きながら、見上げる。
 目の前につらなる、俺が入ることなんて多分一生ないだろう、やんごとない辺りの留まる窓は、まだ、どれも起きている気配がない。
 斜に突っ切ろうとして、その進路をちょうどふさぐように、そいつが立っていた。
 朝焼けに、全てが真っ赤に染まっている中で、そいつだけが、切り取って、絵の具を吹き付けたように真っ青だった。
 朝飯前のひと働きか?と、その時は素直に思った。この少年は、ただでさえ優良児なくせに、平気でそれ以上をしおおせてまだ足りないとぼやく、まったくひやひやさせるやつだ。
 近寄って、挨拶と、冷やかしの一言でも言おう思ったが、俺がすぐそ場まで近付いたところで、少年は口を半開きにしたまま、仰ぎ加減でどこか遠い目をしたまま動こうともしない。
「おい!」
何とか呼び掛けて、やっと少年は俺を見た。が、見るなり、朝焼けの中にもハッキリわかる程顔を赤くして、だっと、俺が出てきた方向に走り去ろうとする。俺は反射的にその足を引っ掛けて、コケそうになったその首根っこを掴んでいた。
「逃げるこたねぇだろ、逃げるこた」
「に、に、逃げてなんか、いませんよ」
少年はまだ走り去ろうともがく。
「出撃の準備をしに、武器庫に行くだけですよ、私は」
「武器庫は、…傭兵宿舎のとなりだから、あっちだぜ」
俺は、首根っこを掴んだまま、あっち、と、俺が進む方向をさした。少年は、ややあって、がくっと、首をうなだれた。
「…少年、まさかお前さんが、武器庫の位置を間違えるなんてこた」
「大声出さないでくれますか、まだ朝早いんですから」
「俺はいたって冷静だ。…今のお前よりな」
「…」
「こんな時間にこんな所で何をしている…いや、してきたのかな?少年?ほんとの事いわないと、…奥様に告げ口しちまうぜ?」
「そ…それは…ちょっと…」
少年は、顔を真っ赤にしたまま、口籠る。その時、俺は視線を感じて、は、と、上を見上げた。どこかの窓で、何かが動いたような気がした。そこはちょうど…さっき少年が見上げていた方向と同じだった。

 当てずっぽうにいってはみたが、まさかそれが図星をさしたとは気がつかなかった。
「なるほどね、おめでとう」
思わずそういってしまった。この少年の朝帰りの場面に出くわしたとは、運がいいのか悪いのか。少年は、まだ俺の手から離れようともがく。そうして動く空気から、わっと香り立つものがある。
「いい臭いだね、少年」
「…」
少年はまた、がっくりとうなだれた。こんな上等のバラ香水を普段から付けていられる姫君など、ここにはそうそういやしまい、俺は、心当たるものを感じた。
「どうやら、初志貫徹というところか?」
「なんのことですか」
「とぼけるのがうまくないよ少年、露骨に慌てた顔をされちゃ、いかに俺ががさつでもすぐわからい」
少年は、明らかに胡散腐そうな横目を、俺にむけた。こいつのことを無表情と、城つめの女の子は一様にいったりするが、なかなかどうして、ごくたまにだが、はっきりとした顔をする。そしてその顔は、明らかにこう言っていた。
『あなたのお察しの通りに、僕はやんごとないあたりの部屋で一晩寝てきました』
と。

 おそらく、もう少し穿った辺りでの、俺の予想は大体あたっているのだと思う。
 問題は、そのバラ香水の姫さんが自分の兄貴が死んだって夜に、この文字どおりの青二才にその体を許したいや、『許させた』というところだ。
「まあ、出撃までにはまだ少しはあらぁな、…飲んでいかねぇか」
と、俺が手を引くと、少年は渋々といった体で俺についてきた。といっても、グラス半分で真っ赤になる痛ましいまでの下戸の少年には、俺は水しか出さなかった。
「お前さん、わかってんのかよ」
「何を」
俺を見上げる少年の目には、ひとひらの疑いもない。疑う事を知らないのではない、今まで彼に与えられたあらゆるものが、そのときどきの彼にとって的確この上なかったが為のことだ。
「お前さん、…利用されてるかもしれねぇんだぞ」
「何が」
世間知らずだろうがオボコだろうが、女という生き物は天賦の勘とも言える鋭さで、自分の血を残すための「材料」を求める。しかし、それを少年に説明するのは忍びなかった。
「知らなきゃ一生知らねぇでいいことさ」
「…?」
少年は、実に俺をうさん臭そうに見た。いきなりとッ捕まえて、わけの分からん御託を並べる俺を、一晩のみ続けた酒のせいかと思っているに違いなかった。
「なぁ」
「何でしょう」
「いつだったか、ここで、お前さんとは大げんかしたよな」
「そんな事もありましたね」
少年は、水を飲み干して言った。早くこの場所から離れたい風情だ。
「どうだったよ、俺と喧嘩までして手に入れた女の味はよ」
「そんなこと、覚えてないですよ」
少年はさっと顔に朱をはしらせた。実にからかいがいのある表情だったが、俺にはそんなつもりは全くなかった。
「もったいねぇな」
「え?」
「いつ何時、自分が死ぬかもしれねぇ戦場のはざまで、たまさかに実った恋ってやつだ、お前さんらに分かるように言えばな。
 その相手の様子を覚えてる事も出来ねぇで、どうするよ」
「…すいません」
うなだれる少年に、俺はなんだかいじましい思いに捕われていた。いじましいというか…未完成の何かの前に立たされた彫刻家の気分だ。
「少年よ」
「はい」
「…女と寝たのは、これが初めてかい」
余計な感情を入れずに漠然と尋ねると、少年はうなずくだけで答えた。
「なるほど、いい経験したな」
「そういう、ものなんでしょうか」
「当たり前だ、世が世なら、相手がハイラインのエリオットだっても、お国のためにと縁付いたかもしれねぇ姫さんをだな、お前がナニしたっていうのは、お前はひょっとしたら選ばれたんかもしれねぇ」
「」
「漠然なことばっかり続いちまって申し訳もねぇけどよ、お前にはそれだけ運があるってことだぜ? それぐらいはわかれよ?」
俺のそばの椅子を引いて座り込んで、少年はしばらくなにごとか考えていた。
「一つ聞いていいですか」
「ああ」
「ノディオンの陛下は、御自分のお命を持って、停戦を奏上する必要が、お有りになったと思いますか」
「もし必要がなくっても、そうするのがウィグラフの方法だわな」
そうとしか言い様がなかった。
「自分がその言葉を遺言のかわりにして逝きますと、そういうことなんだからな。普通の人間には説得力この上なかろうが、相手がシャガールではな」
「陛下は犬死にですか」
「さぁて、それを判断するのは、俺達じゃねぇよ、きっと」
そのときの行動の、一つ一つにいたるまで、誰が何を思っているのかなんて、本人以外の誰にも、わかりっこないことだ。今でも、後になってでも限り無く近いところまで、推し量ることしかできない。
「それを見ていくのが、お前さんの仕事じゃないのか?少年。運命ってやつだ」
「運命」
「おうよ」
そんな言葉は使いたくなかったが、なにか人をこえた辺りでそうさせるように決定してくるもの。それがすべてを動かしている。

「俺、前に俺は姫さんのために裏切ったって言ったよな」
「そうらしいですね」
「どうやら、それは俺の運命じゃなかったらしいぞ。少年、頼むわ」
「?」
「あの姫さんのことだ、きっと一人で何でもやっていっちまうと思う。そういう跳ねっ返りなところが、ウィグラフには心配なんだと思うんだわ。お前のその石橋たたくところと足して二で割れば、きっと何でもうまくいくと思うぜ」
「何ですか、それ」
「何ですかも何も、俺はお前さんをシュクフクしてんだ。素直にききやがれっての」
「はぁ」
「しのごの言わせねぇぞ。今に限ってはな、俺の言葉はウィグラフの言葉だ」
「酔ってるでしょう」
「あれぐらい酔ううちに入るか」
俺は、立ち上がる少年の頭を押さえて、もう一度椅子に座らせた。
「少年、ひとつ、お前さんには覚悟をきめなきゃなんないことがあるんだぞ、それは分かってるか?」
そう俺が改まると、少年は
「何でしょう」
と怪訝な声を出した。
「主君のためなら死んでもいい、そう言う考えは金輪際捨てるこった」
言って、俺は少年の反応を見た。案の定、受け入れ難そうに、眉根を寄せていた。
「それは」
言い返してこようとするのに、かぶせるように続けた。
「騎士道とかいうのには、もとることもあらぁな。だがよ、ほれた女がどういう思いで、戦場に出るお前さんの帰りを待つのか、それを考えろ死んで帰ることなんて、絶対できねぇぞ」
「」
「すぐにゃあわからねぇよ。お前さんはまだガキだ。女と寝るのだって、半分以上興味本位だろう。
 いろんなことを背負ってると、分かってくるようになればな、必然的に死ぬことは考えなくなるってもんさ。お前さんの御主君がいい見本だ、聞いてみな」
「はぁ」
まだ少年は、俺の言うことを半分ぐらいは飲み込んでないようだった。無理もねぇ、俺だって、講釈は垂れるが、言う程の境地にはいたってねぇんだ。
「お前はもう、一人だけのもんじゃないんだよ」
「達観してるんですね」
少年の声が珍しく、しみじみとした感慨を含んでいた。
「まぁな」
死ねねぇ物を抱えているんだ、だから俺は死ねねぇんだ。それは言わなかった。命を投げ出そうとするたびに、体の奥深くがつまりそうになる。そうさせる何かが、どこかにある。それのために、俺はひとりじゃない。

 すっかり明るくなっていた。人が出入りを始め、厨房では朝飯の準備の物音が始まる。
「そろそろ、戻らないと」
と少年が言う。俺ももうこれ以上拘束するつもりはなく、
「じゃあ、武器庫まで御一緒しようか」
と立ち上がると、またも珍しく口の端を持ち上げた顔で、
「いいですよ」
と言われた。
 その途中、他愛無い話等、短くかわしながら歩く間に、俺はいいわすれたらしいことを思い出したらしい。
「まぁ、よけいなことだとは思うが」
と、改まっていた。
「はぁ」
「いっそのことだ、あの世のウィグラフがホゾ噛むくらいに、姫さんをその気にさせてみるんだな。お前無しには夜も寝られねぇぐらいに」
「な」
「たりめーだ。そのほうが俺にもいっそ諦めがつくってもんだ」
俺のすぐ後ろをついてきていたはずの少年の気配は、その場所で立ち止まったのか、急に遠くなってゆく。俺はつい吹き出して、そしてそれは大笑いになった。
 

をはり