新春特別企画・壁紙お題話

のちのあした

文責・清原因香Yoruka KIYOHARA


 「ユリア?」
目を覚ましたら、ユリアがいなかった。
「ユリア?」
シレジアに来て、最初の朝の事だった。

 俺が育ったシレジアの家は、その時には、もう誰もいなかった。
 エスニャ叔母さんとディアン叔父さん、アミッドにリンダも、フリージに来たから、人里から離れたこの家は、俺とユリアが来るまでは、誰もいなかった。
 懐かしい思い出が一杯のこの場所に、ユリアをつれてくることが、昔あのとき、俺達がかわした約束だったから。
 大分、時間がたってしまったけれど、絶対に見せたかったトーヴェの町を見下ろす風景を、ユリアはいつまでも見続けていた。

 ユリアは、家の前の庭にいた。夕飯の残りのパンくずを、庭に来る小鳥にまいていた。
 真っ白の雪の中に、銀の髪と、白い肌。昨日と同じようで、違うような、起き抜けの格好に、そよ、と風が当たる。
「風邪引くぞ、入って来いよ」
と、声をかけると、ユリアは振り返った。目を真っ赤にしているのが、遠目にもわかる。
 近付いてくるユリアに、持っていた毛布をかけながら、
「…泣いてたのか?」
と、聞いた。ユリアは、ためらいなく、こくん、と、うなずいた。
「どうしよう」
「何を?」
「声が、聞こえない」
「声?」
「あの小鳥さん達、昨日、屋根にいたの。明日の朝、御飯あげるからって、約束したの。雪が降って食べ物がないから、とってもうれしいって、喜んでくれたのに」
「うん」
「今、庭に出てみたら、小鳥さんはいるけど、小鳥さんの言葉がわからないの。昨晩のパン、美味しそうに食べてたけど…さえずりしか、聞こえなかった」
「…そう」
いいながら、まだ涙を落としはじめるユリアの体を、俺は、抱き締めていた。
「小鳥さんだけじゃないの… 森の木も、この家も、私に一杯話し掛けてくれたのに…
 アーサー、わたし、どうしてしまったの?」

 その理由をいうのが、俺は辛かった。
 昨日まで彼女に備わっていた、あらゆるものの声が聞こえるシャーマンのその力を、奪ったのは、ほかならぬ俺だから。
 女性の魔導士には、たまにそういう場合があるらしい。こうしてコドモじゃなくなったあと、魔力の質が変わることが。最悪の場合…消えてしまうことも。
 でもユリアの魔力は、なくなってなんかいない。隣にいるだけで、俺を捕らえて離さない。深く高く伸びて、この家中に広がっている。
「ユリア、大丈夫」
俺は、もう一度寝室に戻って、朝の空気に冷えたユリアの体を、もう一度抱き締めた。
「声が聞こえなくなっただけなんだよ。小鳥とか、森とか、この家とか、そういうのは、今でも君にちゃんと話し掛けている」
「本当に?」
「目を閉じて御覧。聞こうよもう一度、その声を」
ユリアは、涙にまだ潤んでいる、菫色の瞳を閉じた。淡い紅色の唇は、昨晩から変わらない柔らかさで、俺の唇に懐いてくる。

 はからず、寝台に折り重なった時、俺達は、庭の方に、強い気配が有るのを察した!
「!」
跳ね起きて、庭に飛び出す。
 薄くなっていた雪雲がはれて、太陽が差し込む、その光をプラチナ色に反射して、立っていたのは…
「アクィーラ!」
シレジアの守り神。ラーナとマーニャの魂を移して飛ぶ、人に関わるただ一頭の、霊獣ファルコン。俺は昔、こいつに乗ってシレジアを旅立とうとして、失敗したことが有るのだ。オレとユリアを引き合わせてくれた存在でも有る。
「アクィーラ、元気でいたのね」
ユリアが庭に駆けおりる。残りのパン屑をつついていた小鳥が、その勢いにパッと飛びたった。
「私達に、会いに来てくれたの?」
というと、アクィーラは、一度、頷くように首を振った。その口に、何かをくわえている。彼女(そうなのだ、レヴィン王の話によれば、アクィーラは「彼女」なのだ)は、興味津々のユリアの頭に、ポンと、そのくわえているものを載せた。瞬間、ぱっと香り立つ。
「…ま!」
ユリアの唇のような、淡い紅色の花冠が、俺の頭にものせられた。ユリアが笑う。
「アーサー、お似合いよ」
「アクィーラ、ひょっとして、祝いに来てくれたのか?」
思い立ってそういうと、アクィーラは、一度だけ、ゆっくりと瞬きをした。
『小さかったユリア、私の言葉を聞くことができるようになったのね』
その後、頭の中に声が響く。
『幸せに、なりなさい。…お兄様の分までも』
「…はい」
ユリアは、アクィーラの「言葉」に、また涙を滲ませる。でも今度は、うれし涙だ。その顔に見とれていたら、アクィーラは俺にも話し掛けてくる。
『アーサー』
「!」
『この子は、あなたを守る最強の剣…』
まもりなさい、なにがあっても! ドンと、強い気配が、俺達を圧倒する。
『一度血塗られた炎の紋章を…邪なきものに。私とフォルセティは、それを見守ります』
アクィーラは、また目を閉じた。

 「わたし、もう大丈夫」
ユリアが、いった。アクィーラが空をかけてゆく軌跡は、もう見えない。
「いろいろな声が、聞こえてくる。言葉にならないけれど、ちゃんと話し掛けてくる」
「だろ」
「アーサー、」
「ん?」
「…なんでもない」
ユリアは、花冠を頭からはずして、その香りを、朝の空気と一緒に胸一杯に吸った。

をはり。

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