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内緒(になってない)話


少女たちが、他愛なくおしゃべりをしている。

 発端は、珍しくパティが髪をシニヨンに結っていたことだった。
「…どしたの、パティ、そんな髪型して」
と尋ねられると、
「新しい服が欲しいっていうから、ナンナと一緒に買い物に行ったの」
パティは、トレードマークの帽子が頭の上にないのが少し気になるのか、てっぺんを手で押さえながら言う。
「そしたら、服屋のお姐さんが、パティみたいな綺麗な髪を編み下げひとつのままはもったいないって、結ってくれたのよね」
ナンナがそう言う。パティが頷いて
「でもなんか、やったことない髪型だから、首の辺りがすうすうする…」
「いつもの髪型に直したらいいじゃない」
ラクチェが言うと、パティはぷるぷる、と首を振った。
「最初はそう思ったんだけどね…ナンナが、『シャナンさまに見せるまでそのままでいたら?』なんていうから、つい」
「あらあら」
女の子たちの間でくすくす、と笑い声が漏れた。ラクチェだけが複雑な顔をして
「ご馳走様」
と言う。
 さて。隣のナンナが、ふと、パティのうなじを見た。
「あらパティ、ケガしてたの?」
「ケガ?そんなのしてないよ」
「でも、ここにあざみたいなのが」
と、ナンナが触れると
「ひゃ」
と声を上げた。
「止めてナンナ?そこくすぐったいの?」
「あ、ごめんなさい」
ナンナが手を引っ込めて、
「でも、ケガじゃなかったら、何?」
と尋ねる。パティは触られたところをいたわるように手のひらで押さえながら
「オードのみしるし」
といった。ラクチェが
「信じられないけど遠縁なのよねぇ…幸か不幸か」
と呟いた。それをパティが聞きとがめて
「ラクチェだって、持ってるでしょ、オードとネールのみしるし」
「も、持ってるわよ」
無意識に、ラクチェがわき腹を押さえた。そして
「みんな、親に聖戦士の血を持ってる人は、そうなんじゃないの?」
と言う。どう?と話を振られて、少女たちは
「確かにそうねぇ」
ささめきあう。
「でも普段、服や髪で隠れちゃう部分だから、余り意識したことないかも」
「男の人たちは、見える場所にあったり、見えないところにあっても教練で服脱いだりなんてしょっちゅうだから、意外とあっても普通に思えるわよね」
「うんうん」
そう言う周りの声に、パティはなんとなく目じりを染めて、
「でもこのオードのみしるしは、少し目立つから、困るんだ」
「どうして?」
「シャナン様にくすぐられるの」
髪を上げでもしないとわからないような場所をくすぐられるなんて。少女たちははた、として、それから少しにんまり、という顔をした。
「くすぐったいだけじゃすまないんじゃないですか?」
と、空気のようにそこにいたユリアが言った。ユリアの額にも、ぽちりと、ほくろにしては形の整いすぎた何かの跡がある。パティが八つ当たるように
「ユリアはどうなの? その額はみしるし?」
そう尋ねると
「違うと思います。ここは触られても平気です。
 でも」
そのあとユリアはぽ、と頬を染めて、
「どうも私のご先祖の誰かが、ファラの血をお持ちだったみたいで、その…おへその下のほうに、ファラのみしるしが…それは…触られたら…」
ともじもじ言った。部屋(有事には会議室になるだだっ広い部屋である)のはるかあっちのほうで、誰かががったーん、と転げ落ちる音がした。
「わっかりやす?」
ちょうどそれが見えるところにいたフィーが言った。そのフィーに、ユリアが、
「フィーには、フォルセティのみしるしはどこに出ているのですか?」
と尋ねると、さっきの物音の方から
「フィー、誘導尋問に乗るんじゃないぞ、出自を忘れるな!」
とセティの声がした。パティが
「なんか、お兄様あわててるみたいだけど?」
という。フィーはうーん、と唸りながらくい、と座っている脚を組みなおして、
「場所が悪くて、ちょっと話しにくいからね…」
といった。
「聞きたいなぁ、その場所」
パティがにんまりした。もちろん、聞きたそうな女の子は全員そんな顔だ。フィーは
「あんまり、よそで言わないでね」
と声を潜めてから
「…内腿」
といった。女の子たちがきゃあ、と声を上げる。
「それは…そこまで見せるような人がいない限り、見せられないわねぇ」
「まあ…ね」
見たことがある人物がそこにいたら、確実に、さっきの物音と同じ反応をしただろう。もしくは、さりげなく「あるねぇ」と茶々を入れて通り過ぎるか。

 女の子の頭が、総じてくうっと低くなる。内緒話モードだ。するとラクチェが
「あ、ティニーの谷間に何か見える」
と、そこを指す。しかしその声は全然内緒話向きではなく、はるか向こうのほうで、再びがったーんと音がする。
「お兄ちゃん…」
ティニーは服の胸元をぺた、と手で押さえて、
「トードさまのみしるしです」
と、目じりを染めた。
「みしるしはアーサーとおそろいだから、ファラのみしるしもどこかにあるんだよね」
そうフィーが言うと、
「ありますけど…これ以上は服を脱がないと見せられません」
「何もここで脱げっていってるわけじゃなし」
「腰の背中側、ちょっとお尻より」
ラナがにっこり言った。また、がったーん。
「セティ様、だいぶダメージを受けてらっしゃるような…」
「なんでラナ知ってるのぉ?」
「だって、お湯使うとき見えちゃうもの。
 ラクチェは、左のわき腹にネール様、右の胸の下にオード様」
がったーん。物音はしたが、スカサハが無反応なのは、ナインペタンな幼少時から見知っているので、特に珍しい話でないからである。だからこの音は、ヨハルヴァのものだ。
 こうなると、内緒話でもなんでもない。ラナは至って平然と
「パティのウル様のみしるしは、右の胸の外側」
「ラナ…よく観察してるわね…」
「ええ、ライブをかけたりするときについ見えたりもするし。戦場の中では話題にできないほど忙しいので、あえて何も言わなかっただけです。
 みしるしは、私たちがゆかりの聖戦士様のご加護を受けている証明ですから、隠したり恥ずかしがったりはいけません」
ラナは至極あっさりといい、
「ああそう、私のことを言わないと不公平なので自己申告しますが、ウル様のみしるしが左の胸の下にあります」
がったーん。
『…セリス様?』
みなが一斉に、その音の方を見た。本当に、わかりやすいヤロー共で結構なことである。
「でも一番おきれいなのは、アルテナ様かしら」
最後にラナがうっとり言った。
「まるで、紅をさしたように真っ赤に、胸元にノヴァ様のみしるしがあるの。私たちみたいにぼんやりしてなくて、ほんとに綺麗」

 「…知らなかった」
リーフが、女の子たちの会話とヤロー共の反応をかわるがわる見ながら言った。
「姉上の聖痕、そんなところにあるんだ」
「ご存知ありませんでしたか」
とフィンが言う。
「お前が知っているというのも、なんか問題ありそうな気がするけどな」
「お世話している間に見えてしまったのですよ、不可抗力です。
 エスリン様から継がれられたバルドの聖痕の場所はさすがに失念しましたが…」
「三つまでは世話してたんだし、そこは仕方ないか」
「聖痕って、そんなぼんやりしてるのか?」
とアレスが言う。脇のデルムッドが自分の腕にあるヘズルの印を見て、
「僕は、こんな感じです」
と見せる。確かにそれは輪郭がはっきりしていなくて、失敗した刺青みたいに見える。
「俺は背中にあるから見えない」
アレスが言う。
「アレス様の聖痕は、輪郭がはっきりしておりますよ」
「ああ、叔父貴に斬られたときに見えたんだな」
アレスには、ダーナを出奔する勢いで解放軍に立ち向かったとき、魔剣をかわされた上に、フィンに背中を斬られたという、ほろ苦い過去があった。
「その節は申し訳ありません」
「なになに」
聖痕といえば…アレスは少し考えて、
「リーンにあるのは、ありゃ刺青か?」
と尋ねる。リーンは首をこくん、とかしげて
「違うわよ」
と答える。
「コープルと同じ模様のことでしょ」
「ん、まあ、そうだな」
「私のは、デルムッドみたいにぼんやりしてないわ」
「となると」
と、フィンが言った。
「ご両親は偶然、同じご血統だった、ということかな」
「そうなんですか」
「神器を継承したのがたまたまコープルだっただけで、君がもしシスターか、杖を使えるなにかしらの能力があったら、神器は君の手にあったかも知れないね」
「私は、ご神器なんてたいそうなものは、いらないです。なくしたりしたら怖いもの」
リーンが肩をすくめた。その間にも、リーフがうーん、と唸っている。
「どうしたのリーフ様」
リーンが尋ねる。
「いや、ナンナのね、聖痕…背中にあるんだ。あれも、ぼんやりしてるのは、血統だけ持っているって考えていいのかなって」
リーフがそう言うと、フィンは、娘が何か大人びた服を着たときに見でもしたのだろう、という顔で
「その通りですよ」
いやにあっさりそれに答えた。

 女の子たちの会話は、まだ続いている。
「まあ、普段なら、くすぐったいですむんだけど」
とパティが言った。
「くすぐったいじゃすまない時が、あるんだよね…」
「…あるねぇ」
ラクチェも、遠い目をした。
「みしるしの真上に剣を刺されるの、あれはものすごく痛かった」
まだラクチェがヨハルヴァと付き合いだしたことを公言していなかった頃、彼に着いた悪い虫呼ばわりされ、一度刺された過去があるのだ。
「その話、聞いた…みしるしに剣が刺さるなんて、考えただけでもひっくり返りそう」
珍しくパティがそれに同情する。
「みしるしって、なんか、こう…敏感なんだよね。
 寒いのも、お湯が熱いのも、手足より先に気がつくの」
女の子たちが一斉にうんうん、と頷く。
 そこでユリアが
「敏感というか…かわいいかわいいってされたらどうにでもしてって感じになっちゃいますね」
どんがらがっしゃんがらがらどてどて。心当たりのあるヤロー共がはるか向こうで埃を上げた。
「ユリアぁ、そう露骨に言っちゃだめよ…確かにそうだけどさぁ…」
フィーがたしなめ顔に言う。
「折角男たちに聞こえないように離れて話してるのに」
「でも、本当ですもの」
どたっ
「あーあ、アーサー再起不能っぽいわ」
「でも、その気持ちわかります…」
ティニーは、小声で言った。
「服の上から撫でられても、気分しだいでは…そんなときも…」
「やだ、お兄ちゃんたら、ティニーのお尻撫でるの? 不純だ?」
「お尻じゃないです…確かに場所はすぐ近くですけど…」
「ふぅん。どの道アーサーが聞いたら、血の雨ふりそうな話だわ」
「そういえば」
と、ラナが振り向く。
「ナンナは、背中にあったわね、ヘズル様のみしるし」
「え、ええ」
「結構わかりやすいよね、背中が開くようなおめかしした格好だと、すぐ見えるし」
そういう言葉に、ユリアが追い打つように
「やっぱり、敏感ですか?」
どんがらがっしゃん。それまでとはまったく違う方向から、二人分の物音。
「え、あ…」
「わ、わかんないよねぇ、だって、まだ、そんな、ユリアのいうかわいいかわいいなことされてないんでしょ?」
あはは、と、引きつった笑いをされるが、ナンナはぼっと、とてもわかりやすく紅潮し、
「どうにでもしてっていうユリアの気持ち、今はちょっと分かるの…
 もともと、背中くすぐったがりなのは自分でもわかってたけど…それって、いいなおしたら、敏感ってことだものね…」
とぼそぼそ呟いた。女の子たちは、ナンナの意外な大胆さに感嘆の声を上げ、倒れたままの二人を、なんとなくかわいそうな顔で見る。
「…くすぐったいって、罪だよね。ご先祖様はどんなつもりで、みしるしにそんな仕掛けをしたんだろう…しかも女の子だけに」
パティがはぁ、とため息をついた。心当たりのある女の子一同は、うんうん、と、それに頷いた。

 「叔父貴、リーフ、正気か?」
デルムッドと二人、やっとこさと座り直らせる。そしてアレスが
「しかしユリアの奴…空気読めないというか、天然というか…」
と呟いた。
「似た人を私は知っている気がします」
フィンが言う。あの有無を言わさない、そしてつかみ所もない天然具合には、なんとなくデジャヴュを感じる。
「しかし、何故二人でこける?」
アレスがさらに、二人に向かって言う。その顔はにか、として、その中身を知りたそうな顔だ。
「ぼ、僕は前に、ナンナの背中をくすぐってたのをしょっちゅうフィンに怒られてたからね。彼女、背中くすぐったがりなんだ、それを敏感なんて言葉で言われたら、ちょっと」
「当たり前です、ラナの言うとおり、聖痕はありがたいものなのですから、手荒に扱ってはいけません」
「しかし、それでは叔父貴までこけた理由にならないぞ」
「リーフ様が理由は全部仰ってくださいました、そのとおりですよ」
「本当にそれだけか?
 いつか俺相手にはぐらかした『小鹿の味』もからんでるんじゃないのか?」
ちなみに、ヤロー共の間では、彼女との間のきわどいことを話すとき、その彼女の様子をまとめて「羊の味」と言ったりするらしい。それをあえて「小鹿の味」と、ほかの動物に差し替えてアレスが言うのは、この義理の叔父と実の叔母とのプライベートな事情、ひいては、デルムッドやナンナが生まれるような状況の詳細のことを揶揄しつつ比喩していることになる。
「お尋ねの件については黙秘権を行使します。
 ただ、あの方とナンナの聖痕が、寸分たがわぬ場所にあることについては、嘘は言いません」
「へえ、その辺はまるまる遺伝したのか」
「じゃあ、プリンセスも、背中くすぐったがりだったんだ」
「さあ…くすぐるなどという恐れ多いことをしたことがないので、なんとも」
「それじゃあ、やっぱり『小鹿の味』じゃないか」
アレスが混ぜ返すのに、フインはふい、とあさっての方を向いて
「ご想像にお任せします」
とだけ言う。
「小鹿の味?」
デルムッドとリーフが、怪訝な顔をする。アレスがしたり顔で、
「まあ、叔父貴専用の『羊の味』みたいなもんだ。
 ただ、さっきから漏れ聞く話と経験から推測するに、女性の聖痕はせ…」
べきっ
「い゛っ」
「アレス、しゃべりすぎ」
踊りで鍛えたリーンの足首が、アレスの延髄にきまった。しかしリーフにははた、と思い当たるフシがある。というか、最近できた。
「…」
「いかがされました、リーフ様」
引きつった苦笑いのままで、フィンが尋ねる。
「フィン」
「何でしょう」
「お前が話したくない『小鹿の味』、あれはなかなか美味しいな」
フィンはびしっと固まった。首を押さえながら、アレスは笑いをかみ殺している。
 デルムッドだけが、何のことだかさっぱり分からないという顔をしていて、
「知らないほうが、いいかもよ」
と、リーンに慰められていた。

 リーフの言葉は、彼が将来を考え始めたということと、いよいよ娘が遠ざかって行くという、嬉しくも悲しい現実の始まりなのだ。
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