その時だ。左右の一人が血相を変えて走りよってきた。
「陛下!」
「何ごとだ、病人がいるのだぞ」
「御無礼つかまつります。バーハラより遣いが参りました。イードにいらっしゃるユリウス皇子がにわかにご不例と」
「え?」
私達は揃って声をあげていた。
「なぜだ? 容態は?」
「は、マンフロイ殿と御会談の途中で、急に意識を失われたそうです」
「そうか、すぐに行く。
 司祭はおるか。ワープの用意を!」
「陛下、私も参ります」
立ち上がった私の背後で、イシュタルが居住まいをただした気配があった。
「お前はよい。そのからだ、今でもようよう立っているのだろう」
「そこをまげてお願いいたします。…ユリウス様を一目お見受けいたします」
振り返った私に、イシュタルは頭すら下げた。彼女に覚悟があるのなら、私にはもとより断る理由もない。

 イードは、マンフロイが常の居と定めている砂漠の小都市である。
 しかしその実は、砦の奇跡ののちしいたげられるようになったロプトの民が誰言い出すとなくすだくようになった彼等の「砦」だった。
 私は、それを逆手にとって、各地のロプト信者をイードに送った。都市より出ないことを条件にすべてを許した。それが、私に流れているロプトの血に対する敬意である、と思っていた。
 ユリウスは、彼等が神殿と呼ぶ城に身を寄せていると言う。
 マンフロイが絡んでいるだろうことはわかった。
 やつは、横たわっているユリウスの傍らに、不承不承、というように座り込んでいた。
 私達を見ると立ち上がった。そして、イシュタルの手前だったからであろう、
「…どこのあわてものが、陛下によけいなお気を遣わせましたかな」
と、慇懃無礼で機嫌のよく無さそうな声で言った。
「ユリウスは大丈夫なのか」
「取り乱されるとは、万乗の上に尊き陛下とは思えぬ御様子…
 なんのことはござらん、魔法の世界に足を踏み入れられ、かの世界より手痛い歓迎を受けただけのこと」
横たえられているユリウスは、白目をむいていた。
「ユリウスさま」
イシュタルが駆け寄り、あたためるようにその手を握りしめた。
「イシュタル参りました。ユリウス様?」
マンフロイは聞こえないように舌打ちをする。明らかに、イシュタルが邪魔のようだった。
「イシュタル、もうよい」
私は、彼女を、いためぬようにユリウスから離した。
「マンフロイの言葉を聞いただろう。魔導士にはあることだ。…ユリウスは死なぬ。
 フリージに…いや、アルスターが近いな。戻って、休みなさい」
「…はい」
イシュタルは、離れがたそうだった。だが、その方が、今の彼女のためだ。これから私達が話すことは、彼女には聞かせるべきではない。

 「ユリウスの、実のところはどうなのだ」
イシュタルが去ってから、私はもう一度聞いた。
「中々頑丈な心よ。自らの理性で、目覚めかけたロプトウスを鎮めよった」
マンフロイがいまいましそうに言った。
「当たり前だ。そう簡単にユリウスをロプトウスにくれられるか」
「ふん」
やつは鼻を一つならした。
「ともかく、器は十分な大きさになった。あとは殿下の深層に眠っているロプトウスを目覚めさせるだけなのだ」
「目覚めさせてなんとする」
「足掻いても無駄よ、皇帝」
私のつぶやきに、マンフロイは敏感に反応した。
「殿下が暗黒神のうつわである、その事実は変えようがない。絶やすことなどできぬ。
 今まで待った。迫害に耐えて待ち続けたわれらのためにも、ロプトウスは復活せねばならぬ」
それが、ロプトの血を持ちうまれたものの使命であることを、いつまに忘れたのか。マンフロイはそう言って、私を責めたいようだった。
「ロプトの血といっても、それは…」
「…マイラの血とて、ロプトに繋がることに変わりはない。
 いやむしろ、かつてその血を厭うて血に造反した報いだ。先祖の罪はこの際子孫があがなうべきよ」
「…なぜ、ユリウスがその運命を背負わねばならぬ。ロプトの血同士の交わりは、他になかったのか」
「皇帝、お前ゆえに御主が子の運命は違えられたのだぞ? 自らより他に、何を責める。
 母と自らの不貞に手を当ててゆく考えよ」
マンフロイはしまいに、淫靡な笑みを浮かべた。

 その頃、一つの訃報が、私の元には届いていた。
 だがそれは、今語ることではない。

 ユリウスは、数日高熱にうかされた。が、それが過ぎればケロリとしたものだった。
 私はユリウスに、イシュタルの事を説明した。少々叱りもした。
「誓ったのだろう、ユリウス? 病のイシュタルに何の気遣いもなしと言うのは、その誓いに反するぞ」
ユリウスは、それ以前とさして変わりはなかった。顔を伏せがちにして、マンフロイとの魔法談義が面白くて、何も耳目に入らなかった、そんなことを言った。
「イシュタルはどうしていますか?」
「アルスターにいるはずだ。もう少ししたら、行って気づかってやるがいい」
「はい…もうしわけありませんでした」
ユリウスは、投げ出された手を弄んだ。
「私はバーハラに帰るが、無理はするな。またおかしくなるようだったらすぐに帰ってこい」
「はい」
その時、部屋に、マンフロイの側近らしきマージが入ってきた。ユリウスに厳かに言う。
「マンフロイ大司教がお呼びです」
「呼ぶ、だと? 自分が来いと言え」
私はつい言っていた。しかしユリウスは
「いえ、マンフロイは僕の魔法の師、これでいいのです」
そう言って、立ち上がった。足下はまだおぼつかない。私は無意識に、その肩を支えていた。
「…父上」
「ん?」
「僕にはまだ、ファラのしるしはでないのでしょうか」
瞬間、私は、心臓を掴まれたような気がした。
「僕は、グランベル皇子である以前に父上のこです。母上やユリアにはナーガの血、イシュタルにはトードの血。それと同じように、僕が、父上のファラの血を受け継がなくてはならないと、思っています」
「…しるしは…」
私は、少しく乾いて震えた声で言った。
「お前程の年ではまだでない場合もある」
「ファラの血が僕を認めてくれた時に、僕はイシュタルに正式に求婚しようと思っています…それまでは…知識を増やし…見聞を広め…」
「そうか」
私は、ユリウスの肩を支えたまま、自分の過去のあまりの愚かしさを内心笑っていた。このユリウスから、ファラフレイムを奪ったのは、ほかならぬ、私だ。
「時間の問題であろう。マンフロイは、いつ出てもおかしくはない程、お前は立派になったと言った。
帰ったら、お前の立太子の準備を急ごう」
「本当ですか?」
そこで初めて、ユリウスは私に顔をあげた。私はその顔に、またどきりと冷や汗をにじませる。
「マンフロイの元に急ぎなさい。師なら、待たせるのは失礼だ」
「はい」
ユリウスは、力を戻した足取りで、部屋を出ていった。

 しかしユリウス、お前には、まだ見えていないのだろう。
 その額にある、血のように紅い、そのしるしを。

 降臨前夜  をはり。

<コメント>
ゆかこさん、13579カウントおめでとうございます。
そしてごめんなさい…12魔将出せませんでしたっ(平伏)
イシュタルもなんか中途半端におわってしまいました。猛省してます。
こんなのでよかったらどうぞお楽しみの程を。
いい勉強になります、これからもよしなに。

20000115 清原因香

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