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桜桃狂騒曲
?さくらんぼぱにっく?


 果物はやはり、旬のものを生で食べるのが一番。
 ラーナ王妃はどうもそういうことをお考えの方のようで、緑の鮮やかな季節に、フュリーにこんなものを持たせてきた。
「わぁ、なにこれなにこれ」
真っ先に飛びつくのはやっぱりシルヴィア。フュリーはそれに
「今年最初に取れた桜桃です」
と答え、つやつやとした実を、いかにも今取れましたといわんばかりにかごいっぱいに入れている。
「でも、さくらんぼにしては、ずいぶん色が薄いね」
と、一緒に覗き込むティルテュが言う。
「うん、小さいし」
「品種が違うのだと思います。私、あまり詳しくはないのですけど…」
いくつかの皿に取り分けられ、「皆さんどうぞ」と渡されて、朝の食堂兼談話室はにわかに出現したデザートに沸き返る。

 今まで見てきたさくらんぼは、実も大振りで、色も果肉まで真っ赤だ。しかし、彼女らの前にあるさくらんぼは、その赤みも薄く、果肉はりんごのように黄色い。
「少しすっぱいけど、甘くておいしいよ」
シルヴィの言葉に、みんなどれどれと手を出す。
「ほんと、甘酸っぱくて、これはこれでおいしいわ」
「いくつでも入りそう」
女性陣にはおおむね好評である。ぽいぽい、と一気に二三粒口に入れて、シルヴィアは、隣で笛のチューニングをしているレヴィンに
「食べないの? お母さんの差し入れだよ?」
と言う。しかしレヴィンはまったく興味なさそうに
「それ、すぐ悪くなるから、季節になると飽きるまで食べさせられた。
 だから、いらない」
そういって、またチューニングに戻ってしまう。
「じゃ私、レヴィンの分も食べちゃお」
と、彼女がまた手を伸ばしたとき、
「シルヴィ、できる?」
ティルテュが近づいてきた。
「何が?」
「これ」
と、ティルテュが手にしているのは、くるりとひねって輪にされたさくらんぼの茎。
「あー、やったことある」
シルヴィはおもむろに茎を一本口の中に入れて、ふにふに、ふにふに、といくばくか。
「できた!」
と、輪にされた茎をぺ、と舌の上に乗せて見せた。
「シルヴィやっぱり器用だねぇ」
「役に立たないところばっかり器用だな」
後ろでレヴィンが茶々を入れるのを黙殺して、シルヴィは「えへへ」と笑った。

 「懐かしい味だな」
と、ひとつ口にしてアイラはしんみりと言った。
「イザークで桜桃といったらこれをさすから…まさかここで食べられるとは思わなかった」
「まあ、思い出の味だったとは光栄ですわ」
とフュリーが答える。
「シレジアの御用農場では、各国の果樹も集まっていますから、もしかしたらこれからも、懐かしい味をお出しできるかも知れませんね」
「いたみいる」
というアイラの横で、シャナンが口いっぱいにしているのを見咎めて、
「そんなに口に入れたら味がわからないだろう、数はあるのだから急ぐな」
そういった。そこで
「懐かしいさくらんぼだなぁ」
と声がかかる。その声にフュリーはとっさに立ち上がって一礼をした。
「挨拶はいいから座って」
の言葉に、フュリーはまた座る。何かしら、話をしていたのだろう、シグルドとキュアン夫妻は、皿に盛り上がるほどのさくらんぼを前にして
「懐かしくないか? シグルド」
とキュアンが言う。シグルドは、まだ何か考え事でもしているのか、
「うむ」
それだけ言った。
「この品種をご存知なのですか」
「士官学校のころ、同期にイザーク生まれがいて、季節になると分けてくれてたんだ。
 まだできるかな」
キュアンはうれしそうにひとつ口の中に放り込み、むにむに、むにむに、としていたが
「だめだ、カンが取り戻せない」
といって、曲がった茎と種を出した。
「カン?」
隣になったアイラと話し込んでいたエスリンが、ついその言葉を聞きとがめる。
「ああ、昔は、このさくらんぼの茎を、口の中でどれだけ早く輪にできるか競争したもんだが、もう数年もやってないとカンも鈍るらしい」
「こんな短いのを輪に?」
エスリンは、実だけをもぎった後の茎をつまみ上げた。
「早くできるのに意味があるの?」
との、妻の素朴な問いに、キュアンは少し遠い目をして
「とにかく、若いうちは何でも競争したがるもんなんだ」
そう答え、
「ためすかい?」
と妻を促した。エスリンは茎を口に入れ、ふにふに、とはじめる。
「でも、ちょっとこれ、難しく、ない?」
「難しいから競争になるんじゃないか」
エスリンは、しばらくはふにふにとしていたが、
「無理よぉ、舌がひりひりしてきた」
と茎をだした。キュアンはくく、と笑って
「まあ、できなくてもまったく普段には意味がないからね」
そういって、シグルドにも
「お前も試すか?」
と茎付きをひとつ渡そうとすると、シグルドは口を動かしながら、皿の上をさした。
「まあ」
「おや」
「…」
すでに二三本、丸くなった茎を見て、キュアンは
「早結びの帝王いまだ健在か」
ははは、と笑った、

 「すごぉい、シグルド様全部茎結んでる」
ティルテュが遠目からその様子をみてため息をつくように言った。
「僕の何期か前にすごい早いのがいたって聞いたけど、シグルド様のことだったんだ」
アゼルも嘆息した。
「アゼルはできる?」
「無理無理」
「そう簡単に言うのもなんじゃない? 努力が足りないのよ努力が」
「ティルテュ、いくら君ができるからって、そういいきられてもねぇ」
「そうか、だからアゼルは下手なんだ」
ティルテュはくすっと笑った。アゼルが、その「下手」の内容を聞こうとしたとき、
「できたぁぁ」
とレックスが、今にもはじけそうなものではあったが、結んだ輪を取り出した。
「ほーら、初挑戦のレックスだって、やってできなくないんだから、アゼルも、経験経験」
ティルテュが、ひとつ唇に挟んでにゅうっと近づいてくるのを、
「ちょ、まっ…」
アゼルは肩を抑えて抵抗する。
「そんなことしなくっても、自分で食べるよっ」
「ん、もう、つまんなぁい」
唇に挟んだ分をひょいと舌で口の中に手繰りこんで、ティルテュはいとも残念そうに食べた。
「まあ、仲良くしてるとこ水さしてすまんが」
二本目の茎に挑戦しながらレックスが尋ねる。
「できないと、何が下手なわけ?」
「あー…」
ティルテュはしばらく考えて、
「多分女の子の間のね、迷信みたいなものかもしれないけど…
 舌の動きが悪いってことで、キスが下手っていうことらしいんだ」
「へぇぇ」
レックスは一応納得したような声を上げて、
「でも、生活の中で舌の器用さが問われるようなほどには普通しないだろ」
しゃべるほうに専念するのか、ねじれた茎をぷいっと出した。
「それはほら、乙女の夢ってものじゃない、いざって時に」
「いざって時に『舌が器用か試させてください』もそうとうなんだ、間抜けじゃないか?」
「い゛ーっっ やっぱり僕には無理っ」
二人が話している間、むにむにうにうに試行錯誤を試みていたアゼルが、ついにじれたように音をあげた。
「むしろ世の中、こういうのが大勢だと思うが」
「そうだよねぇ」

 「いざ使えることもあるだろうと、練習はしたが」
シグルドが、だされてきた茶をいっぱいすすりながら
「相手がいないんじゃ、変に器用なところで全然役に立たない」
しんみりを通り越してじっとりと言った。
「そりゃまあ、そうだがなぁ」
士官学校で、「早結びの帝王」の名をほしいままにしておきながら、彼本人には浮いた話ひとつもなかったのを知っているだけに、「生傷をえぐってしまった」というような顔をキュアンはする。
「雪も解けて出歩きやすくなっんだ、少しはなにか新しい話も来るだろうさ、な」
「うむ」
シグルドは、またさくらんぼを口に入れ、ほとんど無意識に茎を輪にしながら食べていた。

 「お姉様、ほら、後もう少し」
エーディンが、珍しくきゃいきゃいと高い声を上げている。目の前には、ねじれたり曲がったりした茎が何本も並んで、だんだん輪に近くなっている。
 もう何本目か、ブリギッドは茎結びに挑戦していた。
「しかしまあ、飽きもせず」
と、ジャムカが溜め息をつく。
「できて何か意味があるのか?」
「うるひゃいひょこの」
うるさいそこの、とブリギッドは一喝して、まだふにふにうにうにやっている。視線が宙にさまよっているのは、口の中で茎がどういう形になっているのかを想像しているのだろう。
「ん、もひゅこひ」
そう言ってしばらく黙りこんだあと、
「できたぁ!」
ほら見ろといわんばかりに、輪を出した。
「…これで、少し器用になったかな」
その後、実を食べながら、ブリギッドは意味深に言う。
「さあ、何度か練習して、確実にご自分の物になされたらどうかはわかりませんけれども、だいたい、お姉様が器用になられたか、私は確認できませんから」
「むー」
エーディンに混ぜ返されて、ブリギッドはしばし考え込んで、また茎を口の中に入れる。
「こんどはもっとはやくひゅくってやる」
「飽きない上に負けず嫌いだから…」
「むーむぐむぐ」
「黙ってて欲しいようですわ」
ジャムカのあきれ返った声に、エーディンが静かにするよう唇に指を当てる。
 むぐむぐとやっているブリギッドの肩を、隣でぽん、と叩く者があった。
「むぐ」
ブリギットは一度それを手で払う。しかし、ぽんぽん、と、再び促されるように肩を叩かれ、
「ひゃまするなって」
と言う声が突然静まった。
「ま」
「!」
思わずエーディンが声を上げ、ジャムカも眉を上げる。
「努力の程はかう」
そうホリンに言われたブリギッドの唇には、既に輪になった茎がくわえられていた。
「お前ってヤツは…」
普段存在がないほど無口なのに変な所で器用なんだからっ ブリギッドはよっぽどそう言って暴れてやりたかったが、その茎の見事な結び具合には、観念するよりなかった。
「なんだな、この茎結びは…」
顛末をみて、ジャムカがやれやれと言いたそうに
「見えない所の力関係がよくわかる遊びだな」
と言った。
「ええ、ほんとに」
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