back

アゲハ蝶
?そして君を探しに行く・拾遺(feat.ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」)?


「こんな砂漠に…蝶か」
空の青と、砂の黄色の中で、その色彩は実に鮮やかだった。
砂漠の真ん中に、一匹のアゲハ蝶。まともな神経なら、それは幻だと、はっきり認めることもできただろう。しかし、そのときの私には、その光景を非現実として、目を覚まそうとすることも忘れていた。
「水が近いのか…ありがたい」
最後に、人のいる町に立ち寄ってから、かなりの時間がたっていたと思われる。次のオアシスの町までは、数日の旅程だと聞いていたが、私の感覚がまだしっかりしているならば、半月以上、私と愛馬は広大な砂の中を、時化に遭った小船よろしく、漂っていることになる。
ここが、砂漠のどのぐらいの深度なのかも、わからなくなっていた。隊商が使う道なき道の目印になるのは、はるか昔に倒れたラクダの骨。その道しるべも、私の前から消えて久しい。
そんな中でアゲハ蝶が一羽、私の視界の先に鮮やかに舞っている。それを捕らえようと手を伸ばすと、蝶は、それだけ私から離れてゆく。
「待ってくれ…私を…見捨てないでくれ…」
この際、幻でも構わなかった。私は、愛馬の手綱を引きながら、蝶に導かれるまま、歩いていた。

救われるということは、こういうことなのだろうか。私の歩く砂に、暑さに耐える草が見え、地中深くの水源を得て立つ木がみえはじめ…気がつけばオアシスの町にたどり着いていた。たまらずその町の中に走りこんだとき、蝶は、もうどこにもいなかった。
泉で、馬に水を与え、自身も潤している間に、もしかしたらあの蝶は、かつて砂漠で命を落としたものの魂なのかもしれないと、思うようになっていた。砂漠で行き倒れかけていた私を、自分と同じ道を歩まないように、ここの道を示していたのかもしれない。そういう話は、砂漠の町の古老から、たくさん聞いた。
その名も知らない魂に、感謝をしようと思った。しかし、蝶はいない。
草むらの中に、ひっそりと咲いた名も知らない花と戯れる蝶は何匹かあったが、私が見た、黒に色彩の鮮やかな、妖艶にも見えるあのアゲハ蝶は、どこにもいなかった。
人心地がつくうちに、私は不安になっていた。
あの蝶が、砂漠の中に倒れた魂だとしたら…私が探しているあの御魂も、今は蝶となり、すでにどこへかと飛び立ってしまったのではないのかと。
オアシスに座り、指を折って、その時間を数えてみた。十有余年…そして三年。イードの死の砂は、もう若いといえなくなってしまった私をあざ笑うように、立ちはだかる。
若い日々、たまさかに私の前にあらわれ、そして私に未来を託し離れていった人。その面影は、私の中で、あのアゲハ蝶の羽のように鮮やかに、繰り返し思い起こされてくる。
砦に下された魔剣の聖者ヘズルの裔、その枝葉の中、滴るほどの紅に咲いた花。
わが王女、貴女はこの砂漠の、どの空の下においでになりましょうや。

町は、異常なまでに静かだった。その規模からして、砂漠の隊商ならばほぼ確実に立ち寄るだろう大きさであるのに、私のほかには人間らしい姿は影も形もない。水が枯れ、見捨てられた都市もあるとは聞いていたが、泉には十分すぎる水があり、そうとも考えられなかった。
日が落ち、砂漠が冷やされるにつれ、寒さが襲ってくる。町の中、もっとも大きい建物にめぼしをつけて、私は宿をとることにした。

わずかな夕食をとり、カンテラの明かりがぼんやりと、空間を照らすのを眺めていた。
礼拝堂だったのかもしれない。光は奥まで届かないが、光で見える限りの中の意匠は、町が栄えていれば、きっと町の人々の心のよりどころとしてにぎわっただろう。
私は、カンテラを手に取り、その礼拝堂の中をもっと眺めようと思った。左右を見めぐらしたとき、カンテラの光の先が、石の構造物を捕らえた。光を高く掲げ、その姿を見ようとし、わたしはぎょっと、その場に立ち尽くした。

長いことなくしたと思っていたものが、心構えもなく突如としてみつかり、唖然とすることがある。その瞬間の私が、まさにそんな様子だったろう。砂漠の中を、何の手がかりもなく、見つかるあてもまったくなかったはずのかの王女が、突如私の目の前においでになる。
「…」
イード神殿で行われていた異端の輩の所業を、知らないわけではなかった。神殿では、世に言う「バーハラの悲劇」にかかわった人物を、暗黒魔法で石化させ、保管していたと聞く。そのときのわたしには、それを確認するすべも余裕もなかった。もし、雑念を反芻する時間が私にあったとして、かの王女が、暗黒魔法による凶事に遭われていようとは、はたして想像しえたであろうか。
しかし現に、私の前にかの王女はおいでになる。私は、このときだけ、まがまがしい魔法の威力に感謝すらしそうになっていた。封じられた時間の流れは、私の記憶の中そのままのあでやかなお姿を、石のうちに閉じ込めていた。

 暗黒魔法の凶事に遭ったとは到底思いえない、落ち着いた、今眠られたかと思えるほどのあえかな表情で、石造りの祭壇の王女は止まった時を刻んでおられる。
もし、私が旅の疲労にまとわれていなければ、目の前の真実に、もっと冷静に立ち回ったかもしれない。しかし、疲労と、衝撃と、ひとひらの煩悩が、私からその冷静な態度を奪っていた。
私は、祭壇のもとに諸膝をつき、ただ泣き崩れることしかできなかった。
三年の間、探し続けた甲斐がありました。
イード砂漠に、なくした主人の足跡を訪ねるためと、信じて私を見送ったものがほとんどの旅でした。これを知れば、私を忠節を装って自らの欲を推し進めた、愚かな男とそしられることもありましょう、しかし今の私は、そのそしりすべて耐え、許すことができような気がします。
願わくば、これが、砂漠の中で倒れ行く私に最後に見せられた、幻でなからんことを。
それだけを。

←よろしかったら拍手をどうぞ
next