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まにまにの記CGI

(2003/10)


[ おかげさまで ]
アクセスカウンターが20万ヒットを達成しました。
これも皆さんのおかげさまです。

アクセスカウンターというのは、存外に厄介なもので、楽しみでもあるのですがプレッシャーでもあります。
管理人としては、カウンターの周り具合=注目度=読まれている度というふうに解釈しますので、更新した時に周りが良かったりすると嬉しいものでした。
そんなわけでつい先日までは、前日のアクセスと当日のアクセスも一緒に入れたりしていたのですが、
脳みそ病みで更新できないでいると、ゆっくりゆっくり一日分のカウンターの数字が小さくなってくる(一日のアクセスが減っている)のに堪えられず、
とうとう外してしまいました。
カウンターの周りをよくするために、いろいろ努力する方もあるでしょうが、
私はカウンターを気にする割にはそういう努力をしない人間なので(苦笑
努力するといえば、このままサイトを維持し続けて行くことぐらいでしょうか。
高望みはしてません。一応。書いていられることだけでも十分幸せだし。
これからも、二次創作だけじゃなく、オリジナルのものも読んでもらって、「なんやようわからんけどおもろいな」と画面の前でゆってくれれば、
管理人としては冥利に尽きるというわけです。

カウンターの周りは遅くなりましたが、回っていることにかわりはありません。
本人がつなぐ以上回らないということは絶対ないのですが、本人以外つながなくなるその時まで、あかるくたのしくまにあっくにやっていきますのでよろしゅうに。

にしても、誰が20万取ったのかしら。
こっそりメールフォームででもおしえてくれませんか。
2003/10/31(Fri)


[ 奈良旅行に行くの巻・後編 ]
ちょっと長いですがしばらくお付き合いください(書き込みは30日)

二日目の奈良は、いよいよこの旅行のメインディシェであるところの定期観光バスツアー。
飛び入りで入れば一人7000円弱というツアーも、旦那の会社から出たクーポンのおかげで、別料金になった昼食代のみで、ちょっと得した気分です。
わからない方のために説明しますと、定期観光バスツアーというのは、見所をチョイスした一日分のガイドさんつきバスツアーが、毎日定時に運行されているという、観光地ならではのやさしさシステムです。見所を迷った人は、利用するといいかも。
我々のコースは、東大寺・春日大社・元興寺・法隆寺・薬師寺のコースで、ちょっと長め。
「観光シーズンだから、いっぱい人が参加しているのかな〜」
と思いきや、我々乗ったバスはガイドさん抜きで7人。夫婦orカップルが三組におじいちゃんがひとり。
最後のほうではガイドさんと世間話もできるほど、アットホームなツアーになりました。

しかし、今の奈良は、平日でも人が多い。休日はファミリーがマイカーをしたてて道路が込み、平日はツアーと修学旅行生でこれまた込み、という状態らしく、前日の曇り勝ちとは一転の、抜けたような青空の下、冬服の生徒さんたちは実に暑そうでした。近場の学校では秋の遠足コースにでもしているのか、写生などしている小学生もいたり。うむ、黄色い帽子が懐かしくもまぶしい。

では、立ち寄った場所の個別のことなど。

東大寺…中学校の修学旅行以来の東大寺でしたが、南大門といい大仏殿といい、あいかわらずでかい。遠くから見て、建物と人間のスケールのギャップに混乱し、近づけば一点透視図法で迫ってくる壮大さ。完全に遠近感覚が麻痺します、あれは。
今三代目というこの建物の初代が、これよりまだ一回り大きいという説明に、「大きいことはいいことだ、大きくしただけ国民救ってやってくれたまえ!」という、聖武帝の仏道道楽(マテ)のきわみを見た気がしました。
あ、大仏殿名物鼻の穴くぐり、旦那は見事に成功。出てきたところをデジカメでかしゃり。
(追記・東大寺の鹿は意地着ちゃないのが多かった気がします。服のかじり具合、前日比1.2倍。ズボンの上から腿に歯がたったりして、頼むからお前ら服をかむなと小一時間(略))

春日大社…寺の次は神社。日本の宗教観の懐の大きさというか、なんというか、「神さんは神さん、仏さんは仏さん、それでええやん」と言ったとか言わないとかの聖徳太子さん、アンタはエラかった。
ただ、山ひとつ神域なので、基本的に山道。ここは足腰に自信のない人や、おめかしした状態で来るとひどい目に遭うと思われます。ヒールのない、歩きやすい靴を一つ余計に持ってゆくぐらいしてもいいと思います。
巫女さんの頭に、ポンパドゥールのような藤のかんざしがついているのが妙に印象深かったのですが、藤もご神木のうちらしく、時期になれば建物の赤にいい具合に藤の青が映えそうだなーといらんことを考えながら参拝。
ガイドさんが、面白い木を案内してくれました。ナギ(竹柏という漢字でいいのかな)の木という木なのですが、見たところちゃんとした木なのに、なんとタケの仲間。
その証拠に、葉っぱが、サイズや形や厚みが榊っぽいのに、葉脈は見事にタケというかササというか、そんなかんじ。
虫がつきにくいところから浮気よけのお守りになるそうで、落ちている葉っぱ(はえているのは採ったらダメなんだそーです)を拾ってきました。さて、旦那の持ち物にどーやって忍び込ませよう。(笑

元興寺…ここは打って変わって街中の、周辺住民も一丸になって守り立てたような、印象はなんとなく、町の中のお寺さん。でも由緒はあるらしく、本道と別棟の展示室には、奈良時代につくられた五重塔の雛形(1/10スケール)が安置されていて、「はーよくできてるねー」と素通りしようとしたら、なんとそれが国宝。
奈良…国宝とか重文とか、何気ない場所にさりげなくおいてある、気の抜けない地帯。
街中なので駐車スペースが小さく、バスの運転手さん、路地からバックで縦列駐車風の侵入という大技を披露してくれまして、いい仕事見せてもらいました。

法隆寺…ここが一番長く、かつ歩きました。まともに見て歩くと一万歩歩くそうで、立派なウォーキングコースですな、こりゃ。時間にして一時間半という説明に、同行していたおじいちゃん、足腰がもたぬとここのみ離脱を宣言。夢殿の救世観音が見たかったようなのですが、あれコースの後半だったのですよね。致し方なかったけどもったいない。世界遺産に登録された都合上、バリアフリー化はかなりすすんでいて、段差はほぼスロープで覆われたりしていたので、車椅子の一台でもあれば、いっしょに見て回れたんじゃなかろかと、ふとそんなことを考えました。奈良交通さん、もし用意していても遠慮されたならそれとして、もし準備がなかったとしたら、荷物スペースに一台でもそういうときの車椅子等、ご一考のほどを。
とにかく秋の観光シーズンにあわせて、寺社も普段見せてないもののご開帳をしてくれるので、シーズンのツアーは気ぜわしいけどそれがいい。
夢殿の救世観音も、ちょうどご開帳中で、じつにお美しいお姿でした。眼福眼福。
眼福といえば、百済観音もとうとう永代安置ということで、新しく展示室が作られてました。歴史の教科書で見知ってはいたのですが、間近で見ると八頭身のスレンダーなスーパーモデルみたいな体のラインが実にきれい。やっぱ、本物に限るな。人多いけど。

薬師寺…ツアーの最後は、かなりおせおせの日程だったようです。
というのも、各寺社、午後五時には拝観が終わってしまう上に、入場制限はそれより早いからで、薬師寺についたのは、あともう半時間も遅かったら入れなかったというような時間でした。
ここでの見ものは、創建以来1200有余年、落雷や火災にも遭わずたち続けている東塔と、それをもとに昭和の終わりに再建された西塔です。
旦那の曰く「使用前(西)・使用後(東)」私曰く「料理番組の差し替えやね。『1000年たつと、このようになります』」。
で、私も西塔を楽しみにしていったのですが、その理由は一昔前までにさかのぼりまして、高校の歴史の授業での先生の、
「薬師寺の再建された西塔は、機会があれば一度見てみるといい。再建された鮮やかな色彩は、創建当時の人が見たものと同じであるから。昔の人間が今古寺めぐりをしても、こんな古い建物をよくありがたがるなと思うだろう」
という言葉がずっとのこっていたからで、当時の中国から製法の伝わった丹の赤、緑青の青と白壁。今まで見てきた寺院が、創建当時はすべてそういう色だったすると、リアルタイムの平城京は、まさに「あおによし」都だったのですよ。
さて、薬師寺には、最近見ものが一つ増えたので、拝観終了時間と戦いながら見てきました。インドまで経典を求め、その膨大な経典の漢訳をした玄奘三蔵法師の遺骨が分骨安置されたお堂と、その壁に書かれた平山郁夫画伯の障壁画です。
駆け足でしか見られなかったのが本当に残念。天井の、夜空を模した青が、ラピスラズリの粉を顔料にしたひと刷毛何万というやつで、「天井全体で億かな〜これは」と、世俗的なことを言いながら出てきたという、お粗末な次第でした。本買ったので、後でそれをゆっくりながめることにします。

心の洗濯にはいい旅行でしたが、流石に帰ってきたら、緊張が過ぎたのか、脳がくらくらしてます。久々のフル回転だったようです。
ニ三日は頭脳労働を控えめに、英気を養いたいと思います。
長文、お粗末さまでした。
2003/10/29(Wed)


[ 奈良旅行に行くの巻・前編 ]
現在、奈良の旅行先から接続しています。
「職場のレクリエーションのクーポン支給されるねんけど、どこがええ?」
と、旦那からリストを渡され、私が決めた行き先が奈良でした。
そういえば、観光目的で奈良なんて、中学校の修学旅行でいったきり(旦那のご友人には、奈良にお住まいの人もいるのですが)なのでした。
「奈良がいい、奈良に行こう。正倉院も開くぞ」
ということで、奈良に行くことが決定、本日、決行の運びとなりました。

難波の地下を歩いて歩いて近鉄難波駅から電車で一本、早ければ一時間弱。
をを、奈良って近かったんだ。
荷物をコインロッカーにあずけ、まずは一路興福寺。
この旅行のメインディッシュは翌日のバス観光。でも、その前に我々には行く場所がある。興福寺の五重塔は内部拝観許可になっているし、その近くの奈良国立博物館では、東大寺では外身しか拝めない正倉院の中身が拝める。ネットで得た情報は実に便利だ。
いそいそと、駅から興福寺に歩く間、人間らしくない四つ足が、三々五々くつろいでいるのに出会いました。
ほんの数メートル歩けば車がびゅんびゅんとおりまくる大通り。それなのに、歩道をはさんだ緑地帯には奈良名物の鹿が悠然と歩いたり草を食んだり鹿せんべいをねだったり。
「そうだ、奈良に来たからには鹿せんべいだろう!」
興福寺の中を見て回って、博物館への道々、鹿せんべいをひとつ購入。
この奈良の鹿というのは、天然記念物で、やたらに危害を加えるのが禁止されているという道々の看板
。今の季節は繁殖期で気が荒い可能性があるからむやみに近づくなと書いてあるのですが、むしろ彼らは必要以上にひとなつこく、鹿せんべいをみるとこちらが封を切るのも待たずにやってきます。
鹿せんべいは一律、10枚前後包まれて150円。鹿の保護団体の活動費になって、この売り上げ(と鹿せんべいそのもの)が、ここの鹿をまかなっているもののようです。
ところで、奈良の鹿は、人が鹿せんべいをくれることを知っています。鹿せんべいを買ったのを確認したとたん、老い若きもわらわらわらと寄ってきます。
中には、鹿せんべいの売り場(ところどころにテキヤのように存在する)や休憩用の御茶屋で、誰かが買ったところをすかさずねだろうと張り込む鹿もいたり。
もう角切りもおわってしまっていたわけですが、角が切られると喧嘩の甲斐もないとわかっているのでしょうか、オスは押しなべてしょんぼり、まだ角を切られない袋角のオス、そして子供とメスは元気でした。
さてその鹿せんべいは、大体手のひらにのる位のおおきさで、大きい鹿は一口で食べてしまうのですが、小鹿は一口では食べられず、地面に落ちたかけらをまたもぐもぐしているのがまた可愛い。
また、鹿によっては、お辞儀をするとお辞儀を返してくれる一芸を持ったのもいまして、「どーも、どーも」とやって一枚あげるのがまた楽しい。
ただ、それができるのは、多少年が行った鹿のようで、若い鹿はただ、鹿せんべいを持った人間を見つけて取り囲んで、すきあれば食べようとすることもあります。
「こっちにもくれてんか」
というように、服のすそをがしがしっと噛むのもいました。博物館に入る前と入った後で合計三個。若い鹿のおねだりでかじられた服は、なんとなくよだれでぺたぺた。
でも、おかげで和ませていただきました。鹿と戯れに行ったわけではないのですが、存分に鹿せんべいを堪能しました。
ただ、鹿はよく食べる鹿せんべいですが、人間は食べないほうがいいみたいです。ひとかけら食べてみたのですが、その印象は、「オールブラン」という、食物繊維の豊富なシリアルがあるでしょう、あれをもっと味気なくした感じで、甘みも塩気もないのです。鹿は果たして、アレはおいしいから食べているのだろうか。そんなことを考えつつ、宿に戻りました。

興福寺と博物館はどうだったかというのは…たいへん目の保養でしたということで、ひとつ。
ひょっとしたら、本当に鹿せんべいを楽しみにいったのかもしれないな、自分。
タイトルを変えましょうか、「奈良の鹿観察日記」と。(マテ
2003/10/28(Tue)


[ ゴ〜ルド ]
医者の帰りに免許証の更新にいってきました。
どうやら法律が改正されて、誕生日の前後一ヶ月という更新猶予期間になったようで、今になっても何の問題もなく更新できました。
しかも、今年からゴ〜ルド免許でございます。
そりゃ、大阪来て三年、ほとんど全く運転しなけりゃ、嫌でもゴ〜ルドになりますわな(苦笑

ところで、免許の写真って、数年はそのままで置かれるわけですから、その時だけで身なりって気になりますよね。
ところが私の場合、どんなに気をつけててもちゃんととれたためしがない。
今年も、羽織っていたベストの襟が半分跳ね上がったままのしょーもない写真で更新されてしまいました。
これで5年間過ごすのか。はぁ(溜め息)

そして、この免許から、実家の方の本籍とか表に書いてあるのを裏書で今の住所氏名に修正した免許が、裏書の内容が表になりました。
古い免許証は新しいのと交換になってしまいますので手元に残らないのを寂しく思ってもせんのないことです。ただ、一度なくして、再発行後出てきた古い免許証(無効の穴開け済み)はもっていたりするのですが(笑

みなさん、免許証の番号は末尾0がよろしいのですよ。
私みたいに、コピーしようとしてコンビニに置きわすれたりしてはいけません。(もうやってませんが)

2003/10/24(Fri)


[ マグロの空を貫いて(ぉ ]
何気なくテレビを見ていると、マクロスがビデオゲームになるとのこと。
普段、その時限りのネタは書かないようにしている(読み返すとなんのことかわからないようなことになるから)のですが、今回はちと勝手が違います。

なんとなれば、マクロス(セブンでないほう。ガンダム風に言えば1st)が、私のアニメ好き漫画好き二次創作好きの原風景にあるからです。

とはいえ、そろそろふたむかし前になろうという、小学校四年生の時の私の記憶ですから、定かではないのですが、きょうだいが別の番組を見ているか、どこかに遊びに出ているか、そういう時間帯(局は忘れましたが日曜の午後二時台でした)私だけ、茶の間ではなく、祖父母の部屋のテレビで観ていたというぐらいの記憶しかないのです。
あと、今もある(あるのかな?)アニメージュなんかで特集がくんであったりすると、読んでいたりしたものでした。当時にしては、毛色が変わりすぎの小学校四年生だったと思います。(当時のアニメージュは500円ぐらいでしたか、週給350えんとか400えんとかの子供には、手の届かない代物でしたな…)

そのマクロスを、何が目的で見ていたのか、それは何だか漠然としているのですが、気骨のあるグローバル艦長、かっこいいフォッカー少佐、女性ばかりのブリッジ、当時からフォルム的にそれはないだろうという突っ込みくらいまくりだったガウォーク形態、雰囲気のいいED、そんなものがほんやらと、記憶に残っているのでありました。(でも当時から主人公萌え葉しない)

 正直、マクロスのアニメじたいはとびとびにみていたので、気がついたら終わっていたというのが正直な所なのですが、それで何故二次創作になったのか、それが自分でもわからないのです。
 確かに、小学校の授業で、周囲から浮いていた自分が唯一ヒーローになれたのが国語、しかも作文の時間だったのはわかっているのです。
 今考えると、「自分でも物語を書きたい。でも、何をどういうふうに書いていいかわからないから、人間だけ借りてこよう」という、けっこう安易な思いつきだったような気もします。「なんじゃこりゃー(仮・タイトルだけ妙にはっきりと覚えている)」というその二次創作の中では、みんな日本人でした。しかも、はじまりが、どこかのむかしばなしではあるまいし、「子供のない夫婦が(ミンメイに相当?する)女の子を拾って云々」というあらすじがスタートだったのです。

 今考えれば、我ながら噴飯物の内容でしたし、今はもう処分してしまったので実家にも残っていないのですが、それが私の二次創作の作り始めなのです。
 小学校5年になると、その活動が一時止まります。そして、小学校〜中学校にさしかかるあたり、先行して同人誌にかかわり始めていた身内やら、学校の先輩やらに感化されて、本格的に始めたと、そういうわけなんです。
 実家に戻れば、おそらく、本格的に二次創作を作る前に書いた、「マンガの小説化」作業の痕跡もありそうな気がします。星矢の未清書原稿とか、うっかり処分されない前にこっちにもってきたいな〜と、思うのですが…もってきてどうすると思う気もするし。

 古い原稿は、リサイクルされるのを待っているネタの山とも言えます。
 中には、ちゃんとリライトすれば今でも通用するぞというのもあります。(「演義」のもともとの原稿は中学校時代からのものですし)
 問題は、今のペースでは。それらがいつ消化しきれるかということですかね。
2003/10/23(Thr)


[ 二三日前のこと ]
今私の住んでいるあたりでは、カン・ビンごみの収集は月一回です。
まあ、二人暮らしですから、ひと月で出るそういうごみなんて、
スーパーの大きめの袋一つに入るぐらいしかないわけですが、
夜、旦那と一緒にその不燃ごみを出しにいったところ、
いつものごみ置き場でカランコロンと音がする。
「あれ〜管理人さんかな?」と最初はおもったのです。
割れ物とか蛍光灯とか、ナイーブな不燃ごみの出し方を、
時々間違える人がいるので、夜のうちに管理人さんが整理したのを
見たことがあるので。
しかし、我々がそこで見たのは、どこのだれとも知らない、不審なおばちゃん。
まあ我々も、夜中の10時11時になって、思い出したように不燃ごみ出しにいくわけだから
相当不審者なのですが(笑)、とまれ、エンカウントした以上挨拶をし、
「おばちゃんこんなとこで何してんねん?」
と旦那が職質するように聞くと、
「おばちゃん、アルミ缶あつめてんねん、アルミ缶ある?」
とのこと。袋を探ったら、ちょうど一つだけあったので、それを渡しました。
おばちゃんは、誰に言うでもなく、
「おばちゃんな、アルミ缶集めてんねん、集めて持ってって小遣いにすんねん」
と言いながら、ひとしきり不燃ごみのカゴを探って、どこへともなくいってしまいました。

まさに「ポカーン」という顔で、我々はおばちゃんを見送りました。
住んでいる社宅の入り口には交番があり、しかも、
このごみ置き場は交番の窓が丸見えの場所です。
そのごみ置き場で、小遣いのアルミ缶を探って集めているおばちゃん…
俗に言う「家のない人」が、そういうことをして日銭を稼いでいるとは
知っていましたが、そうとも思えないただのおばちゃんでした。

本来街の業者が集めるごみを探ってアルミ缶を探す、その行為が良いのか悪いのか。
業者が集めても、結局リサイクル業者が買い取ることにかわりはないわけですが。
買い取り賃が業者の懐にはいるかおばちゃんの小遣いになるか、
業者にとってはそれだけの違いでしかないわけで。
寡聞にして、私は、私の住んでいる街でそういう行為が許されるのか否か、知りません。
「いいことしたんかな?」
と旦那に聞いたら
「ええんちゃう?」
と、旦那は気楽に言いました。
そういうわけなんで、私は気楽にいいことをしたんだと思うことにしておきます。
不燃ごみのぽい捨てするよりは遥かに真っ当な行為ですからね。

ただ、あなたの自治体で、同様の行為(本来回収する業者が決まっているアルミ缶を
先に集めて勝業者に売る)が当局に発見された場合、
自治体の規則によってはなんらかの問題に発展する恐れもありますから、
「そか、アルミ缶集めて業者持ってくと、買い取ってくれるから小遣いになんねんな」
と、短絡的に行動にうつすことはどうかお控えくださいますように。
問題に発展しても、私の方では責任追いかねます。いやほんとに。
2003/10/19(Sun)


[ 日常の飲み物 ]
前々の「まにまにの記」で、「私はコーヒー党だ」と書きました。
中元として、実家の方にある姉から、ひいきにしているコーヒー屋さんからの豆をなんぼか送ってもらって、
今の店売りの粉が飲み終わったら〜なんて思っていたら、
突然(というかいよいよ)医者に行かねばならない症状がでて、
薬を処方されるとき、初めての薬局だったので問診表を書かされたとき、いや〜な予感がしたのです。
<嗜好品があればお答えください…酒・煙草・コーヒー…>
そしたら案の定、出された薬はカフェインと激しく相性が悪いらしいのです。

私がメインで出されているのは、SSRIといって、簡単にいうと、脳の神経物質の取りこぼしを改善する薬です。
(取りこぼされた脳内物質が結果的に不足することで、やる気が出ないとか、すぐ眠くなるとか、すぐ飽きるとか、そういう症状が出たというわけで)
カフェインというのは、一般的によくある興奮剤ですね。
他の病気でも、薬にコーヒーはいけないというのは、そのカフェインが本来の薬の効果をいろいろな形で阻害したり助長したりするからなんだそうで…

細かい能書きはそれとして、目下私がいちばん困っていること。
それは、「息抜きにコーヒーが飲めない」ということです。
ネットで調べたら、一回の飲む量あたりのカフェイン量は、レギュラーコーヒー(豆を挽いてドリップするやつ)が、いちばん高い。とのこと。
カフェインレスのインスタントコーヒーを買っては見たものの、インスタントは「ありあり」でないと飲めない私に取っては、お菓子を四六時中食べているようなものになりますし、
甘いコーヒーはお茶菓子との相性も悪いのです。
コーヒーよりカフェイン量のすくないウーロン茶(幸い横浜に行ったときに買ってきたものがありました。茶葉が大きいままでうまい)も、
食事中にみそ汁がわりに飲む私には、やっぱり薬とのかねあいが発生してしまいます。
「こまったな〜、まさか真水なんて、水分ではあるけど潤いがない」
と思いながら台所をあさる私。
医者も旦那も妹も、「そんなん考え続けてたら何も食べられへんよ」というのですが、
やっぱりこういうのにこだわってしまうあたりまだ私の症状は本当の意味で改善していないのでしょうか。
そして、今までコーヒーを浴びるように飲んでいたのも、不足した脳内物質を興奮物質で補填しようとしていた体の危険信号だったのか…

 とまれ、何たらの一念岩をも砕くというか、逆転の発想というか、私のつれづれを慰める飲料が見つかったのです。
それは…「麦湯」。冷やさない麦茶です。
暑い間は、麦茶を冷水ポットに二本作って、旦那とかぱかぱ飲んでいたのですが、
これからの季節麦茶は寒いと思って、一度選択肢から外していたのです。
でも、「…(ぽむ)冷やさなくてもいいんじゃん」と、ぱかーんと発想の転換が起こってしまったのです。
というわけで、来年の夏まで戸棚で眠るはずだった麦茶は、秋冬の間の飲み物として見事復活を果たしたのでした。
ちなみに、普通に急須に入れて、熱湯を注いでそのままおいておきます。濃く出過ぎたら、少しだけ出してお湯で薄めて飲みます。

いや、それだけなんですけどね。
姉から送ってもらったコーヒー豆800gは、結局全く手を付けないまま、冷凍庫に眠っています。
どうしようかな〜これ。快気祝いまでとっとくかな〜
2003/10/08(Wed)


[ 大阪にとついで3年ちょい… ]
歌詞見ながらだけど、
時々つっかえるけど、
1コーラスだけだけど、
とうとう「六甲おろし」が歌えるようになりました…(とおいめ)
2003/10/07(Tue)


[ 2003年3/5の記事参照 ]
秀「さあ、優勝したで、比呂、トンボリ飛び込む用意はできてんねんやろな」

比「来年はBクラススタートなうえに原監督辞任かよ、不公平だ!」

秀「つべこべいわんと、戎橋がおんどれをまっとるで?(にやにや)」

み「…道頓堀川、水深4メートル、その内半分弱はヘドロ」

比「そんなとこにとびこませるのかよ」

み「死人でてるから、止めたほうが懸命かもね。18年沈んだままのカーネルサンダースの呪いに触れるわよ」

秀「(聞いてない)さぁ次は日本シリーズやでー頼むわ仙一っちゃん♪
  ろーっこーぅおろーしにーさーっそーうーとー♪」

み「結局いちばん得なくじ引いたのは歩惟ちゃん…かしら」

比「…かもな」

歩「おかーさんっ ダイエーのセール行こうっ
  人込みも大丈夫だよっグンが楯になってくれるからっ」

グ「大リーグは、優勝決まるまでが長いんだよな…」
2003/10/02(Thr)


[ サザヱさん ]
(書き込み二日)
先月の末日に無事?ダイエーがパリーグ優勝しまして、最寄りのダイエー(デパートのほう)も見事に戦勝セールを展開し始めました。

私もその波に乗り遅れまいと、仕事中の旦那に
「旦那が帰ってくる前にセールいってくるからクレジットカード使うね♪」
な〜んてうきうきとメールして、バスに乗っていきましたよ。
いや〜すごい人出だ。ここは磯かと冗談いいたくなるほどヒトデだ。
あれこれ買うものをきめて、1レジあたり10人ぐらい並んでる一つに並び始めて、
「困らないように財布出しておくか〜」
とバッグを探ったとき。
「あれ?」
その時私の頭の中に浮かんだのは、ご存知サザエさんのオープニングテーマ。
♪買い物しようと町まで〜出かけたら〜♪

旦那(集まりがあるので帰りは午後になると知っている)に
「奥さんが病気とでも何とでもいて早く帰って来て〜」
とダダこねメールをおくり、帰る足でバスにのり(金もないのにバスに乗れたのは、プリペイドカードがあるからです)、自宅の衣装箱をひっくり返して、これから斬られる服をあさったのですた。

幸いにして、引っ越しの時紛れてしまった服がなんぼか出てきたので、しばらく持ちそうですが、誰にも悟られなかったといっても、あれは恥ずかしい経験でした。

で、旦那が帰ってきたときに買ってきてくれたケーキたべてフテ寝しました。
どっとはらい。

でも、こっち引っ越してきて、買った服なんてほとんどないような?
新しいの欲しいな…
2003/10/01(Wed)

My Diary Version 1.21
[ 管理者:清原因香 著作:じゃわ ]