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まにまにの記CGI

(2002/02)


[ ロングロングワンデリングロード ]
2/8から越後湯沢で2泊3日の日程でスキーにいってきました。
ネット関係の友達の年齢層が10台後半〜20台なかばと言うこともあって、なかなかバイタリテイがあってつかれるけど楽しかったりします。

とはいえ、この湯沢の旅も心から楽しめなかったのは確かで、出発まであと23時間というころ、栃木の実家から連絡「祖父危篤」…その一時間弱ほどあとに訃報。
「はやっ」
だんなと私と、その一方を聞いたときの第一声がこれでした。
矍鑠と元気だった祖父の記憶は、あまりありません、私が小学校の時に脳内出血でたおれ、病院に行かないまでも寝たり起きたりの生活が続いていたのですが、2000年の大みそかにふたたび決定的な発作を起こし、それから13か月。旦那とも去年の夏、一度会ったきりでした。

実家のあたりでつかうことばに、「ぎご」というものがあります。偏屈で頑固で天の邪鬼をまとめたような性格を言うのですが、祖父がまさにそれであったと聞いたことがあります。ただ、それの裏を返すと、彼には確固たる自分の信念と言うものがあり、口に出さないだけで、自分の進みたい方向と、自分が進まなければならない方向のジレンマをずっと抱えていたのかもしれません。
それを思うと、来し方にあったもろもろのことも、はた目ながらなんとなく、受け止められそうな気がします。

猫がいなくなったときほど、自分が取り乱さないのが、何となく不思議な心持ちでもあります。危篤から訃報まで一時間弱、そのさっぱりとしたところが、なんとなく祖父らしいと言うか…
見送れなかったぶんだけ、帰省の折にはしのびたいと思います。

2002/02/12(Tue)


[ 北北西に恵方をとれ(ベタ) ]
生まれて20とン年(最近マヂに下一桁がいくつだっけ?とおもうようになりました)、初めての関西の節分だったりするのですが、実家の節分と明らかに違うのは、「恵方&太巻き」のはっそうだったりします。
すくなくとも、実家(栃木)のあるあたりというのは、こっちほど「恵方」には頓着がなかったです。それが、なんだか良く分かんないんですけど、新聞広告に「今年の恵方は北北西」の文字が踊り、そして…
夕方、ごはんのねたを探しに近くのスーバーに行ったら、なんとまあ、太巻きが山積みになっているんですよ。真っ黒で長いものが惣菜コーナーを占領しているのはある種壮観でもあります。
もっとも、買っては見たものの、一人で節分も忍びないので冷蔵庫で保管してありますが…

あ、マメまいてないよ。

身内用私信…帰省は3/1-2-3になりそうな。

2002/02/03(Sun)

My Diary Version 1.21
[ 管理者:清原因香 著作:じゃわ ]